最終話『さよなら、スピードマン』

 玉座から悠然と立ち上がった、子どものようなその姿は、スピードマン各務剛志にとって、あまりにも懐かしい記憶に直結するものであった。六年の歳月が過ぎ、成長を遂げたとしても、その面影は変わらない。妻、量子の優しげな目元を受け継いだ、その面立ちは、各務の二人目の子供、恵子の弟、勝のものだったのだ。

「まさる」
 と各務は、からからに干からびたような喉の奥から、やっと押しだすように、つぶやいた。
「そうだ、スピードマン。余の名は勝。お前の子だ」
 バグエンペラーは、不思議な微笑を浮かべながら、スピードマンを見下ろすように、答える。

 あの日、獣人博士の組織した獣人帝國バグーは、突然、各務の一家四人が住む、神戸の家を襲撃した。初めての実戦として、スピードマンに変身した各務は、送り込まれたプロト・バグノイドと戦いかろうじてこれを倒した。だが、その代償として、焼失した自宅から救うことができたのは恵子ただ一人。最愛の妻と息子を、永遠に失ったのだった。いや、失ったと、思っていた。さっきまでは。

「あのとき、バグメイトが、お前をさらって行ったという、わけか」
「そうだ。だが、勘違いしては困る。あくまで余は、ハードウェア的にお前の息子だ、というだけなのだから」
 各務の表情がふたたび凍りついた。バグエンペラーは、あくまで静かに、言葉を続ける。
「そう、ここにいるのは、余だ、スピードマン。余は、五年前からずっと、ここにいたのだ。この、お前の息子の中に。たやすい作業だったよ、地球人の構造は、実に単純だ」
 獣人博士。各務は悟った。今度こそ永久に、勝を失ったことを。

 その頃大阪は、それまでとまた異なった、大混乱に陥っていた。占領軍であるはずのバグノイド隊が、指令の途絶に身動きが取れなくなっていたのである。特に、いまだテレビで放映され続けている謁見室の映像、スピードマンの戦いには、惑乱し、持ち場を放棄して海底基地に引き返し始めた隊もあった。これに力を得た自衛隊、警察隊により、部分的に奪い返された拠点さえあった。今や舞台にただ二人となった、スピードマンとバグエンペラーの会話を、バグメイトの一人が操作するカメラが、大阪中に中継していたのである。

 カメラを操作しているのは、バグメイト三八号であった。自意識に目覚めた彼、本来意識と知能を奪われたバグメイトとしては欠陥品である彼は、バグメイトとしてはほとんど使用年限に達したとして、この総攻撃にあたって実動部隊から外され、今の役を与えられたのであった。彼は、人工生命としての自分の命が、もともと設計に折り込まれた実用年限に制限されており、それがさほど長くないことを悟っていた。であれば、この役目を、帝王とその宿敵との戦いの記録という役目を最後まで果たすことが、自分の生きた何らかの証になる、と、信じていたのだった。

 恵子もまた、美奈子と共にテレビでこの戦いを、声を忘れたかのように、見つめていた。彼女の記憶が、堰を切ったようにあふれ出てくる。かつて封じられた、彼女の過去の記憶が。スピードマンは、やはり父だった。恵子には、幼い弟がいた。神戸の家は、おそろしいバグノイドの襲撃によって、焼け落ちたのだった。彼女はそのために心を閉ざし、各務に懇願された異星人ポレポレの技術によって、その記憶を封じられたのだった。彼女が成長し、その記憶に耐えられるようになるその日まで。だが、今なお、だが。

