これが私の思い過ごしでなければよいのだが、「半角」という言葉にはどうも半端者、余り物というような語感がある。半角というのはつまり半角文字、「1」「a」のことだが、ここで問題にしたいのは「半」の文字だ。なんといっても全角、「1」とか「a」こそがまっとうな一人前の文字で、半角はその半分にすぎないのであり、半角など、全角になりたくてなれなかったかわいそうな文字ですよねえ、というような感じがするのだがどうか。早く全角になりたいというあれであり、全の半分だから半角なのだ。言うまでもなくこれはひどい言われようであり、国連人権委で問題にならずに済んでいるのは、単に「半角文字は人間ではない」という事情があるからに過ぎない。そんな気がする。
また大西がぞろへんなことを言い始めたぞ、と思うあなたもまあ考えて欲しい。もしもあなたが半角文字として生まれたならばどう思うかをである。嫌ではないか。あなたとあなたの父母兄弟が、学校でも社会でも「半人」呼ばわりをされていたとしたら。半人ってなんだ。何が半分か。むしろ半人こそが「標準人」であり、全人なぞあれだ、太くて間延びしていてひとりでは何もできない能無しではないか、とか何とか、酒を飲むたびに周囲にくだを巻いていたはずである。これはある程度その通りであって、まさか人権に配慮したわけはないが「2バイト文字」という言い換え語がすでにある。これによればいわゆる半角文字は「1バイト文字」と呼ぶべきものであり、こう書けば1バイト文字こそがすべての基本である感じがちゃんとする。1バイト文字という言い方が定着すればこそ、半角呼ばわりされ差別されてきた父祖の霊も安んじて眠りにつけるのだ。
つかないと思うが、まあそんな半角である。パソコン、特に最近のマックやらウィンドウズXPやらが載ったパソコンを使っていると、実のところむしろ全角文字の融通の利かなさにイライラすることのほうが多い。というのは、たとえば数字にまつわる問題だ。確認するためにしつこく書くが、パソコンの世界には「1」という数字は少なくとも2種類あって、一つは半角の「1」であり、もう一つは全角の「1」である。他のいろいろ、漢数字の一やらローマ数字のIやら丸の中に「1」と書いてある文字がパソコンにとって1でないのは、まあ一歩ゆずって納得するとしても、全角の「1」がなぜパソコンにとっては数字ではないのか、素人目にはなんとなく納得しがたい。半角の1だけが1であり全角の1が「1という形をしているが実は数字ではない文字」であるということは、客観的に見て、けっこう奇妙で意外な事実ではないかと思うのだ。
つまり、パソコンに向かって数字を入力する場合、二通りの目的に合わせてこの二種類の文字を使い分ける必要が生じるのだ。一つは人間向けに文章の一部として数字を入れる場合。これは全角でも半角でもどっちでもいいし、場合によっては丸の中に入れたっていい。見栄えのいいのを使い分ければいいのだが、日本語の文章との間で違和感がないのはどちらかといえば全角文字のほうだと思う。そしてもう一つはコマンドとして機械に向かって数字を入れる場合で、端的には表計算ソフトに計算させようと思って数字を入れる場合だが、これは半角でなければならないのである。「1」は数字ではない、とコンピューターは解釈するからだ。
そう、実際に1と1は異なっている。見た感じほとんど同じ二つの文字ではあるが、一方はパソコンに通じる1であり一方はただの文字だ。せやてそんなん当たり前ちゃうン?と言いそうになった播州出身のあなたも、自分がパソコンを使い始めたときのことを思い出してほしい。などと言いながら、私はというとよく思い出せないのだが、パソコンを使い始めた父母に教えるときに困った記憶は鮮明にある。たとえばウェブ。ウェブブラウザをちょこっと開いて、買い物でもしようかと思う。届け先に入力する郵便番号あるいは電話番号、はたまたカードの番号に有効期限。そうしたものを入れる時にうかうかと全角で入れてみるとどうなるか。せっかく入力して「送信」ボタンを押したとたんに、「入力し直してください」の画面になるのである。わざわざ「数字は半角で入力ください」と出る。いつの間にか慣れてなんとも思わなくなっているが、これは実はけっこう意外で、かつ面倒なことではないだろうか。
ああそうか半角じゃないと駄目か、と思って入れ直すくらいなんてことないよとあなたは思うかもしれない。さよう入力し直すくらい簡単なことだ。しかし、ちょっと真剣に思うのだが、そうやって一歩いっぽ譲歩するから世の中に使いにくい道具があふれ返るのではないだろうか。確かに今はいい。しかしいつか疲れていて目がしょぼしょぼしてさらに急いでいて頭が痛くて泣きそうになりながら郵便番号を入力することがないとはいえない。いやきっとあるのであって、そんなときに「入力し直してください」と言われたとしたらどうか。そのときになってはじめて、ああ、あのときに入れ直すからいいやと思ったおれが馬鹿だった、と人は若かった日のことを後悔するのではないか。機械に譲歩する上で覚えておくべきは「今回は譲ってあげるから次はよろしくね」は効かないということである。これからの一生、疲れた時も病める時もひたすらに譲歩につぐ譲歩を続ける覚悟をしっかりと固めて、その上で許すのでなければ機械に向かって「いいですよそれくらい」と言ってはいけない。使い古された言葉だが、機械には血も涙もないのである。
