客車ボルトとは

 ここに書いたあれこれを自分で読み返してみて「当たり前のことばかり書いているなあ」と思うことがある。相対性理論は物理法則の一種だとか、阪神タイガースは日本のプロ野球チームの一つだとか、言われんでもわかっとるわということをつるつる書いている。これはリズム的にそうあらねばならないような気がしてあえて書いているのであって、自覚してひとこと断りを入れている場合も多いのだが、「当たり前のことのようだが」とか「いちいち私が書くほどのことではないが」などと、うるさくってしようがない。このくどくど感をいまさら変えるのは難しいが、せめて「自明なことを書いているぞ」と思ったら記号「∬」を末尾につけてみるのはどうだろう。∬は「二重積分」というマークだが(と思う)、今回に限っては「しょうもないせつめい」の略だと思って気にせず読んでいただけますと、幸いです。

 さて本題。グーグル(Google∬)という検索サイトがあるが∬、ここで検索をかけ、見つからないからといって、すなわちその情報はウェブ上に存在しない、ということにはならない∬。グーグルにも限界はあるし∬、ユーザーのほうで設定した検索語がまずい場合だってあるからである∬。とはいうものの、グーグルとあといくつか、めぼしい検索サイトを試してみて、それでも何も見つからない場合、実用上、私の手の届くところにはその情報がない、ということになるのは確かである∬。

 一方、私が今書いているこのページは、今の時点では未発表なので∬なんともいえないが、やがては通例どおり、いくつかの検索データベースに格納されるだろう∬。だからして、このページが、すくなくともある一瞬、日本語で書かれた事実上唯一の「客車ボルト」に関するページになるのではないか、と思うがどうだろうか。なると嬉しい。というわけでそれなりの誇りを持って、今回は客車ボルトについて書くのである。

 ところで、客車ボルトとはなんだろうか。突如なんだろうかと問われても困ると思うが、実は私がさっき読んでいた本に、この語が出ていたのである。あなたはどうかわからないが、少なくとも私は「なんだろうか」と思った。なんだろうか。これが私一人だけの、独特の感情ではないかとはなはだ心もとないが、この人心荒廃した現代社会において、せめてこの一点においてあなたとわたしが同じ思いを共有できたらこんなに素晴らしいことはないので、ちょっと強調してみよう。

客車ボルト

 正直言って、なんと読むのかも、よくわからない。いや、たぶん「きゃくしゃぼると」だろうとは思うのだが、百人ほどが授業を受けている大学の教室で「この語を読んでくれる人はいますか、手を挙げて」等と教師に言われたとき、ヒシと目をそらす程度にはよくわからない。そういう事態に陥る前に確かめておこうと思って、まずウェブ上を検索してみたのだが、はかばかしい成果は得られなかった∬。

 私が読んでいた本にはこの語と挿絵、それから説明があった。挿絵はボルトらしき絵である。ボルトというのは、この場合機械を作る部品の一つで∬、ナットと組み合わせて部品を止めつけるために使う∬、頭が一つ、足が一本、ネジが切ってあるものなあに、の答のボルトだ。だからして少なくとも客車ボルトはボルトである。

 ボルトにかまけている場合ではなくて、問題は「客車」である。この人心荒廃した現代社会∬では油断できないことも多いが、ふつう、ポンとこの言葉だけが放り出してあった場合、客車とは列車において乗客が乗る車両のことである∬。山手線やら御堂筋線やら西武新宿線においてあなたや私が乗るところ∬、機関車トーマスのガールフレンド(じゃないかもしれない)であるあれだ。実はこれが不思議カクシャと読むのであったり、「ケ・チェ」とかなんとか中国語読みをする場合がないではないので、どだい確信を持てることではないが、幸い手がかりはある。隣に「カリッジボルト(carriage-bolt)」と書いてあるのだ。

 carriageは「キャリッジリターン」、ある種のコンピューターのキーボードの右のほうにあって変換を確定するときに押す「CR」のCである∬。それをカリッジと読むのはどうか、そしたらキャベツはカベツか、と思わないではないが、carriageには鉄道の客車という意味があるので、なるほどこれを直訳したものであれば、客車ボルトで間違いない。そうだとすれば、その仮定の上に論を築くことが許されるとすれば、と用心深く塹壕を掘っておいて、残る問題は「どうしてこのボルトが客車なのか」ということだけである。

 挿絵と説明によれば、客車ボルトは、頭のところが丸いボルトである。半球状の頭がある。その下にしばらく断面が四角い部分があって、次に普通のボルトのように丸い軸が続き、ネジを切ってある部分で終わる。そういうものだ。はじめ丸くて次に四角く、また丸くて最後にネジになっているものなあに、の答のボルトだ。木材などに四角いほぞ(穴∬)をあけておいて、そこにはめ込んで使うらしい。他はいいとして、キモはどうやら「頭が丸い」である。なぜ頭が丸いのかというと、手ざわりがなめらかでぐあいが良いから、らしい。

 本当だ、説明にそう書いてあったのである。

「客車ボルト(カリッジボルト)
 ボルトの頭は球面状であり、頭部直下は四角、他の部分は丸棒である。ナットは四角または六角である。車両工事・電柱工事・建築工事・造船工事など、主として木材工事に用いられる。
 頭部直下の四角は、ボルトを打ち込んでこれにナットを組ませるときに、ボルトが回らないようにするためである。頭部を丸くするのは、手ざわりがなめらかでぐあいが良いからである」

 どうだろう書き写してみると名文である。手ざわりがなめらかでぐあいが良い。なんだか、うっとりして何度も書いてしまう。なにしろ手ざわりがなめらかでぐあいが良いのだ。なぜ「客車ボルト」なのかはついによくわからないが、そんなことはどうでもよい、気もする。おそらくヨーロッパの紳士淑女が乗る特別な客車においてお使われあそばされていたとかなんとか、そこいらの事情であろう。ああ、私も手ざわりがなめらかでぐあいが良い客車に乗ってみたい。手ざわりがなめらかでぐあいが良い家族に囲まれて、手ざわりがなめらかでぐあいが良い暮らしをしたいものである。

 と、さしたる中身もないまま書きたいことはおおむね以上だが、∬の数を数えてみると後半にゆくに従って徐々に数が減ってゆく。だからといってどうということはないが、そうか、そういう構造だったのか、とつぶやきつつ手にしたステッキを振りふり去ってゆくのである。


※文中の説明は「メカニズムの事典」伊藤茂編、理工学社(1983)から引用しました。
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