開いてしまいましたね。このページを。
この「大西科学」のトップページ「大正八年設立」云々と書いてあることは、まあその、ぶっちゃけた話嘘であるわけですが、それでもページ設立以来十一年、私はここに、いい話を書こうと努力して参りました。読むとためになって、思わず誰かに話したくなる、まあそれは無理としても、読んでイヤな気分になるようなことだけは書かないでおこう、読んでくれた方が「ああよかったまだこんな暢気な人がいるんだから大丈夫だ」と思って帰ってくださるような、そういうこうほんわかしたページを目指してきたのです。違いますか皆様。
読むとイヤな気持ちになるのはどういう文章でしょうか。あります、こう、腹の底から黒っぽいどろどろしたものを表に出してですね、読むといやあな汗が心臓のあたりをしたたり落ちるような、それが胃に溜まって昼に食べたものの消化をみるみる悪化させるような。解剖学的に間違っているとは思いますが、感覚としてそういう文章はやっぱりあります。やれ、姑が気にいらないとか、やれ上司が無理難題を押し付けるとか、そういうのですが、つまり、そういうのは書かないでおこう。そういうのはほら、何ていうのか、新聞と一緒に毎朝家に届けられる広告の、裏が白いやつ、あれにでも書いて自宅の廊下に貼り出しといたらいいじゃないかと、そういう気持ちでやっていたわけです。
もちろん、だからといってうまくそれができていたかというとそれはまた別の話。会社のポリシーが「コンプライアンスを遵守しステークホルダーの皆様にご信頼をいただく」とかそういうのだからって悪いことをしていないわけではないのと一緒です。ああ黒いことを書いてしまった。えーと「お父さんお母さんを大切にしよう」とか「寝る前に歯を磨こう」みたいなものです。
ところが今日は違う。今回は私が先日遭遇した災難について書いて読みに来ていただいたみんなにちょっとイヤな気持ちになっていただき、同時にそのことを書いて広く読んでもらうことによって私にたまったいやなストレスを解消しようという、つまりそういう回になります。しかもぶっちゃけた話、これはミクシィの日記に既に書いた奴のほぼそのまま再利用、使い回しであって、そういう更新のしかたをすることからして非常に腹黒い。いやな気持ちになる。歯を一週間くらい磨き忘れた感じになる、そういう回であるのです。せっかく読みに来ていただいた皆様の本日今晩を台無しにすることによって明日私が明るく元気に生きよう、生きられればいいではないかというチラシの裏日記です。イヤならすぐページを閉じたらいいじゃない。何も読んでくれって頼んだ覚えはないのよ。ふん、あなたのために書いてるんじゃないんだからっ。
と予防線を張ったところで、本題。
その日の朝、アイポッドで音楽を聴きながら通勤のために道を歩いていたら、前でぱちぱち、と手を叩く音がしました。それが、
「いいぞよくやったすばらしい」
「今の駄洒落きれいにまとまってましたね」
「ナイスショットです社長」
というときのぱちぱちじゃなくて、なんじゃおまえ叩き殺すぞ、という勢いのぱちぱちです。どういうぱちぱちか。よく私は、風呂から上がった子供たちを早く着替えさせるために「子供のむきだしのお尻や背中を見るとぱちぱちと力いっぱい叩く習性を持った『パチン』という名前の架空の生き物」を登場させて子供にパジャマを着させるのですが、そのパチンが出すような音です。虐待ではないです。早く着替えないと風邪を引いてもっと辛い思いをするのであって、心を鬼にしてぱちんぱちんと、しかも自分の子供ではなく自分の手で音をたてて追い立てているのです。だってそうしないといつまでたっても着替えないで遊びかけのブロックを合体変形させてやがるのですよあいつらは。「着替えなさい」って言っても聞いちゃいないんですから。
で、『パチン』の登場を知った子供たちと同じように、私もなかば驚愕して、目をあげました。だって音楽を聴いていたら突然ばちこーんばちこーんと音がしたら誰だって、うわなんだろ、となるものですよ。そうしたらば、まっすぐ前から六十代くらいの、スポーツウェアを着ている男性が、どえらい勢いで、こっちに向かって走ってくるのです。しかも両手を力いっぱいたたき合わせながら。どひゃあ、と思って思わずよけたら、私の歩いていた軌道上をその男はどんどん走っていってしまいました。
見送って、もとの道に戻って、三歩くらい歩いて、それから気づきました。気づいたのです。
ああこれはあれだ。手の音で「どけ」と言われたのだ。
いやいやいやいや。理解はしましたが納得はできませんできるものですか。天下の公道で、なんで私があんなジャンクマンみたいなおっちゃんに道をあけないといけないのですか。ここは競技場でも公園でもなく、したがって通勤の私とジョギングのあなた、どっちかというとイレギュラーな道の使い方はあなたのほうで、最低限どっちが道をあけるかはイーブンじゃないすか普通。むしろプロのランナーでもあるまいし健康ないし個人的な記録のために朝の出勤時間に道を走っている人と、これから一日しんどいけど我慢して働いて会社に貢献しもって税金と年金を納め景気回復のために尽くしている私と、さあ道をあけないといけないのはどっちなんだどっちだ教えてくれ、え、このぱちぱち野郎。
……と思ったわけですが、えらそうなのはすいませんゆるしてください。なにしろ考えてみれば、思わず道を譲ってしまった結果、これはつまり私は「脅されて道をあけた」ということであって、そう考えるとむしょうにはらがたつのです。ひらがなで書いても腹が立つのは同じ。むくむくと、もう、やりばのないくろいくろいいかりがこみあげてくるわけですよ。ふだん必死で押し隠している私という素材本来の真っ黒な味が、復讐しろ叩きのめせ、とささやきかけてくるのですよ。
どうしたらよかったか。グリードアイランドで魔法を使うときみたいにこっちに一五秒くらい対処の時間が与えられたらどんな防御魔法を使ったらよかったか。その場に立ち止まり、持っていた傘を剣のように構えて応戦するとか。自分もぱちぱちと手を叩き返すとか。あるいは自分も相手に向かって姿勢を低くし全速力で走り出すとか。どれをやっても痛快だった気がしますが、この世界ではすべてが手遅れなのです。なにしろあっちはランナー。ランナーはランナーなので走っていて、考えている間にもたちまち走っていってしまうのです。事象の地平の彼方まで。行っちゃって、どうにもならないので、私は諦めました。仕事に行きました。一日辛かったです。
それがどうした。さあそれだけです。道は誰のものかとか、一回きり出会って相手に不快な思いをさせて去ってゆくという行為は現代の病理かあるいは昔っからあるのかとか、そういう方向に話を持ってゆくとちょっと社会派な感じがしますし新聞のコラムだったらそうやって最終的にはこれも小泉改革のツケかというところまで話を持ってゆきます。それがプロの腕というものです。しかし私はというと、少なくとも私は日記に書いて、さらにここにも書いて、非常に溜飲が下がったので、これで終わるのでした。いやあ、書くってことは、こういうふうに素敵なことですよ。みんなも腹が立ったら雑文を書くといいと思うよ。