東条の方言
方言、というものは、いまさら言うまでもないが、その地方独特の言葉や言い回しのことである。私の出身地である東条という土地は、大きく見れば関西弁の土地であり、さらに播州弁というより細かなわけ方をすることもある、その言語圏に含まれることになる。私は大学生になるまで、自分のしゃべっているのは由緒正しい関西弁だと思っていたし、たとえ大阪の人とはわずかに違ったしゃべり方をするとしても、播州弁という、関西弁の亜種の中では自分のしゃべっている言葉は正統なものだと思い込んでいた。
ところが、違うのである。父親などがよく使っている言葉について尋ねてみると、大阪どころか、東条と境を接している市の一つである三木市の住民にさえ、通じない言葉がままあるのだ。祖父母は一時大阪に出ていたことがあったものの基本的に東条(と、隣町である社町)の出身であるから、うちの言語システムはやはり東条独特のものであると思わざるを得ず、汎関西弁をしゃべっていると思っていた私の思い込みは、東条の言葉はちょっと違うのではないかという疑念にとって代わられた。
ここでは、そうした言葉をいくつか挙げてある(中には、東条だけの言葉ではない、とわかってしまっているものもあるが)、ここにこのような言葉を挙げる理由は、もしどこからか反響があれば、こういう言葉を使っている人がどういう地方に分布しているかを知ることで、自分のしゃべっている言語のルーツのようなものがわかると思うからだが、特に反響がなく、アップするだけに終わったとしてもそれはそれでしかたがないかとも思う。とりあえず、そもそも私でさえ日常的に使っているとは言い難いこれらの言葉を、私が記録しておかなければもはや子孫には一代たりとも伝わることはないと思われ、記録する事そのものに意味があるのではないかと思うからだ。ともあれ、これらの言葉に何か感じるものがあったひとは、一番下のアドレスまで教えてください。
- はしかい
- 「はしかいからタオルでも首に巻いとけ」というふうに使う。粉塵が舞っていて煙たい様子を指すと思われるが、私の知るかぎり、この言葉が使われるのは年に一時期、刈り取りの終わった米を、もみに入ったまま乾燥機にかける、そのときだけである。このもみの乾燥というのは、知らない人にはわからないと思うが、とてつもなくほこりっぽく、しかもあとでほっぺたなどを触ってみると痛いほど体にまとわりつく。私は幼少のころこの感覚が嫌いで、この作業を手伝うのがずいぶん憂うつだった。稲をコンバインで刈り取り、もみを乾燥機にかけるという作業形式はここ三〇年程の近年のものに違いないので、おそらくもっと前には違う意味だった言葉が援用されているのだろう。この「はしかい」に相当する、標準語を含む他地方の言葉を知らないので、現在でもつい使ってしまいそうになる言葉である。
と、書いていたら、指摘をいただいた。「はしかい」は、粉塵が煙たい様子ではなくて、服の中に粉塵が入ってちくちくするさまではないかという。なるほど、「タオルを首に巻く」ことで防げるのは粉塵ではない。粉塵が襟から服の中に入ってしまうことなのだ。こいつは一本取られた。
他に、喉に粉塵などがはいって痒いさまを指していうことがある。
- よぼる
- これも、これに相当する標準語がない言葉で、急須などから中の液体を注ぐとき、注ぎ口にそって液体が滴り落ちることである。これは注ぎ方がまずいとかならずこうなるので、私は昔ずいぶん「よぼっとるぞ」としかられたものだ。家族で食卓を囲んでいると普遍的に見られる光景だと思うので、他の地方でもなにかこの状態を指す言葉がないとおかしいと思うのだが、どう表現しているのだろうか。研究室に入って液体窒素を注ぐときに使って、この言葉が東条のものであることを知った。
- なんば
- これは東条独特ではない。ある程度広く通じる言葉である。「とうもろこし」のことだが、父親などあの野菜は「なんば」以外の呼び方をしたことなどほとんどなく、「とうもろこし」と言うときは明らかに異言語といった口調になるのでおかしい。
- なんきん
- これも広く関西一般で言うようだ。「カボチャ」である。もっとも、土手に植えるなんきんのことを「どてかぼちゃ」と言ったりもする。どのように折り合いをつけているのか、わからない。
- みじ(ず)や
- なにかの本で読んだような気がするので、これは一般にもこういうのかもしれない。「戸棚」のことである。「水屋」とでも書くのだろうか。
- せんだい
- 前庭、木が植わったり、枯山水なんかが作ってあるところ。これは長い間、このとおり思い込んでいて、文章にも書いたことのある言葉だ。この地方では一般に「ざじずぜぞ」のことを「だぢづでど」と発音するので、実はこれは書くと「せんざい」になる。なにしろ学校などでは使わない言葉なもので、「前栽」という言葉が高校の教科書に出てきて、やっとこれが「せんだい」のことだと気がついた次第。
