源泉をかけ流せ

 昔「買ってはいけない」という本がベストセラーになったことがある。タイトルをパロディにした反論本が出たりして、話の種にしたこともあるのだが、インパクトのある、よいタイトルだったと思うのである。内容については、書き出すと文明論のようになってしまい、また本自体が時代遅れでもあるし、読んでいてもあまり面白いものにもならないのだが、ただとっかかりとして、今回はこの中の「ツムラの日本の名湯」について述べたくだりを紹介したい。

「ツムラの日本の名湯」は入浴剤である。家庭のお風呂に入れるといい香りがして愉快になるアレだ。「日本の名湯」なので、いつものお風呂に入れるだけで有名温泉をばっちり再現、とはメーカーサイドは名言していないと思うが、まあそのあたりをむにゃむにゃとごまかしつつ、そういうイメージでもって作ってある製品だと言える。「買ってはいけない」ではそこを厳しくダンガイしているわけだ。製品を批判的な目で見なければなかなか気がつかないことだと思うのだが、ある温泉地の温泉に対して、主成分(イオン組成?)三つくらいをもって「再現した」としているだけなのだそうである。看板倒れでけしからん、ということが書いてあった。

 それで思い出すのが「バナナの香り」である。これは、中学の理科室程度の設備でできる、初歩的だが面白い実験、ということでよく引き合いに出されるもので、私も昔合成してみたことがある。最近はこの手の「おもしろ科学実験」のアイデアがさまざま知恵を絞って考え出され、また広く共有されるようになってきているので、今の中学生もこの香料合成に手を染めているのかどうかは怪しい気がするが、とにかく棚から取った数種の薬品を混ぜると、簡単にバナナの香りが作れるのである。

 バナナの香り作りは、首尾よく成功したとして「ああそうですか」というものなのだが、よく考えてみると、これは実は凄いことなのではないか。考えてもみよう、一般的な化学薬品とわずかな手間で合成できるエステルが、バナナの香りに思えてしまうのは、いったいぜんたいどのような働きによるものか。単純な原因から突如複雑な結果が生成されるという、生命の発生とか、カオス理論とか、あるいは、キーボードから「でつ」と打ち込むだけで画面上にスヌーピーの横顔が描けるとか、そういうのに似た特異さがここには見られるのではないか。

 ただし、うるさいことを言えば、これは完全な「バナナの香り」ではないらしい。試験管で合成できるエステルは、確かにバナナの香りの主成分なのだが、当たり前の話、本物のバナナの香りはもっと複雑微妙な成分が存在していて、簡単には作れない。単純な酢酸エチルは言われてみると確かにバナナにしては平板な気もする。つまり、このあたりが、入浴剤に似ているわけだ。安直に主成分だけ再現したものでも、人間は結構だまされてしまう、ということである。

 だまされる、と言ってしまってはツムラに失礼という気もするが、もう一つ「買ってはいけない」では、「日本の名湯」が主張する効能についても厳しく批判していた。血行促進とあるが、お湯につかったら血行が促進されるのは、あんた、当たり前やおまへんかいな、と、べつにこんな口調ではないが、たとえばそのように言っているのである。たいへんもっともと思うのだが、しかし、それを言えばだ。それを言えば、そもそもの温泉、本物のいわゆる温泉からして、謳われている効能にはずいぶんと怪しいところがあるのではないか。

 そもそも、温泉というのは、地中にあった水が、地熱であっためられて、地上に噴出したものである。自然の粋なはからいと言うべきで、「お医者様にも草津の湯にも」と唄にあるように、昔から温泉にはさまざまな効能があるとされてきた。しかしこれも、そういえば、どうしてそうなのか。川なり水たまりなり地下水なり、そのへんの水を飲んでみるとわかるが、健康に効能のある水は本当に少ない。それなのにどうして温泉だけに特別な効能があると言えるのだろうか。いや「血行促進」に効果があるだろうことはわかるが、自分の家のお風呂に加えるに何か特別な効能が、温泉にはあるのか。

 温泉自体には、なにも特別なことがあるわけではない。地中で温められているので、さまざまな物質が溶け出して、複雑な液体になっていることが想像されるが、それが体にいいかどうかはまったく別の話である。よく「源泉かけ流し」と言われる、湧き出したままの温泉をお風呂にためたもの、沸かしなおしたり再利用していないものが最高であるとされるが、ではそのほうが効果が高いのかについても、判然としない。何度も循環させて使っていると、細菌が増殖したり等のリスクがあるから、使い捨てにするほうがいいには決まっているが、加熱したり水を加えたりしてはいけない理由は特にない気がするのである。

 温泉が本当に体にいいかどうか調べたいなら、方法はある。本物の源泉かけ流しと、温泉成分(のうち、調査したい、特に効くとされる成分)を取り除いた「ニセ温泉」を作って、そのことを知らせずに客を二分してそれぞれの温泉に入れ、あとでどちらのグループの疾病が改善したか調査すればよい。人体が自然に持つ回復力と、温かいお湯による血行促進、および宿の従業員の皆さんの心をつくしたおもてなしにより、どちらのグループもある程度快復するかと思われるが、両者の比較で、本物の温泉のほうが効果が大きく、そしてそれが統計的に意味のある差であれば、科学的に温泉に効果があるということが実証されるのである。

 しかし、方法があるということと、実際にやってみるべきだということは違う。これは、こんな調査をしても、誰一人として幸せにはなれない、ということである。まず温泉地が困る。というのはつまり、真剣にやってみると「差はない」という結果が出るだろうと私は思っているということなのだが、温泉にやってくる人の皆が温泉に効能があると信じているわけではないとしても、「源泉かけ流し」でないとわかったら客が減るように、やはりどうせ入るなら効能のある温泉に、と思っている人が多いことは間違いない。また「アガ某が効く」とも同一視はできない。こういう代替治療とは異なり、温泉につかっているんだから医者にいかなくても平気、とはみんな考えないので、患者から正規の治療を受ける機会を奪っているとは言えないからである。なにもいいことはないのだ。

 そう思えば「ツムラの日本の名湯」をはじめとする入浴剤は、購入者がそれと信じる限り効果があるという、そういうものだと思えてならない。自分が温泉に入ったと思い、気分がよくなり、そのことである程度気分がよくなったらそれでよいのであり、もともとの温泉にだって、たぶん、それこそが効果の源泉であると言えるのではないか。思い切って言えば、効果がゼロのもののイミテーションの効果はゼロでもよいのではないか。

 スヌーピーは簡単に書けるが、チャーリーブラウンは簡単には書けないように、化学薬品で簡単にバナナの香りは作れるからといって、どんな香りでも簡単に作れるわけではない。それが科学の限界というものだが、気分よく生きるということが、人間が人間世界において達成すべき究極の目標であるならば、断罪するよりは、あえて曖昧モコに置いておくことも必要なのではないかと、そう思うのでつ。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧ヘ][△次を読む