黒に生きる

 黒か、と私は思った。黒なのである。アップルから発売された新しいノートパソコン(MacBookという、つまりiBookにインテルが入ったやつ)の、三つあるうち一番偉いのが黒なのだ。あとは白だが長男だけ黒だったのである。

 私は、今白いパソコンを使っている。ポリシーなどない。前回使っていたノートパソコンがいきなり故障し、それはもうネミミニミズっと故障し、そのときの貯金で買えた、一番安いノートパソコンが白かったのだ。その前のは黒かった。その前は確かグレーである。どれも無彩色には違いないが、印象はだいぶ違う。節操のないことである。

 と、そういう私ではあるが、ここで私は問いたいのである。私が今次のパソコンを買うとして、色は白か、黒かということだ。

 黒はいい。なんといってもこれからは黒だという気がする。なにしろ、牛も豚も、黒い方が偉いのである。黒毛和牛とか、黒豚というアレだ。黒ごまや黒豆は体によい。なにがどういいかはよくわからないが、いいとかいう話だ。黒酢というのもあってこれは飲むと体が柔らかくなる。私はいつもコーヒーはブラックだ。

 そうだ思い出したブラックコーヒーだ。カップのコーヒーを出す自動販売機で、不満に思っていることがあったのだった。カップのコーヒーというのは、あれはどういうわけだか、買うときに押すボタンが四つある。「ミルク+砂糖入り」「ミルク入り」「砂糖入り」「ブラック」である。2ビットの情報を四つのボタンで選択するようになっているわけだが、ここで思うのだ。非常にみみっちくまたかっこうわるいことではあるが、思うのである。なぜ同じ値段なのかと。

 この「ブラックは損をしているの法則」あるいは「ブラックやせ我慢の法則」は、マックにおいても猖獗を極めている。いや、この場合のマックはマッキントッシュではなくマクドナルドのことだが、このマクドのほうのマックでも同様に猖獗を極めている。こういうところでコーヒーを買うと、必ず窓口で「ミルクとお砂糖お使いになりますか」と聞かれる。特に何も聞かれないまま勝手にミルクお砂糖がついてくることもあるが、未使用の砂糖やミルクを無為にゴミ箱に捨てると、自分がものすごく悪いことを、それはもう仮に死んだ後天国に行けることになったとしても門のところにミルクの精と砂糖の精が立っていて結局地獄に蹴り落とされることになるような、そんな悪いことをしている感じがするので、可能な限り断るようにしている。そうするとマクドナルドは私に砂糖ミルクを供給しなくてよくなるわけでそのぶん得をしているわけだが、ここで思うのだ。これはつまり、コーヒーを飲むときにミルクや砂糖をがばがばと消費する、そういう習慣を持つ人のコストを、ブラック派が負担している構造なのではないかと。搾取されてるぞブラック派。

 だんだん話が最初の計画と異なる方向に進んでゆくのを感じるが、面白いので続ける。マクドナルドの場合、コーヒーはお代わりは自由である。マクドナルドは今ホットコーヒー(S)を百円で販売しているので、百円でコーヒーを買い、あとは時間と羞恥心の許す限り、いくらでも粘ることができる。商売はどうなっているのかと思うが、とにかくそういうわけで私は飲み干したコーヒーのカップを持って、お代わりをもらいに行く。そうすると、またしてもカウンターで聞かれるのである。砂糖とミルクはお使いになりますかと。使わないのである。断るのである。そうすると、なんだか損した気分になるのである。タダでお代わりをもらっているくせに、そんなことを思うのはどこか間違っている。

 というわけで世界はブラックのコーヒーを飲む人によって支えられているので、ミルクや砂糖を入れる人は私にもっと感謝してください。さて、黒が偉いという話であった。今年、ユニホームを変えて黒くなったのが読売ジャイアンツである。私はこれを初めて見たとき、ぎゃ、巨人が黒くなった。悪者になった、と思ったものだったが、ところがこれが黒い。ではなくて、ところがこれが強い。とても強い。黒いのはビジター用のユニホームだけらしいのだが、なんだかとても黒くて強い気がするのである。黒の力というのはやっぱりあるのではないか。

 ところで、紹介記事なんかを読んでいると、黒いMacBookは白いのに比べ、中身の違いを考慮しても一万円ほど余計に高いらしい。もしかして、黒いのは偉い印ではなく、高い印だろうか。そう思うと、黒毛和牛も黒豚も、黒ごまも黒豆も、黒酢もブラックコーヒーも、他に比べてなにはさておき高いという、それだけは確かなのである。大丈夫。ジャイアンツだけは黒くて強いだけだ。むしろ視聴率が低くてチケットも安い。


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