- よさり
- 「夜」のこと。父の言葉だ。母は小野市の産だが、知らないという。つまり隣の市の人がもう使わないという言葉だ。これほど限られた範囲の言葉でありながら、広辞苑に夜のこととして載っていた。驚いた。古語なのだろうか。
- 〜しとみない
- 〜したくない感じである。というような意味。「腹いっぱいで動きとみないわ」と使う。私も結構日常使ってきたような気がするが、無くても意味が推定できる言葉なので、周囲のだれも注意してくれなかったらしい。
- ほたえる
- 子供などが騒ぐこと。これは大阪弁でもこう言うらしい。東条でも子供は「ほたえなっ」と叱られるのである。
- さんこ
- 部屋が散らかっていること。また、まれにだが、人間がだらしない様子の形容にも使うようだ。大阪の人間も、知っていると言っていた。
- かってくる
- 人から一時借用していることをこう発音する。学校や学習雑誌などで、正しい日本語を教わっていた私は、これを聞いて、借りてきたことか、買ってきたことか多いに悩んだものである。こうして世代の断絶が進んでゆくのだ。ちなみに、購入してくることは「こうてくる」という。
- あいそなしでな
- 家に招いた人を、送りだすときに言う決まり文句。「どうもなんのおかまいもしませんで」という言葉に相当するのだろう。してみると、もてなしのことを「あいそ」というのかというと、そうでもないのだった。これも子供心に、ずいぶんうちでは変な言葉を使っているなあ(学校、テレビと比較して)と思っていた言葉の一つである。
- せける
- 急ぐ、の意。関西弁一般でいうばかりか、「気がせいて」というような限定的な局面では標準語でも言う言葉である。しかし「せけとんのん?」「いやせけへんせけへん」などと言われるとものすごく違和感があった。そういう意味で、あまり私は東条っ子ではなかったらしい。
- びっちゅう
- 農器具の一つで、先が三つに別れた鍬のこと。備中鍬。ここでこの言葉を持ち出したのは、他で使われていないだろうと思うからではない。この言葉の説明として、父が言ったことば、「先が備前、備中、備後と三つに別れとるから、これ備中っていうんや」というのがどうにも信じがたいからである。他に語源があるのではないかと思うが、どうなのだろうか。
- よう〜しいない
- 小野市の産の母親いわく、「〜しない」という言葉を「してない」ではなくて「しいない」というのが、小野とは違う東条の特徴だそうだ。母はこれを聞いて「しいない」とは、なんと優しい言葉だろう、と思ったということだが、あなたはどう思われるか。「よう〜しいない」というのはつまり、「(あの人は)〜できない」ということである。自分の場合は「よう〜せえへん」になって、これは一般に使われている関西弁と同じだ。
- つもりする
- ちょっと隠語っぽいので、東条の方言、というわけではないかもしれない。根回しをふくめた総合的な準備を行う、というような意味である。「コンバインはこちらでつもりするわ」のように使う。自分で準備するというよりも、こちらの知人とのコンタクトをとって物事をすすめるような場合によく使われるような気がする。
- たんのする
- 堪能するということだが、物事に飽きてすっかり退屈するという意味である。「一日お偉いさんの相手で、たんのしたわ」というふうにいう。
- なま〜する
- あまり〜しないの意。「生」という漢字を当てるのだと思う。否定肯定が逆転するのが面白い。「こっちの方がなま疲れる」と言った場合は、「こっちのほうがあまり疲れない」ということである。
- でしょう
- 出荘か。出身地ということだが、「あそこの嫁はんのでしょうは吉川や」というように、引っ越した場合よりも主として結婚した女性の元の村を指すときに使うようだ。
- よばれる
- およばれする、とはやや違うのだが、いただくこと。特に、もてなしていただくこと。
- くれんしょん
- 擬態語。ひっくりかえる様子を描写したもの。「くれーんしょんっとひっくりかえってもうたんや」と使う。一見幼児語のように見えるがそうでもない。
- せがない
- 「立つ瀬がない」であろう。せっかくしたのに、そのかいがなかったという意味で、「晩御飯作って待っとったのに、外で食べてくるやなんて、せがないわ」というようなシチュエーションでよく使われる。お母さん、ごめんなさい。
- ずつない
- 何か小説に出てきたことがあるので、東条だけということは無いと思うが、思い出したので書いておこう。これは、体調や精神状態が思わしくないこと。気分が悪いこと。「頭痛ない」か?