 スピードマンとバグエンペラーの対峙と共に、中継は続いていた。
「むろん、お前と同じ超ひも場関連技術を利用することは、余の側には認められておらぬ。だが、それがお前のものを応用するものであれば」
 バグエンペラーはただ呆然としているかに見えるスピードマンに、独り言のような説明を続けていた。
「お前の力を利用するものであれば、ルール上禁止されてはいないのだ。だからこそ余は、お前の息子を誘拐した。お前の持つナノマシンに適合する可能性を持った、唯一の存在を。お前の遺伝子を受け継ぐ、地球人のオスを」
 各務の顔が、かすかに歪む。だが、勝の顔を持つバグエンペラーに、気圧されたように、スピードマンはその場から動けない。
「そして、今や、モスキートバグが回収したナノマシンによって、今や余にもその力が備わったのだ。見よ」
 バグエンペラーは、長広舌を終え、ふう、と一息継ぐと、その穏やかな少年の顔に不似合いな、勝ち誇るような表情を貼り付かせたまま、静かに続けた。
「スピードアップ」

 超ひも場の異常展開にともなう発光現象の、光輝に包まれるバグエンペラーの体。一瞬の後、そこに立っていたのは、各務とうり二つの、スピードマンの姿であった。
「SSSブレード」
 新たに登場したスピードマンの、バグエンペラーの右手に、輝く単素粒子の剣が出現する。
「では、始めようか、スピードマン」
 次の瞬間、各務は、意味不明のわめき声をあげつつ、バグエンペラーに斬りかかっていった。

 テレビの画面の向こうで始まった、激しい剣戟の音。SSSブレード同士がぶつかり合い、異様な振動を発しつつお互いに跳ね返される。夢のように非現実的に、どこか血なまぐささを感じない、二人のスピードマンの戦い。
「ケーコっ」
 ぐい、と美奈子に肩を抱かれ、画面から、過去の記憶から、恵子は現実に引き戻される。何を。あそこで戦っているのはパパとまさるで、それから。
「ケーコっ。私たちは、何があっても、友達なんだからね」
「!」
 唐突な宣言に、恵子は毒気を抜かれる。何と言い返すべきかわからない。しかたなく、美奈子にあいまいな笑顔を作ってみせる。
「だから、しっかりして、ね」
 と、ほほ笑み返す美奈子。その言葉に、ふっ、と肩の力を抜いて、頷いた恵子は、ふと美奈子の笑顔の向こう、部屋の窓の外を見やる。西の空に、夕日が沈むところだった。長い一日が、終わろうとしている。

 スピードマンは押されていた。限界を無視して戦い続けてきた各務の肉体も、いよいよ終末を迎えようとしている。それに比べ、実戦経験に劣るとはいえ、バグエンペラーは決して焦らなかった。各務の攻撃を防ぎつつ、疲労を待って、勝負を決めようとしていた。

 一瞬。各務は足を滑らせる。SSジャンプで間合いを取ろうとして、今まで感じたことのない無力感に気がつく各務。無防備な肩に受けたSSSブレードの、ハンマーのような衝撃にぐらり、とふらつきつつ、辛うじて次の一撃をのけ反ってかわす。バグエンペラーは言い放った。
「どこに行くつもりだ。戦いはこれからだぞスピードマン」
 呼吸の必要はないはずのスピードマンの口から苦痛のあえぎが漏れる。いよいよ限界か、いや、違う。スピードマンは、押しだすように言った。
「SSジャンプを、封じた、のか」
 スピードマンの繰り出した苦しい攻撃を楽々と受け止め、バグエンペラーは矢継ぎ早の攻撃に転じる。スピードマンは余裕もなく、精いっぱいの防御も、いくつかの命中を避けきれない。閃光のような、とどめの一撃。スピードマンは、飛びすさって衝撃を緩和しようとするも、体勢を崩し、ぶざまにも地面に転がってしまう。あえて追い討ちをかけず、それを冷酷に見つめつつ、バグエンペラーは告げる。
「もはや、お前の負けだ。スピードマン。教えてやろう」
 倒れたスピードマンにつきつけられたバグエンペラーのSSSブレードに、スピードマンはひるみ、動きを止める。何か、何か方法はないか。

