二一世紀。この理性と科学技術の現代。不夜城のごとく明るい電気の光のもと、二四時間休まず営業する街で、不可視の電波の糸によって人と人とがかつてない密度で繋がりあう、そんな時代にあって、しかし、人々の心はかえって闇に向かっているかに見える。ふたたび心霊写真がテレビを騒がし、インターネットによって得た知識で「心霊スポット」に向かう人の波は途絶えることがない。あるいは、人間に「心」という非科学的な一面が存在する以上、超自然的なものへの畏れは消えることはないのかもしれない。
今回は、そうした此岸と彼岸の境界上にある職業の一つである「幽霊退治人」の一人に接触、インタビューを試みた。大阪市のある貸しビルの一室にオフィスを構えるこの会社は、この平成の世の中において人々を悩ませる悪霊を撃退し、超自然からの防御を顧客に提供することをなりわいとしている。インタビューの要請にこたえて応対に出たのは、意外にもこざっぱりした服装に身を包んだ四十代後半と思われる男だった。○○除霊社の代表です、と名乗った彼は、もうかりまっか、ボチボチでんな、という通りいっぺんのやり取りのあと、朗らかとさえ言える関西弁で、問いに答え始めた。
――そもそも、幽霊とは何でしょうか。実在するのですか。
それはまた、いきなりですな(と、男は笑った)。
そら実在します。そうでなかったらわたしが困ります。ええ、幽霊の本質は何か、何かと。こっちもいきなりいきますが、一言でいいますと「情報」ということになります。人が死んで、実体としての存在が失われて、残っているのはその人の情報だけなんやというわけです。わたしの仕事は、その「情報」と戦ってゆくこと、となりますか。
――「情報」ですか。もう少し詳しく、お聞かせ願えますか。
んー。何から話せばええか。うん、「ミーム」という言葉を知ってはりますか。
――はい、だいたいは(※ミームとは、人から人に伝達されてゆく知識を、遺伝子に似た「自己複製子(自分をコピーさせる力をもった何か)」と見なして、名付けられた概念である)。
来し方を振り返ってみますというと、そうですな、わたしの商売である幽霊退治も、まったくこのミームとの対決です。幽霊が出るやとか、事故が続くんやとか、そういう場所に出向いていって、その「場」を清めるというような、ふつう除霊と呼ばれる作業ですか、こういうものは、アレです。死者の魂やら情念やらに力があるという「信念」ですわね。死んだ後も情報として、いつまでも残っているというたらナンですが、まあそういうことが起きるんやないかという信念が持たれている。そういことです。
――具体的には、どういう仕事になりますか。
たとえば、ここに「結界」のお札がありますやろ。これを部屋の四周に貼れば、もう、あらゆる邪悪な存在が入ってこられへんのや、とされてます。
(と、彼はオフィスの、机の引き出しから封筒を取りだした。封筒から取りだした包みはさらに幾重にも折り畳まれ、中に一枚の薄紙を蔵していた。薄紙には、黒と赤の墨で、漢字と複雑な図形が書き込まれている。)
どないですか。不思議なエネルギーを感じんですか。
――いえ、何とも、精巧なものですね。
まあ、そう言う人もいはりますな。ホなら、これでどうでしょう。
(と、彼は、テーブルの上に置かれていたコーヒーの上に「札」を貼り付けた。わずかな水分のせいか、お札は吸い付くようにカップに貼り付く)
もうコーヒーは飲めません。どないですか。あえて飲んだろちう気になりますか。
――確かに、なりませんね。どうしてもというなら飲めなくはないですが、札を破るのは気が引けます。
そうそう(と、彼は嬉しそうにうなずく)。「おフダ」みたいなもんの存在価値は、要するにそこなんです。「悪霊」は、そこに「入るな」と書いてあるから入らんのです。
首、かしげてはりますな(彼はくつくつと笑った)。たとえば「立ち入り禁止」と書いてある、フェンスやロープを乗り越えて中に進んだことて、ありますか。よほど特別な用事があったら別ですが、まあ、入らんもんです。「無断駐車罰金一万円」とあったら車を止めんとこか、と思うもんですし、「ペンキ塗り立て」のベンチには座りませんわな。しかしまあ、こういうもんかて、ただの貼り紙というたらそうですわね。
つまり、普通は人は貼り紙やら標識に従うんです。ただの「情報」に、力があるわけです。
――いや、しかし、交通ルールは守られていないことが多いですが。速度規制などは、特に。
まあ、あれは警察が悪い。ああいうのは、標識に権威がないわけです。あんなもん、実際四〇キロで走ったら、エライことになります。見るほうに「守るもんやない、マジメに守っとるやつはアホや」と思われるようなもんに、権威なんかありますかいな。破ったらオソロシいことになる。たまたま見ているパトカーがなくても、守らなんやつはジコる。ジコったら死ぬ。とまあ、そういう権威があったら、標識は誰でも守るようになるんやないか。
それはこのフダも同じことですわな。ここに漢字が並んでおりますが、これは神さんの名前です。別に破ったかてナンちうことはナイといえばナイ。そでも、鳥居のマークに小便をかけるやつは、あんまりおりませんわな。
――なるほど。神様の名ですか。言われなければ、わかりませんが。聞けばそう思いますね。
ま、悪霊に聞かせてやらないかんというわけでもないのです。つまり、悪霊の害にあっている、依頼人に、説明すればエエんです。
――それでは、悪霊は入ってきてしまうのでは。
依頼人が納得できれば構わんのです。つまり、依頼人が信じている「情報」。いや、情報複合体とかなんとか、そう表現したほうがええかもしれません。幽霊とはこれこれこういうものだ。こういうことをすると幽霊が来る。自分が誰かの幽霊に襲われている、という、広ーく、信じられとる情報を、全部打ち消すだけの、信頼できる情報を与えればええんです。それがホンマの悪霊祓いやと言えば、そうでしょう。
ただまあ、それはムツカしいですわな。コーヒーを飲みたければお札をやぶる、とあなたは言わはりましたが、まあ、喉が渇いたら飲んでしまいます。しかし、水のコップを別に用意しておいて、コーヒーに札を貼っておいたらどうですか。まあ、水を飲むんやないでしょうか。私のやっているのは、つまりそういうことなんやと。とにかく札を貼っておけばその中は安全やというのは、それは信じられますやろ。何しろ、高いおフダでっせ。
――ははあ、わかりました。可能なかぎり権威付けをしたお札や儀式で、依頼人を納得させる仕事だ、というわけですね。
そういうふうにも言えるな、ちうことです。あんまり言うと、客が来んようになりますから、まあ、この辺で(と、彼はまた笑う)。
――最後に一つだけ。危険な目に遭われたことはありますか。あなたもいつか、危険な目に遭うかもしれない、と思われますか。
ええ、どういうことでしょう。
――つまり、強力な、なんと申しますか、あなたの作り出しうる権威よりも、より大きな力をもつ情報複合体、幽霊に遭遇したときに、ということですが。
(笑って)大丈夫、それは大丈夫。
――なぜですか。その可能性はないとは言えないと思いますが。
わたしは(と、彼はインタビュアーに向けて、内緒話をするように声をひそめて言う)、幽霊を信じてへんからですよ。ホンマに(小指の先を親指ではじいて見せて)…こっからサキも。
彼の失踪が新聞の小さな記事になったのは、それから半年も経たないある夏の日のことだった。事務所の扉は固く閉ざされたまま、彼がなぜ行方を絶ったのか、いかなる事件に巻き込まれたのか、杳として知れない。果たして、情報との戦いに敗北したのか、どうか。