これにも異議をいただいた。大変ありがたいことである。「ずつない」は、気分が悪いことでも、特に食べ過ぎで気分が悪いことじゃないの、他になんてつかわないわ。わ。良く考えてみるとまったくその通りである。失礼しました。訂正します。ずつない、は、食べ過ぎて体調や精神状態が思わしくないこと、気分が悪いことです。
- てえろう
- この言葉と、次の「とっと」は、「それだけは聞かんとってくれ」ページ運営のキースさんから電子メールで情報をいただきました(同郷の方です)。ありがたいことです。涙が出ます。この「てえろう」は、すごく、の意味で、多分「ど偉い」がなまったものだろう、ということです。ちょっと私の周辺では聞いたことがなくて、ひょっとしたら東条の中でも言葉がある程度違うということがあるのかもしれません。そうだとしたら、ずつないことです(間違った使い方)。
- とっと
- 近くのこと、ではなくて「すごく」というような強調の副詞だと思うのだが、「とっとはた(端※)」=(ごく近く)あるいは「とっと上」以外の文脈で使っているのを聞いたことがないので、近いという方向への限定された強調語なのかもしれない。そういえば「すぐ近く」の「すぐ」がこのような役割を持っている。(※なお、「はた」は、これだけでも「近い」の意味。知らない人のために)
- ちょける
- 信じられないほど懐かしい言葉である。小学校以来かもしれない。ふざけることである。「ほたえる」とほぼ同義だろうか。といっても、お父さんお母さんからこの言葉で叱られた覚えは私にはなく、多分これは友達が使っていた言葉ということで知っているのだろう。どうやら、東条では、「ちょけなっ」と親から叱られる子供もいるらしい。
- わや
- んーとこれはどうだろうか。漫才か何かで聞いたことがあるような気もしてきた。物事がむちゃくちゃになることで、これを「わや」のひとことで(文章にすると「わやや」か、やっぱり短い)言いきれてしまうというのがすごい。言語学において、単純ながらさまざまな語義をもつ古い言葉ほど短い音節になるという法則があるらしい。してみると、これら地方ではよっぽど「わや」が普遍的な概念なのだろう。わやや。
- いぬ
- 旧字体で「ゐぬ」と書くほうがぴったり来るかもしれない、まるっきりの古語である。帰ることだ。命令形は「いね」。帰れってことだ。
って、考えてみれば関西弁では普通そうなのだな。まあそれではもったいない。ちょっと考えてみよう。古語は、現代語と比べてちょっと語尾の活用形がちがう。こういう古語の動詞を現在でも使っている場合、その語尾活用は、古語のそれに従うのだろうか。それとも、基本は古語でありながら現代語のルールに沿ったものになるのだろうか。どちらにしても興味深いことなので、頭をひねって考えてみたが、どうもこの二つ以外の活用形で使った記憶がない。「そろそろいになさい」とか「いんでもだれもいない」とか、無理すれば言えるが、どうも日常的には使わないとおもうのだ。現代まで古語が生き残っている場合、その活用形の一部だけが死語になる、ということがあるのかも。
- おてしょ
- 以上四語、「ちょける」「わや」「いぬ」「おてしょ」それから「はしかい」と「ずつない」についての指摘は、幼なじみの浦野さんにいただきました。で、彼女、東条の中でもかなり山奥の出身の方なのだが(あああ、ぶたないで)、おじいさんがこの「おてしょ」という言葉をつかっていたらしいのだ。らしい、というのは、これは私が全然聞いたことのない言葉だからで、他にはどこで使われている言葉なのかちょっと判断がつかない。大皿の料理を手もとにとったりする小皿、取り皿を指すらしい。「お手塩」からきているようだとのことであるが、よくわからないのは同じである。さすが浦野さんだ。
