先日、テレビで深夜のバラエティ番組を眺めていたら、なんということはないゲームで、しかしちょっと面白い展開があった。番組の名前や登場するタレント、ゲームの詳細は実はあまり本質的な問題ではないのだが、さわりだけ紹介すると、紹介された三品の料理の中で、ゲストが「本当はどれが食べたいか」を選び、それをレギュラー陣が当てるというゲームである。勝てばその料理が食べられる。
登場する料理の内容や、料理の紹介に関連してかわされる会話、ゲームの勝敗の基準、といった枝葉を落としてしまうと、要するにこれは「他人が何を考えているのか当てるゲーム」ということになる。握った両手を差し出して、どちらに飴玉が入っているかを当てる。伏せた三つのカップの、どれに毛糸球が入っているかを当てる。こういうのと同じと言ってよい。もちろん、この骨格の上にどういうデコレーションを施すかがつまり「番組作り」というもので、「ゲーム性はジャンケンと等しい」と捉えたからといって番組の価値を貶めることにはならないと思うが、少なくとも本質はそういうことになる。
今回、面白いのは、既に心を決めているゲストに対して、それがどれかを当てようとするレギュラーの一人が発した質問である。
「嘘でいいので、このうちどれが食べたいか、指してもらえませんか。嘘でいいですから」
おそろしく頭のよい、そして、このゲームの本質をあらためて意識させる、すぐれた質問ではないかと思う。
どういうことかを説明する前に、少し脇道に逸れたい。ここ数年、自家用車での移動が多かった私だが、今年になって、これではいけないと自転車にまた乗り始めた。七年前から使っている、錆びた標準装備の鍵ひとつでは不安なので、新たに百円ショップで番号鍵をひとつ買ってきて、後輪に取り付けている。この鍵は、鎖をタイヤに巻いてロックをかけるもので、番号4つを揃えて鍵を開ける仕組みである。私が買って来たものは、最初から設定されている鍵の番号を変えることはできないので、忘れないよう覚えておかなければならない。よくよく考えてみたが、その番号をここで書いてしまっても問題はなさそうである。なので書くが、私の鍵の数字は「5441」である。
番号鍵はみんなそうだが、この鍵も簡単な計算で鍵の「強さ」を算出できる。鍵には1から6まで(0から9ではない)の数字が4つあるので、6の4乗で、全部で1296通りの番号があることになる。うち1つしかない正しい組み合わせ(「5441」)だけが鍵を開けることができるので、鍵の強さとしては「1296」という数字で代表するのがいいだろう。
これは、考えるだに「強い」鍵ではない。番号を知らない泥棒が私の鍵を開けようと思ったとき「順番に全部の番号を試してゆく」という力づくの方法をとったとしても、一秒につき1つの数字を試せるとして、全部の数字を試すのに22分をちょっと切るくらいの時間しかかからない。やってみるとわかるが「一秒に1つ」というのはかなりのんびりしたペースなので、急げば10分かからないのではないだろうか。しかもこれは確実に開けるため、全部の数字を試すためにかかる時間であり、半分の時間があれば半分の確率で開けられるとも言える。平均して5分程度で開いてしまう鍵ということである。
ひとつの救いとして、この自転車は、ふだん私の家の軒下か公営の駐輪場のどちらかに停まっているので、泥棒が落ち着いて作業できる時間は少ないだろう、ということは言える。駐輪場には監視カメラがあるうえ守衛さんがなぜか三人も常駐しているので、22分が5分としても、それだけの時間を泥棒に許したりはしないと思われる(この点で危ないのはむしろ自宅の軒下だが、こちらは自転車を盗む人、需要が少ないだろう)。
などと、絶対かと訊ねられると自信はないが、まあ、サビサビながら標準の鍵も依然としてついていることだし、使い古しの自転車一台分の財産を託すのには足る防犯システムではないだろうか。二重ロックで防衛しておくことで、どれでもいいから自転車が一台欲しいと思っている泥棒が他の自転車を選んでくれたら私のは盗まれずに済むという、そういう、考えてみればひどい考えに基づいた相対的な安全システムであるとも言える。だいたい、断じて私のを盗むのだという明確な意図を持って泥棒が来たとしたら、経済的に有意味な範囲内でそれに対して防衛しきれる鍵などあるわけがないのである。
さて、毎朝毎夕のことなので、この自転車の番号鍵に関してはいろいろ考えた。そこで思ったのだが、この四桁の鍵は、上のように貧弱な鍵だが、扱い方一つで、さらに弱くなる可能性があるのではないか。
たとえば、鍵を開けるときには当然ながら毎回「5441」に合わせるわけだが、鍵をかけるとき、自転車から離れる前に何番に合わせるのか、という問題がある。ふつうは、適当にダイヤルを回して、いいかげんな数字に合わせておくのだと思うが、これは、何度もやっているとどうしても手順がいいかげんになって、いくつか回っていないダイヤルができたり、二つの隣り合った数字が同じ方向に同じだけ回ったりする、かもしれない。