しかし考えてみれば、むこうは機械なのである。機械の悪いところは人情を解さないところかもしれないが、その一方でいいところももちろんあって、たとえば検索置換などというのはコンピューターにしかできないと言ってもいい電算機のお家芸である。であればだ。全角で郵便番号を入れたとして、それを半角数字に変換するくらい、お茶の子さいさい天網かいかいではないか。さすがに「三百五十一万とんで百十一」などと書いておいてこれを変換しろというのは無体な要望である気が私にもする。やってやれなくはないだろう、音声認識やOCRやCAPTCHA(キャプチャ、グーグルでメールアカウントをもらうときに画像から読み取った数字の入力を求められるあれ)破りよりは簡単だろうとは思うが、しかし今私がやれ、やってください、やってくれてもいいんじゃない?と言っているのはたかだか「3510111」を「3510111」と同じとみなすという、それだけのことなのだ。内部的に変換テーブルの一個持っていれば、それでいい。そうではないか。
ああいうウェブ上の入力フォームにおいて、数字を入れるべき部分では全角文字を頑として受け付けない、何かもっともな理由はあるのだろうか。たとえば、誤入力をするような精神状態の人を検出するために、わざと入力条件を厳しくしておくという方法論はもしかしたらあるかもしれない。とはいえ、そういうのはどうだろうほかのどこかでやっていただくとして、全角数字で入力するくらいはいいことにしてくれてもいいとは思う。似たような話で、ウェブ上でニュースを読んでいるとときどき記事中でメールアドレスやらURLを示してあることがあるが、それがhttp://onisci.com/みたいに全角で書いてあることがあって、これはもう、なにをしてくれるのかと責任者の鼻の頭をかじりたくなる。記事を出稿するときにちょっと気をつけたらみんなが幸せになれるではないかこの赤っ鼻野郎。
いやそうではない。悪いのは全角でURLを書いて受け付けないウェブブラウザである。これしきの問題がなぜ解決しないのか、理由を想像するに、一つにはウィンドウズにせよマックOSにせよ日本で作っているわけではなく、作っているほうには我々の声無き声はぜんぜん届いていないのではないかというのはやはりある。「はあっ?何のサポートですって?すいませんが1バイト文字で言っていただけますかねえ?」と言われるという、上とは逆差別であるアレだが、もう一つ厄介というか、システムを長年にわたって解決から遠ざけていると思われるのは「すぐ慣れる」という人間のほうのフレキシビリティであると思う。事実、最近のシステムはずいぶんこなれてきて、ホームページのアドレスなどを全角で入力してもふつうに受け入れてくれる場合も多い。しかし、我々はもう長い間こういうのは半角で入れないととにかく駄目なのだと慣らされていて思い込んでいるので、なんとも思わず半角で入力しなおしてしまうのである。入力しなおして悪いことは特に無いので、いつまでたっても便利さに気づかないし、せっかくサポートしてくれたプログラマの給料も上がらない。ここのところ、うまく論理がつながらないが、そういうわけで問題が解決しないのだ。やはり、ときどきいったんは馬鹿になり、懲りもせず全角で入力しては「なんどいこれ全角通らへんがい」とサポートに向かって播州弁で毒づかない限り、世界は進歩しないのではないか。
さてそういうことなので、なかなか気づかない人は気づかないと思うのだが、最近のシステムは確かに進歩をしている。たとえば書類の印刷をして、出てくる画面に数字を入力することがあるが、たとえば印刷部数。システムの種類やバージョンにもよると思うが、ここにいつの頃からか、全角数字を入れても普通に認識してくれるようになった。あ、間違えたこれ全角だ、と入力してから気づいて、しかしそれを脳の別の部位が認識するよりも早く、実行を押してしまう。ところがこれがうまく行くのである。「2」と全角で入れたのにちゃんと2枚出てきたときは、これで驚くべきではなく「やっとお前も日本で働くということがどういうことかわかってきたな」と言い放つべきではないかと思っていてなお、驚いたし、うれしかった。えらいぞマイクロソフト日本法人。がんばれマイクロソフト日本法人。ついでにアップルの日本法人もがんばれ。
このことで、本当の意味で理解できた。印刷部数の入力のような場面で入力モードを気にしないでいいというのは、実は非常に精神衛生上いい。入力モードを切り替えて入力し、また必要に応じて元に戻すというのは、意識していなかったのだが、けっこうストレスになっているらしく、間違えて全角で「3」などと入力してから、ああいいんだ訂正しないでいいんだ、と思うと、明らかにほっとするのである。とはいえ長年の習慣というのは恐ろしく、余裕があるときは常に半角で入力する癖はまだ抜けないのだが。
さてそういうことがあってからある程度経ったある日。私は会社で仕事の書類を印刷しようとして、すべてのページは必要ない、ということに気づいた。それはパワーポイント(プレゼンテーションソフト)なのだが、三十数ページあるこの書類の中で、欲しいのはどうやら15ページ目だけである。これで全部を印刷するのは地球にもあれだし会社の経営上でもあれだし第一おばかさんである。私はプリントウィンドウで「指定ページだけ印刷」のところを選択して、入力箱のところに「15」と書いた。あ、思わず全角で入ったが、そういえばいいのだこれでいいのだ、ああ実に便利だ、と思って、印刷ボタンを押す。
「ページの指定が間違っています」
「はい?」
間違っていないのだが、あれおいまさかと理由にはすぐ思い至る。「15」を消して、「15」と入力しなおし、それから印刷ボタンを押すと。
どうだろうちゃんと15ページだけが印刷されたのである。私は本当に思うのだが、ここで「なんどいこれ全角通らへんがい」とサポートに電話しなかったがために、他の数多くの人々が今も苦しんでいるのだと思う。責任を感じて、ここに経緯を書いておくしだいである。