深宇宙への登攀

 私が中学生くらいのときだろうか、読んでいた本に、こういうことが書いてあった。いわく、昔のSFで、主人公たちが他の恒星系に向かう場合、たいていまず冥王星基地に向かい、そこからあらためて恒星間ロケットで出発するという手続きをとっていたものである。しかし、これはおかしいのではないか。他の恒星系への遠さを考えると、地球から直接出発するのも、冥王星で一回中継するのも距離としてほとんど変わらない。目的地の方向が冥王星と反対だったり、地球の公転面と垂直方向だったりすればなおさらである。冥王星基地は必要ない。

 なるほどそうである。太陽から一番近い恒星までの距離は、四・四光年というから、四二兆キロメートル。これに対して太陽−冥王星間の距離は、一番離れたときで七四億キロである。これは、恒星までの距離を東京−ワシントン間に縮めて考えると、だいたい二キロメートルほどでしかない。仮に東京駅からワシントンまで海を越えて電車が走っていたとしたら、東京を出て二駅、秋葉原でわざわざ一泊するようなもので、いかにもおかしい。

 ただ、おそらくこれを書いた人が見落としていたことが一つあって、それは「太陽系には重力場がある」ということである。

 なるほど、距離だけ見れば変なことをしているように見える。しかし、太陽には引力があって、太陽系にあるものすべてを引っ張っている。いわばすり鉢の底に太陽があるのであり、地球から見ると、冥王星は非常に「高い」ところを公転しているといえる。太陽から遠いほど、太陽系から脱出するためのエネルギーは少なくてすむのである。外宇宙用宇宙船を冥王星の資源を使って組み立てて、少しでも「高い」ところから出発するのは、意味のあることだ。さっきのたとえで言うと、東京駅から晴海埠頭までがバスで、そこから船だったら、晴海で一泊するのもそんなにおかしなことではない、かもしれない。

 こうなるとこの疑問は、冥王星からの打ち上げはどのくらい得か、という程度問題になる。まず確かなことは、他の恒星へ向かう船を組み立てるとき、地球の近くで組み立てるよりも、冥王星の近くで組み立てるほうが得をする。すくなくとも、その恒星間宇宙船がやるべきことは減る。それは、単に距離を〇・〇二パーセントほど稼げただけではなく、もう少したくさん、これに加えるに太陽の重力場の坂道を登った先から出発できるという利点があるわけである。とはいえ、冥王星といえばへんぴなところだ。この「得」が大したことなければ、結局地球の近くで建造したほうが便利かもしれない。どうなのだろうか。

 恒星間宇宙線の組立てを地球の地上(おかしな言葉だ)なり、冥王星の表面なりで行うのはあんまり意味のあることではないから、比較すべきは、地球の近くの宇宙空間と、冥王星の近くの宇宙空間ということになる。まずは距離だが、太陽からの距離は、長半径で、それぞれ一億五千万キロ、五九億キロである。またそれぞれの惑星の平均軌道速度は秒速三〇キロ、秒速四・七キロであり、これがそれぞれの宇宙船が最初から持っている位置エネルギーと、運動エネルギーだと思っていいだろう。

 太陽の質量Mは二・〇かける十の三〇乗キログラムで、そこから無限の遠さまで重力場を投げかけている。ある距離Rから無限のかなたに物を放り投げるために必要なエネルギーは、「物」の質量mとして、
  E=GMm/R
である(Gは重力定数で、六・七かける十のマイナス一一乗ジュール・メートル毎キログラムキログラム)。また、軌道速度vのとき、運動エネルギーはmv^2で表される。この合計を計算すれば、宇宙船がもつエネルギーがわかる。

 計算結果はこうなる。地球の軌道上の宇宙船を宇宙のかなたに飛ばすためには、質量一キログラムあたり八・九かける十の一一乗ジュールのエネルギーが必要である。一方、冥王星軌道の宇宙船は、質量あたり二・三×十の一〇乗ジュールでよい。一方、惑星の公転、軌道速度による運動エネルギーはこれより三桁ほど小さい数字なので、事実上これに付け加えるところはなく、要するにこの二つの数字の差が「冥王星で宇宙船を建造すると得をするエネルギー」ということになる。宇宙船一キログラムあたり八・七かける十の一一乗ジュールだ。

 これは多いのだろうか。恒星間宇宙船がどれくらいの質量になるか、よくわからないが、少なくともひと一人、百キロを冥王星軌道から出発させると、十の一四乗ジュールほど得をすることになる。ジェット燃料の燃焼熱は一グラムあたり五十キロジュールぐらいあるらしいので、一七〇トンの燃料が節約できることになる(効率百パーセントで計算、燃焼に必要な酸素はふくまないとしても)。冥王星基地に行くまでにそれだけの燃料を消費するということだが、これはとりもなおさず、本番につかう恒星間宇宙船からそれだけの燃料を節約できるということでもある。これはちょっと大したものじゃないかと思う。

 結論はこうだ。「昔のSF」の書き手がそこまで考えていたかはともかくとして、冥王星基地を建設することは一応の意味がある。冥王星かその衛星から原料を得て宇宙船を建造できればもちろんだし、そうでなくても、冥王星軌道近くになんらかの燃料になりうる物質があって(たとえば水素)そこでエネルギーを補充できるのなら一定の価値がある。冥王星はその「高さ」に価値があるのである。

 ただ、以上の議論は、東京からニューヨークに飛行機で行くにあたって、札幌で一回着地する飛行機がないことを考えると、実は少々怪しいとも思う。北海道が文明果てる地だと思っているわけではないのだが、少々の効率よりも、乗り換えなしというのは相当便利だということなのである。果たして現実はどうなるか、アルファ・ケンタウリゆき定期便が開通する日がそもそもいつの日にか来るのかどうか、後世の判断を待ちたいと思う。もっとも、そんな遠未来にこの文章が残っているとも思えないのだけれども。


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