方言とはこれほど局所的なものだろうか。人口八千人そこそこの小さな町、もっといえばその東半分の出身の三人から、お互いに伝わらない言葉がもう、ぽろぽろと出てきてしまうのだ。聞いた話だが、江戸時代、東条という土地は統一してどこかの藩が治めていたのではなく、東海や東北地方の殿様になにかの報奨として配られた土地で、これだけの小さな町を五指にあまる藩が分割統治していたらしい。どうしてこんなことになってしまったのやら、なにやらベルリンのような有り様だったのではないかと想像するが、この言葉のバラエティは、案外そういうところに起因しているのかもしれない。って、ここで結論を出してしまうとこれから更新しにくくなるのだが、今後も情報をください。お願いします。
※この「おてしょ」に追加情報がある。父母に尋ねたところ、「おてしょ」は自分では使わないものの聞いたことがあって、意味もわかる、というのだ。また、これは浦野さんからいただいた情報だが、「おてしょ」は広辞苑に載っている。
手塩皿=小さく浅い皿の称。もと、膳部の不浄を払うため、これに塩を盛ったからいう。
てしお。おてしょ。
なるほど、どこで使われているのかわからないどころではない。通人が使いそうな、隠語っぽい言葉ではあるが、歴とした日本語として認められた言葉なのである。東条、あなどるべからず。
- べっちょない
- 大丈夫だ、という意味で、体調の事だけではなく「このままで提出してもべっちょない」などと、ほぼその使用範囲は「大丈夫」と重なる。あきらかに「別状ない」が訛った言葉である。…いやたぶん。私はそう思うんだよ。
- まぶれ
- これはちょっと、ウチの父親だけが使っているのではないかという予感が強くするのではあるが、「まみれ」のことを父はこういう。「そない猫なでたら猫の毛まぶれになるやないけ」「泥まぶれ」「猫灰まぶれ」うんぬん。果たして他に誰が使っているのか。ていうか、方言かこれ。
- どんならん
- 「どないもならん」どうにもならない、を原形としているのであろう。埒が明かない、ということか。または、つまらない、に似た意味でも使うようだ。「CPUが68kて、そんなマック、どんならん」と言われてしまってはアップグレードするしかない。
- どないしゃらい
- 「どないもしゃあない」どうにもしょうがない、ということだろう。「この子ったら、しょうがない子ねえ」というような場面で使うようだが、言葉は悪い。「おまえこんな点数取ってきてどないしゃらいのう」ていう感じか。こう言われてしまってはもはや小遣いアップは望めない。
- へらへと
- キースさんいわく、これは小野の方言で、とても、very、ということなのだそうである。私は正直言って聞いたこともない。「今日はへらへと暑い」と使うらしい。へらへと。こんなにも力なくへらへとなのに意味はveryなのか。
- かぐ
- かく、とも言ったかもしれない。机など、大きい荷物の反対側を持ってもらって、力を合わせて運ぶときによく使う。この場面でしか使わないので、これ専用の単語かと思うが、キースさんによれば「担ぐ」の転訛ではないかとのこと。とすれば、これは方言化する段階で意味が狭まったものと考えられる。
- せんど(せんどま)