「この王室は、全体が巨大な胃の中にある。私の体の一部を培養して作った、いわば巨大なバグノイドだ。バグエンペラー・バグとでも名付けるべきか……もちろん、おまえや余の体の中にあるものと同じ、ナノマシンが駆動している」
 静かに笑うバグエンペラー。スピードマンは隙をうかがいつつも、動けない。
「恐れることはない。こいつの唯一の機能は、一定時間、胎内を超ひも場励起状態、すなわち『対SSジャンプ場』の影響下におくこと、それをもって胎内へのSSジャンプを封じること、それだけなのだから。それも、残念ながら、長くは持たない。あと…そう、五分ほどか」
 バグエンペラーはSSSブレードをさっと引くと、一歩下がった。
「むろん、五分以内にお前は死ぬ。さあ来い、スピードマン。ポレポレが育てたヒーローの、最後の輝きを見せよ。そして、余の勝利に捧げる贄となれ」

 スピードマンは、立ち上がろうともせず、黙って手にしたSSSブレードを、捨てた。SSSブレードの刀身が、虚数空間から再転移した反SSSブレードと反応し、わずかな光をなごりに、対消滅する。
「なんだ…時間稼ぎか、スピードマン?」
と、わざとらしく、不思議そうな表情を作ったバグエンペラーに、スピードマンは言った。
「勝、父さんは、そんな子に育てた覚えはないぞ」
 頷いたバグエンペラーは、満足そうに言った。
「であろう」
 各務は、手を挙げると、言った。
「なあ、ひとつだけ質問があるんだが」
 バグエンペラーの顔の貼り付いたような笑みが、かすかに変化する。
「言ってみよ」
 各務は、父が我が子に注ぐような、曇りない笑顔を浮かべて、言った。
「俺や、お前の体の『超ひも場伝導装甲』の中にまで、その『対SSジャンプ場』というのは、浸透するのか?」

 スピードマン最後のSSジャンプ。次の瞬間、スピードマンの体を構成するすべての素粒子が、残り少ないエネルギーを暴食するナノマシンの咆哮とともに、延長された超ひも場の作用によって、バグエンペラーの肉体と同一座標上にジャンプした。二人のスピードマンが、重なって、閃光に燃え上がる。その体の恐ろしい数の粒子が、互いに狭い空間に押し込められ、素粒子レベルでの融合を行う。それらは、次の、一瞬というにもあまりにも短い時間の後、別の、より安定な粒子へと、周囲にさまざまな放射線の形でエネルギーを解放しつつ、崩壊した。過剰なエネルギーを持ったそれら放射線は、ゆくえにある、かろうじて正常な転送を終えた原子核に衝突し、さらにそれを打ち砕きつつ、その熱とエネルギーで、強靱な超ひも場伝導装甲を支えていたナノマシンを二人の肉体ごと破壊し、付け加わったさらなるエネルギーを伴って周囲に損害を与えつつ、超高熱の火球となって、爆発した。

 そう、スピードマンは、バグエンペラーと共に巨大な核爆発を起こし、消滅したのだった。獣人帝國バグーの地下施設全てと、その野望とともに。

 大阪は救われた。

 そのころ、地球を遥か離れた軌道上では、宇宙人ポレポレが、その奇怪な姿をうごめかすように、作業を行っていた。スピードマン計画と名付けられたこの長い実験も、終わろうとしている。ポレポレは、さまざまな機械に囲まれた、宇宙船の自室で、人間であれば「ため息」に相当する低い声を上げたあと、報告書を開いて、送信を始めた。

「状況報告。『SSSスピードマン』計画は、計画内の全ブレンダ指数を概算で48.2に収めつつ、正常完結した。当該駐留員ポレポレは、地球日本本州02における活動を順次終息させ、母星への帰還を行う。詳しい報告は追って行うが、いまは簡単に、当該駐留員の個人的な所感を述べるにとどめる。われわれは地球日本本州02の人々の、その幸福を踏みにじってまで、このような実験を行う権利を有しない。まともな神経を持つ調査員であれば、二度とこのような計画を行おうと考えてはならないと、当該調査員は強く警告するものである」

 ポレポレは、今や地平線の影となって、夜のとばりの中に沈みつつある大阪を、船窓から眺めつつ、もう一度「ため息」をついて、送信を終えた。


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