五百ジンデンゴー

 さっきテレビを見ていた妻が、スットンキョウな声をあげて「画素って漢字だったのか」ということを言ったので、ちょっとおかしかった。「二百万画素のカメラつき携帯」というニュースを見て気が付くまで、画素のことを外来語かなにかだと思っていたらしい。カタカナでガソと書くのだろう。メキシコの通貨単位に似ている。

 確かに、画素という用語は、最近できたわりに日本語にすんなり溶け込んだ、珍しい言葉だと思う。pixel(ピクセル)の訳語ということになるのだろうが、耳から入った場合はともかく、見れば意味がわかるし、音がガソっと短いのもいい。唯一の欠点は「メガ」と組み合わせると舌がもつれるということで、メガガソもギガガソも言いにくていけない。なに、ヒャクマンガソと言えばいいのだがソ。

 笑った私も大して知識があるわけではない。画素というのはディスプレイの上にコンピューターが表示できる最小単位の点で、これが集まって映像を構成している。たとえば今私が使っているパソコンのモニターは、1024×768個の画素で構成されている、ということである。ディスプレイを見ていて、これがドットが集まったものかどうかというのは、意外に気にならないものだが、ディスプレイが液晶なら「ドット抜け」というのがあるので、それとわかる。製造上の都合で、画面の中で一点か二点、色が変わらない点がある場合があるのだ。

「抜け」ている点は別だが、この画面のそれぞれの画素は、赤青緑それぞれがゼロから255まで256段階の明るさをもっていて、約1670万通りの色を出せる(※1)。一つひとつの画素が、隣の画素とは無関係にあらゆる値を取れるから、画面全体では非常にさまざまな表現が取れることになる。見分けられるかどうか別にして、この画面は1670万の1024×768乗の異なる状態を取ることができる、と言える。これは2の18 874 368乗であって、568万桁くらいの数字になる。

 なんだかよくわからないと思うので、もうすこし分かりやすく言い換えよう。この「2の18 874 368乗」という数字をPとすると、1からPまでの番号を振ってP枚のカードを作ると、ここには、今までこのディスプレイが表示したことのある、あるいはまだ表示したことがない、全ての画面を網羅することができる、ということである。

 原理的には、このP枚のカードはパソコンの画面のかわりに使うことができる。たとえば、今あなたが見ているのはそのうちの選び抜かれた一枚である。ちょっとスクロールさせたり、マウスのポインタを動かしたら、またP枚から別の一枚を探してきて差し替えればいい。どんな画面であろうと、P枚の中にかならずある。問題はPがちょっと多すぎることだが、「状態の数」というのは、そういうことである。

 私がはじめて買ったノートパソコンは、白黒で一六階調(つまり白から黒まで一六段階の明るさ)でしか発色できず、しかも画面サイズが640×400だった。480ではなくて400なのはどういう意味があるのかよくわからないが、たぶん液晶パネルの生産に関連した仕様だったのだろう。これが結構、文章を書いたりする上でさほど支障はなかったのだが、こちらの「状態の数」はぐっと少なく、2の100万乗でしかない。これはPの2の17 850 368乗分の一であって、そう考えるとものすごいことだ。なんか、元の数字が全然減ってない(※2)。

 さて、画面というのは画素という構成要素からなっているからこういう計算が成り立つのだが、現実の、この世界にはそういうものはない。ただ「宇宙の大きさの中に何個の陽子が詰め込めるか」を求めて、それぞれの「陽素」に陽子があるかないか二つに一つだ、として状態の数を計算した人がいる。それによると宇宙の「状態の数」は2の10の118乗乗である、らしい。10の118乗ではない。2の10 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000乗であって、つまり1のあとにゼロが10 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000 000個だけつくのである。

 これは、上のP、「私のパソコンのモニター数」である2の18 874 368乗よりも、なんというか、ものすごく多い。当たり前の話、この宇宙はモニターよりもずっと小さな画素(0.3ミリ対陽子の大きさ)で、ずっと広い範囲(30センチ対宇宙の大きさ)で、しかも二次元と三次元の違いがあるので、当然と言えばそうなのだが、この記事(※3)ではつきつめて言うとこれだけの数だけ宇宙があればここと同じ宇宙が一個ある、というハナシになるので、なんだか面白かった。なるほど、P+1個のモニターがあれば、中の少なくとも二つは同じ表示になるはずである。

 というわけで、この文章も今回で五百回目である。始めたのはだいたい九八年の五月ごろ、これを書いている今が二〇〇三年の一一月なので、ここまで五年半かかったことになる。絵が入っている回もあるが、文章部分だけ取り出すと、ちょうど3メガバイトくらいになった。「情報量」ということなので圧縮をかけると、960キロバイトである。これは、状態の数で言うと、モニター数Pをかなり下回る。つまり「大西科学における最近の研究内容(1回〜499回)の絵」というものが作れて、それは画面の半分くらいの大きさでしかない、ということなのだ。六年近くもかかって画面半分でしかないかと思うと、何かを成し遂げたような気持ちは急速に薄らいでゆくのであるが、えーと、これからも、そこそこがんばりまふ。


※1 ところで、この「1670万色」というのは、2の(3×8)乗ということになるのだと思うのだが、計算すると16,777,216になる。これって「1680万」と違うのだろうか。「1680万と公称していて実は1678万色弱」だと文句を言われるからパソコンまわりではこうなっているのかなと想像するのだが、とりあえず、文中では1670万という表記にしました。
※2 余談だが、さらに先に(過去に)進むこともできる。私が中学生のとき(八五年ごろ)に父親に買ってもらったパソコンは、あらかじめ内蔵されている文字のどれかを選んで、40列×25行の粗いマトリクスに表示することしかできなかった。一文字ごとに背景と文字の色を八色から選ぶことができたので、「状態の数」は、512文字×背景8色×文字8色の40×25乗で、2の81 000乗になる。これだって実は凄い数だが(八万ではなくて2の8万乗である)、今のパソコンの約3400画素分、アイコンくらいの大きさと、情報量としては同じだ。
※3 日経サイエンス2003年8月号「並行宇宙は実在する」M.テグマーク。
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