- これもキースさんの指摘で思い出した。そういえば、言う。これは言う。しかしどんな意味だったか、ひどく記憶があいまいである。「掃除せえ、て、せんど言うてるやろな。あんた」のように、漢字は「千度」を当て、たびたび、といった意味になるらしい。ところが、私の古い記憶によれば、亡くなった祖父はどうも「長期間」という意味で使っていたような気がするのだ。「せんどま見ずやったな(=お久しぶりですね)」のように。「せんどま」と書いたが、「せんど」とも確かに言っていた。「先祖」のことかなあ、と子供心に思っていたからこれは確かだ。これは面白い。今後、目が離せない単語と言えるだろう。
と、書いていたら、またもキースさんからメールをいただいた。どうもこれは違うらしい。「せんど」は「千度」。「せんどま」は「先度」という別の言葉を語源として持つらしいのである。ということで、前者は「たびたび」、後者は「長期間」という意味になる。む。恥ずかしい。ただ、どうもウチでは両者を区別して言っていたような気がしないので、混同は祖父の代以前に起きたのだろう。そりゃややこしいよな。似た意味。似た言葉で。つまり何が言いたいのかというと、私のせいじゃない、と。←というか、調べてから書けよ。オレ。
- がいよ
- 浦野さんからのイタダキである。素直に「具合よくする」と解釈して間違いない。「わしががいよする」というと、「俺がなんとかする」。「がいよしとってくれ」というのは「よきにはからえ」ということである。なんとも駘蕩とした、いい言葉ではないか。
- はりこむ
- 奮発するということになるだろうか。しかし「クリームはりこむで」(アイスクリームを、買ってあげよう)のように、あまり大したことのないものでも一に買ってあげるときには「はりこむ」を使うように思う。普通他人に買うときに「奮発する」とはいわないよねえ。
- へんちょ
- 「へん」は多分「変」だとおもう。あらぬ方向、という意味である。「へんちょむいとったらあかんで(よそ見をしていてはいけませんよ)」「へんちょ投げとるやんか(むちゃくちゃな方向に投げているじゃないか)」と、使う。なかなかメジャーになれる素質を持った言葉だと思うが君、どう思う。
- 阿呆の三杯汁
- 方言ではないが、面白かったので収録する。諺のようなものだと思うのだが、アホはみそ汁を三杯おかわりする、あるいはみそ汁を三杯もおかわりするのはアホだ、という意味である。そのままである。応用しようがない。それにしても、みそ汁を三杯おかわりすると、なぜ良くないのか。父に聞くと、それは多分腹ががぼがぼになるからであろう、という答えであった。それはわかっているのだ、父よ。
- またい
- どんくさい、へまな、というような意味。もたらこい、というのも聞いたことがあるが、単なる流行語かもしれない。何となく聖書を連想する。
- どうばる
- 踏ん張るというようなことか。犬を散歩させていて、人間が進みたいと思っているのに犬はその場で動きたくないといって姿勢を低くしたりして踏ん張る、そういう光景を指して言う(まあ、動物というのは一般にそういうものである)。他の使い方は知らない。胴張る?
- 〜こぐち
- 無理のある訳だが「〜への道」、「〜への通路」というような意味になるのか。「のぼりこぐち」「おりこぐち」の二例がある。それぞれ、階段などによる上方/下方レベルへの通路への進入口ということである。藤原さんってほら、八幡さんとこののぼりこぐちにある家よ、なんていうふうに使う。小口?小径?
