ブイっと行くんじゃない

男性「今日も一日」
女性「ブイっと行こう」
 というテレビコマーシャルをご存知だろうか。「アリナミンVドリンク」というスタミナドリンク剤のコマーシャルである。男女二人がこの言葉とともに、取り出したドリンク剤を飲み干して、意気揚々、勤めに出かける。ドリンク剤の瓶の形をした一人乗りのロケットが乗り物として登場するシリーズになっていると言えば、そのイメージで知っている方も多いのではないか。

 結論から書くと、私はこのコマーシャルがどうも好きになれない。このシリーズは、かつては男性とその妻、というシチュエーションで、勤めに出かける男性に女性がドリンク剤を差し出し、男はロケットに乗って勤めに出かけるというもので、マイナーチェンジを施されつつ何パターンかあったのだが、あるときからこれが「共働きの男女」という設定に変更された。こういう場所にコマーシャルの話を書いたりなんかするとすぐ風化してしまって、一年ほど経って読み返すとなんのことだかわからない、という危惧があるのだが、2002年1月現在、放映されているのはこの共働きバージョンで、関東地方ではたとえば日曜日の「さんまのからくりテレビ」で見ることができる。

 今回はこれから、この一見害のなさげなコマーシャルに材を取って、どうしてこれがそんなに気に入らないのか、どこが不快なのか、自分の内面を見つめて解析して行こうと思う。このかすかな違和感の原因を客観的に捉えて言葉にすることができれば、誰はばかることなく胸を張って嫌いだと言えるし、あるいは考えに考え抜いた末に、死闘の後の番長のようなさわやかな友情が生まれることだって、ありえないとは言えないからである。「なんとなく嫌い」で放っておくのは、お互いにとってもっとも不幸なことだと思うのだ。

 では行こう。このコマーシャルの主題であるドリンク剤について考えてみると、疲れていて、でも休めなくて、ドリンク剤に頼らなければならない状態というのが、もうまずもって大変にみじめで嫌なものである。できるならば三食ちゃんと食べて得られたスタミナでもってどんな苦境も乗り切ってゆきたいのであって、ドリンク剤の力を借りたくはないのだ。本当ならば、ドリンク剤などとは縁を切った生活をしたいわけである。しかしそこはソレ、社会生活ではいろいろと権利にともなう義務があり、それでなくとも明日できることは今日やりたくないのは人情であるから、仕事は後へあとへと掃き寄せられてゆく傾向にある。締め切り前にターボブーストが使えると何かと便利で、最後の友人としてドリンク剤があるのはたいへんにありがたい。

 とまあ、常にそんな形で評価を受ける宿命にあるドリンク剤が、それほど楽しんで飲むべきものではないのはしかたがないことで、コマーシャルを評価する上でもその辺は割り引いて考えてやらないといけないのかもしれない。夫婦(かどうかはわからないが)そろって朝一本のドリンク剤でスタミナを支える、体力的にお互いもうギリギリの生活というのは、よく考えてみると鬼気迫るところがある。しかしではコマーシャルをどのように作ればいいのかと聞かれると、私だって似たような方法しか考え付くものではない。そこに文句を言ってはいけないと、少し思う。

 次に、設定が共働きに変わったこと、これはどうか。なるほど、シリーズがこうなった理由はなんとなくわかる。以前のバージョンには無意識の性差別、性的役割の押し付けがあった。外で働くのは(そしてドリンク剤を飲むのは)男の役目、女は家にいてそのサポートに努める。これは、一つの、伝統的ではあるが偏った価値観の押し付けであり、個人の価値観の表明としてはともかく(その場合も糾弾されるときにはされねばならないが、その点ではすべての個人的価値観がそうである)、少なくとも、さまざまな購買層を等しく対象にして、広く共感を募るためのテレビコマーシャルとしては望ましくない。

 あるいは、だからといって設定を夫婦共働きに書き換えたのがよくなかったのかもしれない。実際に抗議が来たのかどうかわからないが、そこまで変えるならシリーズを打ち切り、はじめから作り直すくらいのことをしても良かったはずである。小手先の変更で乗り切ろうなどと思ってはよろしくないのではないか。それに、現実の共働き家庭はそうなのだ、ということかもしれないが、さっきも書いたことながら、二人でドリンク剤飲んで元気いっぱい出かけよう、という構図にはどうも寒々としたものを感じてしまう。どっちか一方でいいから、そこまで疲れていないパートナーがいてくれたほうがいいと思うのだ。

