どういう経緯で皆さんが入社されたこの大西科学が存在しているかというのは、このあと社史でも読んでいただくとして、この大西科学という社名の前半分は、この大西、創立者の姓からきているわけですが、あと半分、「科学」はどこからきているのでしょうか。
科学というのは、非常に広い意味の言葉であります。「化学」、これは「ばけ」の方の化学ですが、これを冠した会社は多数あります。化学反応を扱う会社、特に石油からプラスチックを作ったりしている会社がそうですが、うちの社名のような理科の科を使う「科学」を冠している会社はあまりありません。これは、あまりに意味が広いからだと思われます。科学というと、物理、化(ばけ)学、生物から、広くは医学、工学までを含んでしまいます。これはもう、人類が文明の開闢以来積み重ねてきたものすべてを指していると言っても過言ではないでしょう。
科学の本質とはなんでしょうか。私は常々、科学とは、宗教など、他の概念と対置して考えられるものではなく、人間の活動が、そうあらねばなかった一本の道であると考えています。科学とは、誰が使ってもいい道具であります。科学技術、これは科学をどう応用して、実際の生活に役に立てるかという技術だといえますが、これについては特許制度というものがあって、発見者に一定の権利が与えられることになっています。しかし、科学そのものにはそういった制限はありません。誰が考えたものであっても、誰もが使っていいものなのです。さらに本質的なことは、この知識が、他人に使われることによって試され、確からしさを増してゆくということにあります。科学は、この、他人によって使われ、磨かれることによって科学たりうるのです。
たとえば、あなたが何か法則を思いついたとしましょう。これは、それ自体では科学ではありません。その法則が、いままでに知られているいろいろな現象をうまく説明できるようであれば、それは自然界の法則であると、一応採用されることになります。もちろん、他の、同じくらいうまくいって、よりエレガントな法則があればそっちのほうが使われることになるでしょうが、問題は、ここで終わりではないということです。あなたが思いついた法則は、他の研究者たちによって、常に試され、篩(ふる)いにかけられ、検証されてゆくことになるのです。たとえ、いろいろな研究者が引用し、ついに教科書にのるようになっても変わりません。この実験でAの結果が出たらこの法則は正しい。Bの結果がでたら間違っている、という、これを検証実験といいますが、これはいつまでも続けられるのです。
重要なことは、こうして試された知識は、その試されたことによってどんどん確かなものとなってゆきますが、決してこれで終わりということがないということです。本質的に、絶対に正しい法則などというものはないのです。理系の大学を出ておられる方には有名な話ですが、ニュートンの運動の法則、距離の二乗に反比例して引力の強さが決まるとか、加速度は力を質量で割ったものになるとか、そういう一連の法則ですが、これは非常によく太陽系の惑星の運動を記述できます。多くの研究者がこの法則を使って惑星や彗星の軌道を予言して、正しいことを確かめてきました。その正しさが揺らいだのは水星、これはほうきぼしではなくて太陽系のいちばん内側にある惑星のほうですが、その運動がニュートンの法則で予言されるものとわずかにずれているということです。これはアインシュタインの相対性理論によってすっきりと説明されました。アインシュタインの相対性理論は、かつて、いろんな状況でその有効性を証明されてきた、絶対に正しいと思われたニュートンの運動の法則が、重力が非常に強いとか、速度が非常に光の速さに近いとかの状況下では成り立たない、と主張するものでした。その後、さまざまな検証実験がなされ、アインシュタインの法則を確認する結果が出されています。たとえばこの大西科学にある1ギガ電子ボルトの電子シンクロトロンですが、ここでは運転一秒ごとに電子が光の速さを越えられないという実験が行われているといってもいいでしょう。
このように、相対性理論は非常によく成り立っているように見えます。もちろん、いまもアインシュタインの法則を越える法則、あるいは相対性理論に反する実験結果をもとめての実験は行われ続けています。ちょうど、ニュートンの運動の法則が、光の速さに近い領域で成り立たなくなったように、いろいろな極限状況下では別の法則がなりたっているのではないかと考えられているからです。いまのところ相対性理論を他の理論に代えるような実験結果はもたらされてはいないのですが、終わりがない、というのはそういうことなのです。
科学とは、こうした議論の進め方、法則を打ち立てて、みんなでテストを行い、さらに自然界をよく説明できる理論を作り上げるという手順を指します。仮に、将来、独裁的な政権が誕生するとか、文明が崩壊するとかで、新しい研究が行われなくなったとしましょう。いままで生み出された法則は受け継がれ、装置は動き続けますから、表面上われわれは今までとおなじ生活を続けていけるでしょう。しかし、そこで使われているものは、もはや科学ではないのです。せいぜい科学技術にすぎません。みなさんは科学は、宗教の教義のように一字一句間違いなく後世に伝えられてゆくものだと思われていたかもしれませんが、実際のところ科学技術という側面からすればそれでもいいのですが、いままでの私の話を聞いていた人はおわかりのように、そうではありません。
科学とは、むしろ先人の作った法則をなんとか破ってやろう、その上になにかしら自然界をよりよく理解できる法則を付け加えてやろう、という進歩なくしては考えられないものなのです。私は、こうした認識の上に初代観月が、この研究所に「科学」の名を冠したのだと考えております。皆さんも、この私たちがよってたつところの「科学」について、ぜひ一度考えてみてください。
さて大西科学本所は、兵庫県の山あいの町である、加東郡川北町に位置しているわけですが「どんな山奥かと思っていたら意外と大阪に近い」と、始めていらした方にたいていそう言われます。大阪万博、これは花博ではないその前の万博のことですが、実はそのころまでは本当に山奥でありました。このような評判はやっと南側の東条町に中国縦貫自動車道が開通してからのことです。この自動車道の開通によって大阪まで自動車なら一時間の距離となりました。ずいぶん便利になったものですが、この数年、この革命的な変化よりもさらに大きな革新がありました。
それは、インターネットの普及です。もともと研究者の間では各研究所の構内ネットや、大型計算機を結ぶ通信網だったこのネットワークは、この数年で急激な普及をみせ、いまや日本中どこにいてもいったんネットと接続すれば世界中のネットで結ばれた地点すべてと同じ価値の環境が得られるようになりました。特に、これからの社会において、まずソフト面においてこのような国境のない情報空間が建設されたことは、かならずや重要な社会変革の契機となるものと考えられます。特に、さきほどの話にもありましたように、科学の進歩には多数の参加と、フィードバックがなによりも大切となりますが、情報において中央と同じ環境が得られるようになったことは、交通で言えば新たなハイウェイが建設されたことに等しい、非常に重要なことといえるでしょう。
え、なに、時間がないの。あ、そう。えー、それでは、みなさんにおかれましては、この新たな潮流を十分に活用し、第一線の研究者として、活躍していただきたいと思います。