- しっぽはっぽ
- このページは「私の父上語」と言い換えてもいいページになっているが、これは母上語である。明らかに「四方八方」が訛ったものだが、これを母上は「とおせんぼ」の意味として使っていたらしい。なるほど、四方八方を塞いでいるイメージが喚起されるが、いずれ由緒などなく、子供が間違って使ったものに違いない。
- みずだき
- まさかこの言葉がうちだけのものとか、東条だけのものとは思わないが、これが指すものがちゃんと同じものかどうか知りたいのだが、どうなのだろうか。うちではこの名前のついた料理は、豆腐を主体とした鍋料理で、一般にいう湯豆腐だと思う。豆腐、白菜、薄切りの豚肉、ネギ、しらたき、大根、椎茸などを入れて煮る。漢字を当てると「水炊き」だろうが、意味のわからない字面である。
- むこべら
- 向こう側、ということ。これはやはり「向こう+べら」だろう。「べら」には特に意味がない、のか。なんとなく他にも「したべら」「よこべら」とかいいそうな気がする(確証なし)。
- さがす
- 探す、ではない。「あわてさがす」のように助動詞として使うのである。ほとんど「慌てる」に付け加える意味はないが、強いて言えば慌てる程度が甚だしいことになる。「食べさがす」というのは食べ残すという意味であり、「食べさがし」とは食べ残し、という意味。
- あがりと、まわりと
- 上の方で紹介している「あがりこぐち」と似た意味のことば。(縁側などに)上がってすぐ、(角を)まがってすぐというような意味。してみると「あがりこぐち」も上がってすぐ、というような意味なのかもしれない。かなり古そうな言葉で、私の父はもう使っていないほど。
- 〜しに
- 「行きし」「帰りし」として使う「〜しに」のことである。「行きしにきれいな猫を見た」「帰りしに財布を落とした」と使って、その行程の途中で、ということ。名詞化して「行きしな」「帰りしな」として「行きしなに美しい虹を見た」と使っているのも聞いたことがあるが、多分これは東条には無い言い方だと思う。以上二つは、例によって浦野さんに教えていただきました。感謝しております。
- あぐむ
- 動詞。鉄棒に長時間ぶら下がったり、重いものを持ち上げたりすると、手のひらの感覚がおかしくなって、しばらくの間、うまく開いたり閉じたりできなくなることがある。この状態を「手があぐむ」というらしい。と思ったら、「倦む」とちゃんと変換する。なんだ、標準語か。
- かど
- 玄関。ないし、玄関の外の一定の空間。「笑う門には福来る」の「かど」である。「新聞来とるかどうか、かどいって見てきてくれ」のように、日常的に使われている。
- おわえる
- 追う。追いかける。こういう何でもない言葉は、気がついて書いておかなければすぐ失われてしまうとおもう。理解が難しいわけではないのだが。
- うしなえる
- なくす。つまり持ち物をどこに仕舞ったかわからなくなる。ま、つまり「失う」なのだが、安物を買ってお金をうしなえた、とは言わない。
- いける
- 応用範囲とかそういうことについて聞かれても困るが、父は死んだペットを地面に埋めることを「いける」と表現する。「裏庭にいけたれ」。ヒトの場合にも使うのか、あるいは土葬ではなくて単に埋めるという意味なのか(これは違うと思うが)、どうだろうか。花を生けるというのとは違うと思うが、意外に語源が同じというようなこともあるかもしれない。(※99.3.2追記。キースさんの指摘によれば、これは「埋ける」と書き、「花を生ける」とは同語源ではないか、とのことです。古語が残っているのか、あるいは一般的な言葉なのかもしれません)
- おくれ(や)ないか
- 〜していただけないだろうか、という丁寧表現。ちょっと醤油とっておくれやないか、という具合に使う。「をくれないか」(=貰えないか)ではなく、助動詞であることに注意。普通の関西弁かも。
- いこす
- 方言ではなく、文化の変化によって使われなくなってゆく言葉に過ぎないという気が強くするのではあるが、これは動詞で、木炭、石炭などを継続的、自発的な燃焼状態にもって行くために他の熱源で加熱するということである。私の生家ではつい五年ほど前まで木炭を燃料に使う掘りごたつを使用していたため、日常会話で出てくる単語であった。「炭をいこしてくれ」と使う。
- (〜したら)こされ
- 〜であったからこそ、というような意味。「おばあちゃんがおったらこされ」(=おばあちゃんがいてくれたからこそ)ということ。いい意味にしか使わない。
- せたろう(らう?)