 しかし、そうは言っても、「このシリーズを続けるのだ」ということが大前提として決まっていた場合、ほかにやりようがないのは確かである。なんだかんだ言っても、問題点は比較的ささいなことだし(と、私には思える)、過去からの流れで考えるから違和感が生じるのであって、現在のバージョンだけで評価するとすればそれほど問題があるわけではない。他のシリーズもののコマーシャルと違って、この「ブイっと行こう」にはバージョン間のストーリー的なつながりや、シリーズを通してのコレクション性がない。前回を踏まえてこう変わった、と捉えるべきではなく、むしろ現在のバージョンが最新にして唯一の真実だと考えるべきかもしれないのである。そうであれば、上のような批判はちょっと的外れにもなるだろう。

 そうすると、やはり第一の点、ドリンク剤のコマーシャルであることをもって私はこのコマーシャルが嫌いなのであると結論せざるを得ないのだが、そういえば、自分が疲れているときに、他人がやたら元気なところを見せられてもそれで自分が元気になるわけではない。一緒になって元気が出てくるとは限らないのだ。だいたい、このコマーシャルでドリンク剤を飲んだ後で元気になっているのは登場人物ではない。主として「ロケット通勤」がはつらつとして見えるのだが、落ち着いて考えるとロケットは別にスタミナには関係ないのである。

 そうだ、つまりこういうことかもしれない。私がこのコマーシャルでもっとも気になるところは、このロケットの元気良さがいかにも子供だましに、作り物臭く見えるからである、と。確かに、おそらくはCGで作ったのだろうこのロケットは非常にうそ臭い代物である。ドリンク剤の小瓶をかたどったものであるのはいいとして、いかなる動力がこんな小型の乗り物にこの機動性を与えるのだろうかとか、ロケットの癖に目的地(会社)まで弾道飛行しないでエレベーターに乗ってみたり道路上空を低空飛行するのはなぜかとか、ぜひ一度考えてみるべき所は多い。

 しかし、なによりも気になることは、そもそもロケットの噴射方向が水平なのにどうして浮くのか、納得のゆく理由が見つからないということである。瓶の下側に向いた噴射口があれば、あるいは対地効果を利用できそうな形状であれば、もしくは低速の時は補助輪を使用し、翼が風を捉えたら車輪を格納する、といった描写があればなにも言わない。しかし、私が見た限りでは、単なる水平噴射だけで、すべての機動を行っているかのごとく見える。

 確かに、磁力その他の原理で浮くだけは浮くのだ、と考えればなんとかつじつまが合うのだが、そんな描写がないのも確かである。映像作品であるから、決められた時間内に「そう見える」ように作るということが重要なのであり、原理は磁力とロケット、と考えているなら、いかにもそんなふうにCGを作り込むべきなのだ。つまり、見ていて何で浮いているのか疑問に思ってしまうと、それでもう失敗しているのである。伝わらなければ意味がない。思い出してみれば、たとえば「スターウォーズ」に出てくるような空飛ぶ乗り物には、ここで私が言ったような問題はすべて当てはまるのだが、それでも、いかにも飛びそうな乗り物ではなかったろうか。

 つまり、そういうことなのだろう。このコマーシャルのキモといえばこの非現実的な乗り物であり、またコマーシャルの作り手が、スポンサーの要望から距離を置いたところでもっとも腕を振るうことができるのがこの乗り物のデザインである。製作者は、つまりそこをなおざりにして、見ている私のようなSFファンに十分な説明を与えてくれなかった。彼らは「SFの魂」というべきライブラリをただ訪れて中身を利用し、CGをふるって一部を再現する機会を与えられながら、基本的な精神において、そこに何の寄与も与えることがなかったのである。

 やっと胸のつかえが取れた気分である。長々と書いてきて、ようやくここに、私は胸を張って言うことができるのだろう。アリナミンVドリンクのコマーシャルを、私は嫌いである。とってつけたような説明でまことに申し訳ないのですが、それには以上のような理由があるのです、と。


※ 追記。このCFはその後またバージョンが変わって、2002年11月現在放映されているものは上のような批判が当たらないものになっている。まさか製作者サイドにこの「いちゃもん」が伝わったとは、考えられないのだけど。
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