二六二

 あなたは、深い洞窟のさらに深く、洞窟のくぼみの中に粗末な板きれをあてがった小部屋に隠れて、息を殺して外を見ている。板扉は雑な作りで、すき間から外の様子を見るのは容易だが、明かりは壁に取り付けられた小さなランタンが一つだけで、あまり視界がよいとは言えない。手に下げた刃こぼれだらけの剣が重い。食料も、魔法の薬も、既に使い切って、あなたのザックに入っているのは、現状の役になにも立たない金貨が数枚、安手の宝石、何の役に立つのかわからない奇怪な呪文の書かれたマスコットが一つだけだ。いつまでも慣れられないかびくさい空気の中に、かすかに腐敗臭が混ざっている。

 やがて、あなたは自分のことをゆっくりと思い出す。そうだ、自分は剣士だった。しばらく前、いくつかのサイコロの目によって決められたパラメーターとともに、生成されたキャラクター。手書きの「冒険記録紙」の上に表現された、名もなき剣士。いつからこうしていたのだろう。得体のしれない洞窟に踏み込み、ある意味で洞窟の中を、またある意味では本に書かれた「六」だの「四〇三」だの「一九二」だのといったパラグラフを行きつ戻りつして、ここまでやって来たのだった。途中ではさまざまな罠や敵との戦いがあった。ある意味では敵の牙に傷つけられ、またある意味では、二個のサイコロの目に見放され、その数値のせめぎ合いの末の、かなりの「体力値」の低下を受けていた。

 どうしてここにいるのだったろう。他になにか道はなかったろうか。あなたは、前のパラグラフに戻って確かめたい衝動にかられるが、この種のゲームブックでは、現実世界の因果律がそうであるように、元のパラグラフに戻って別の選択肢をたどり直すということは許されない。また、その方法も(すべてのパラグラフをしらみつぶしに読んだり、最初から選択肢をたどり直すといった泥くさい方法のほかは)これといってない。あなたはいらいらしながら、剣を握り直す。ぼろ布をいいかげんに巻いただけの剣の柄の感触は、あまり安心感をもたらしてはくれなかった。

 あなたは冒険記録紙上の数値をもう一度確認し直す。技術点は原技術点の八からケガのため下がって六。もともとかなりのへっぽこ剣士だったが、今や危機的状況にある。ほとんどゴブリン並だ。原体力点は一九で、今は八。こちらも余裕はない。たった四回の刀傷であの世ゆきだ。運点は原点が一〇で今は五。運に頼る場面がこれ以上ないことを祈るばかりだ。

 板扉の向こうからひきずるような足音が聞こえて、あなたははっとする。そうだ、あのモンスターを、待ち伏せしているのだった。たとえ怪我がなかったとしても、原技術点八のあなたではとうていかないそうにない、ゲームブック作者が何を思って設定したのかわからない、技術点一三、体力点一〇の「墓鬼」。「どんなに最初の数値が低くても、最低限の危険でハッピーエンドにたどり着けるただ一つの選択肢が存在します」とは、本当だろうか。本当にだれか、テストプレイをやったことがあるのか、このゲームブック。

 あなたは、ひたすら息を殺して時を待ち、いつもの「運だめしをせよ」という言辞がなかったことにちょっとほっとしながら、墓鬼を背後から奇襲するべく時を待つ。案の定、墓鬼は、あなたに気付かず、板扉の前をゆっくりと通り過ぎる。今だ。あなたはぱっと扉の影から飛び出し、墓鬼の脳天に一撃を加える。いや、加えようとした。墓鬼は、その寸前、振り返ると悠々とあなたの一撃をかわし、その冷たい腕であなたの体を抱きしめる。

 墓鬼の強靱な力の前に、あなたの骨はばらばらに打ち砕かれ、一瞬にして死ぬ。奇襲を失敗させたのは、あなたのザックの中のマスコットが発する警告の音だったかもしれないが、激痛と薄れゆく意識の中、あなたが考えたのは、なあんだ、技術点や体力点が何点あっても同じことだったな、ということだった。

 本を閉じよ。あなたの冒険は終わった。