- 背負う、の意。「じいちゃんをせたろうたら、やけに軽かった」という感じか。東条では、二宮金次郎はマキをせたろうている。
- ねっから
- 根っから、であるが、根っからの悪人、という風には使わない。「ねっから来えへんのう(=全然来ないなあ)」と、強調の副詞として用いるのだ。ネッカラウトというのは私がポストペットで飼っているカメの名前だが、関係はない。
- ねぶか
- これは本当に、どこまで通じる言葉なのか知りたい。大阪では一般的なのだろうか。父以外に使っているところを見たことがないのだ。ネギのことなのだが。
- つんだかつんだか
- 積み上げた様子を差す擬態語。あるいは幼児語。マッチ箱や丸もちのようなものを積み上げているさま。
- コールコーヒー
- わかっています。方言でもなんでもありません。はい。アイスコーヒーのことです。私の祖母は、長い間某レストランの厨房で働いていたのだが、そこで覚えてきた言葉らしい。一方、父もたぶんこれとは独立にこういう言い方をする。コールドか、クールか、なにかそのような単語のつもりなのであろう。とにかく私の家ではコーヒーに氷を入れたアレはコールコーヒーなのである。などとバカにしているが、意外にドイツ語とかだったりして。
- まんぐるり
- 周り、ぐるり、だろうか。「周囲全面を」という意味である。東条では体育祭ともなると、運動場のまんぐるりにテントが建ててあったり、まんぐるりを敵に取り囲まれた騎馬が勇戦むなしくついに帽子を取られてしまったりするのである。魔界である。
- しっぽり
- ゆっくりと、時間をかけてということだが、「朝までしっぽりと語り明かす」というふうに使うのではなく、「ずいぶんしっぽりやったなあ」と、飲み会から遅く帰ってきた亭主をなじるのに使うので、ちょっと記録しておく。
- ばえる
- 猫や犬がじゃれつくこと。ネコジャラシをもっていって、それに飛びついたりかじったり、そういうことをするさま。普通、猫も犬も大人になるに連れてそういうばかなことはしなくなるのだが、それを「ばえへんなった」と言ったりする。ばえへんのか。
- せんがいいっき
- 語源、漢字不明。どうも方言ではないという気が最初からしている。おそらく何かの四字熟語だと思うのだが、私の父がよくこういうのである。意味は、一生懸命、ここを先途と張りきってやる、ということ。高校三年生になったころ、頑張ってもあと一年や、センガイイッキでやってみぃ、と言われたりしたのだが、大学生になったらだらけていいのか、という疑問とともに、そのセンガイイッキというのはどういう漢字なのですか、と私はひそかに思っていた。凱とか逸とかそういう漢字が入っているような気はするのだが。
- ちゃとっくり
- または、ちょうぶく、調伏ということで、意味もほぼその通りなのだが、私の家では、子供の熱が三日も下がらないと、なにやら不可思議な儀式を行って、取り憑いているにちがいない超自然的な存在を追い払う。儀式の詳しいところは忘れてしまったが、なにか水を媒介にした秘術であった。追記、この施術の詳細について聞いた。無縁仏にお茶を供える、という意味をもつものらしく、正式(?)には「ちゃとっくり」というそうである。というわけで、見出しを変えてみた。
- はすかい
- 斜交い、だろうと思う。方言ではなく、ちゃんと手元のIMでも「はす交い」と変換したので、一般的な言葉なのだと思うのだが、あまり使われないと思うのだ。私の父は斜め、という意味で多用する。将棋のルールを父に教わったときに「カクははすかいにススむんや」と聞いたので、私は今でも角行やビショップは斜めではなく「はすかい」に進む、と覚えている。
- ふくらんぼ
- 水膨れのこと。信じられないくらい、変な言葉である。
- きいない
- 黄色い。同じyellowでも「きいない」というとひどく汚らしい気がするのは私だけでしょうか。
- こびっしょない
- 昨日母親が使っているのを、私は二八歳だが、生まれて初めて聞いた。母はみんなつかっている、のみならずよく使う、と言っている。父に確認すると、彼もよく使う、と言う。二人が口裏を合わせて私をからかっているのでないかぎり、これは「えげつない」「むごい」というような意味の言葉である。ちょっとしたことで厳しく叱られている子供、無残にも刈取られてしまった草花を見たら「こびっしょないことして」と思うそうである。私は、思わない。