自分が「適当に回した」と思っているのが本当に乱数的なものかというのも怪しい。多数の人を均してみると、一つ目のダイヤルは向こうに3つ回し、二つ目は手前に2つ回し…という「よくあるパターン」が存在する気がする。人間が乱数発生装置としては実に信頼できない、ランダムな数字列を書いてもらっても実際にはある種のパターンが存在する、というのはよく言われることで、そんな人間がちょっとやそっとランダムにしたつもりでも「番号鍵破りのプロ」にかかればお見通しのランダムさではないかと思うのである。
そういうわけで、最近では鍵をかけるときに気をつけて、わざわざ「1111」に揃えておくことにしている。これは、上のような推測を行うかもしれない泥棒に対して、何も情報を与えないでおこうという意図に基づいた、せめてもの防衛策である。
番号鍵の正しい番号を推測する手段はいろいろとあって、必ずしも単純ではないと思うが、話の都合上「あらかじめ合わせてある数字は候補から除外する」という方針が有効だと仮定しよう。つまり、人情として、鍵をかけるときに持ち主は全部のダイヤルを動かそうとするので、破ろうとした鍵がはじめ「1626」になっていたら、一桁目は1ではなく、二桁目は6ではなく…と仮定して始めることができる、とするわけである。もしこれが正しいとすれば、各桁6つではなく5つづつの数字を試せばよい。鍵の強さは1296から、わずか625にまで下がってしまうことになる。
このような方針に対抗するためには、鍵の数字とはまったく別の数字、たとえば1111に鍵を合わせて施錠するのがよい。開けようとした鍵が1111に合わせてあれば、これは、わざわざそうしたのだということが泥棒にも一目瞭然だから、そこから読み取れる情報はない。今の場合、たまたま正しい数字は5441なので最後の桁が一致しているが、そんなことは泥棒にはわからない。どれかの数字が1かもしれないし、そうではないかもしれない。なにもわからないのである。このようにしたからといって鍵が1296よりも強くなるわけではないが、625になる事態は避けられる。
そこで冒頭のゲームの話である。嘘でもいいからと断った上で、三つのうちどれかを指してもらうというのは「番号鍵を正しく合わせて、その後『適当』に回して、私に渡してください」と頼んでいるのに等しい。普通はこんなことで鍵が弱くなったとは思わないものだが、十分な経験を持った泥棒(あるいは手品師)は、上で私が大雑把に仮定した「全部のダイヤルが回っているはず」に似たノウハウを使って、なにがしかの情報を得ることができるずである。真実、具体的にどんなものが有効な方針かというのは私にはわからないが、いずれ、人間が乱数発生装置ではないということに拠って、一連の可能性の高い組み合わせが得られるはずだ。
料理を選ぶゲームの場合は、そもそも最初の選択からして乱数ではないわけで、当てる側がつけこむ隙はもともと大きい。さらに「嘘でもいいから」と選んでもらうことで、選んだときの目の動きや表情、「嘘」でどれを選ぶかということで、さらに判断材料が手に入る。ゲスト側がこれを逆手にとってうまくだますこともできるかもしれないが、ゲストにとっては相手のホームゲームで、しかも、だまされまい、と思っている相手をだますことは、そう簡単なことではない。
おそらく、私が「1111」に合わせておくように、ゲスト側としては(ゲームに負けて食べられなくなるよりはマシと割り切って)自分が食べたい料理はサイコロで選び、しかも自分でもなにが選ばれたかは見ないようにしておくのが最善だろう。もし「嘘でもいいから選んで」と尋ねられたらまたサイコロを振って出せばよい。この際、出目を見られさえしなければ、サイコロを振っていることが相手にわかっても平気であり、むしろこれ見よがしに振るとよい。当てる側は1/3の確率で正解を得られ、それ以上にはならない。
もちろん、盗まれなければよい自転車とは異なり、そういうイシコい手段を使うことで、番組としての面白さは大きく損なわれる。最善の方法かもしれないが、この「最善」というのがテレビとしてタレントとして最善、ということでないのは残念なことである。自転車の番号鍵をいちいち「1111」に戻しておくような男の言うことであるからして、しかたがないとも言えるが、鉛筆を転がして四択のクイズを勝ち抜いた日本ハムの新庄選手のような人もいることであるし、また銀行のキャッシュカードの暗証番号に厳しい管理が求められる時代でもあることだし、一人に一つづつ、手軽な乱数発生装置(たとえばサイコロ)を持ち歩くべき時代がやってきたのではないだろうか。この結論は自分でもなんだかよくわからないが、乱世と言えよう。