「こりゃいかんのじゃないかなあ」
と私は連れ合いに言った。横の布団の上では八ヶ月になる娘がすやすや眠っている。娘の横には一冊の絵本が広げて放り出してあった。
「んん、何が」
「これだよこれ。『ひかりのくに50シリーズ これなあに50』」
私は絵本を取り上げ、二人の間に広げて見せる。
「え、どこがよ」
「『新しいジェンダーのえほん』となってるんだよこれが」
「へえ」
私は絵本をぱらぱらとめくって見せた。絵本というよりは「写真本」というべきだろうか。動物、乗り物、野菜といった種類ごとに数枚の写真が、「とんぼ」「さら」「フレッシュひたち」のようなキャプションとともに掲載されており、そこにイラストで書かれた子供たちがなにがしかのコメントを添えている。よくある、幼児向け図鑑本だ。
「ほら、たとえばこれ。『かぶとむし だいすき』って言ってるだろ、女の子が」
カブトムシ、カエル、キリギリスといった写真をバックに、イラストの女の子が虫かごを抱えて立っている。
「うん」
「これはまあいいんだ。次。『ライオンのおとうさん かっこいい!』」
このページにはライオンが三匹寝そべっている。
「ん」
「次だ。女の子が『あおい いろ すき!』、男の子が『あか だいすき!』。いいんだけど、ちょっとくどいよな」
青い歯磨きセットの写真だ。次のページには、青い箸を手に持った女の子の姿もある。
「ははあ」
私はページをさらにめくる。
「どのページもこの調子なんだよ。料理のコーナーではこうだ。『ぼくが つくるよ』『わたしに なにを つくってくれるの?』」
「それで『新しいジェンダー』かあ」
「『でんしゃ だいすき』『パトロールカーに のる しごと いいな!』『わたしも うんてんしてみたい』」
「うん、くどいね」
「くどいんだよ」
と、私はうなずいて見せる。
「男の子と女の子が平等に扱われているべきで、ここまで女の子に言わせるべきじゃないんじゃないかなあ」
「なるほどね。『ちょっと変わった女の子だな』と思っちゃったら…逆効果かもしれないし」
「うん、狙いはわかるんだけど、やりすぎちゃあいけないと思うんだなあ」
私は絵本を閉じると、眠ったままの娘の傍らに置いた。まだあまりこの手の「写真本」には興味を持たない年齢(いや月齢)なのだが、本と見たらとにかくめくりたくてしかたがないようで、絵本を開いたり閉じたり、触っている間に寝てしまうのである。この本は男の子向きなんだろうか、女の子向きなんだろうか。そんなことを考えることがそもそも古い性差に囚われた考え方なのか。
「ところでさ」
「ん、何」
娘の寝顔を見ていた私は、目をあげた。
「この、こっちのほうの子が、女の子とは限らないんじゃないかな、それを言えば」
私は驚いて、一度閉じた本をもう一度取り上げて、開いてみる。
「は。あ、ああ。確かに」
ロングヘアで、ピンクのシャツに赤いスカートを着た子のほうが「女の子」だと思っていたのだが、
「確かにそうだ。こっちの子が男の子っていう可能性もあるね、確かに」
「この本には、ショートカットの女の子と、ロングへアの男の子が出てくるのかも」
「いや、それは確かにそうだけども」
私は呆然として、ページに二人並んで立っている子供の絵を見た。そういえば私は小道具と色の系統という「社会的規範」でもってキャラクターの性別を見分けているだけで、顔自体の描き分けはされていない。顔は同じなのである。
「そうだけども、その場合男の子が『ブルドーザー うごかしてみたいな!』なんて言っているわけで、それは別に『新しいジェンダー』ではないんじゃないか」
「ううん」
「このロングヘアの子もショートカットの子もどちらも男の子かも。どちらも女の子という可能性だって」
「んー。んー」
この子が生きてゆく二一世紀はどんな時代になるのだろう。どうやら複雑怪奇な世界であることだけは、間違いないのだった。