- ほっとする
- 安心する、というのとほぼ逆の意味である。ああ、まだこんなに仕事があるよう。と気が遠くなる、という意味だろうか。ええ、でもまだこれで半分やて、ほっとするなあ。今日は一日仕事して、ほっとしたわ。とこれが用例。
- 必死のパッチ
- すいませんだんだん方言じゃなくなって行ってて。でも、こんなことを言うんです、私のお父さんは。つまり、必死である、ということで、前に書いた「せんがいいっき」とそういえば意味が同じである。なんだか、あちこちから漏れているガス管を、ガムテープを持ってうろうろふさぎ歩いているような語感であるが、まだしも男性用下着の「パッチ」の方だろう、多分。
- そっと
- そっくりである。生き写しである。「あんた、お父さんにそっとやな」で、あなたお父さんにそっくりね、という意味になる。親子の類似を話題にする以外にあまり使い道はない。このジャガイモ、ゲンコツにそっとや、みたいな言い方は日常生活であまりしないからである。
- たとむ
- (洋服などを)たたむ。たとんだら、たとんどいて、たとまなあかん。発音してみると別に標準語として通用しない言葉ではないような気もする。
- 〜から
- およそ。〜もの長き(多さ)にわたって。「十時間から寝とる」と使って、もう十時間も寝ている、の意味。百人から来とる、千円からする(千円もする)というふうにも使う。どこか揶揄するような、否定的な意味が含まれているような気がする。
- よったり
- 四人。そもそも、一人はいちにん、二人はににん、ではなくてそれぞれひとり、ふたり、と特殊な言い方をするわけだが、それ以上になると「さんにん」というような言い方しかできなくなる。ところが、四人にはよったりという言い方があるのである、私の家ではするのである。しかし、三人はみたりとはいわないし、五人以上もごにん、ろくにん、でしかない。中途半端はよりいっそう増している。
- すいっとする
- 清涼感を表現して言う。つまり、すっとする、ということ。何となく鈍重ですいっとしない言い方である。
- かばち
- 偉大な友人であるI澤君より教えていただきました。なにか台などの端、隅、というような意味であるそうです。座敷が板間になって、土間になる、その境目のところをよく「かばち」と表現するとのこと。父に聞いたら、しばらく悩んでから、ああ、いういうそれそれわかるわかる、と言っていました。そのくらい古い言葉です。
- まぜやかえす
- これも同じく、I澤君から。子供などを、もう、可愛がって可愛がって可愛がってすることであるとのこと。これも父に聞きました。そのとおりである。おそらく、すし飯のような料理に手をかけて手をかけて混ぜ返して混ぜ返してするように手間を子供に注ぐという比喩から来た言葉ではないか、とのこと。そんな気はします。
- 〜あるく
- ちょっと一般的な関西弁であるような気はするが、気がついたので。たとえば「探しあるく」発音時には「さがっしゃるく」と音便変化するが、つまりは〜して歩く、という意味で、あちこちでさんざんそれをする、とでも言うような意味。「探し回る」と同じ。「どこ行っとったんや。探っしゃるいてんぞ」どこにいっていたのか、探し回ったのだぞ、というふうに使う。話っしゃるく、頼っみゃるく、などと応用したりもできる。
- いしこい
- ずるい、やりくちが汚い、ということ。「石子先生」という、生徒によく嘘をつく先生が中学校にいて、その先生の名前から来ているのかと思ったら、違うらしい。
- だ(ざ)もっとる
- 「ざじずぜぞ」と「だぢづでど」の使い分けが曖昧になったり、ひっくり返ったりする傾向があるのでややこしいのだが、これは「座を持っている」ということのようだ。意味は、腫れている、ということ。「腫れる」という現象には、泣き明かしてまぶたが腫れたり、傷口が化膿して腫れたり、さまざまあるが、特に内出血、化膿系の腫れを意味するような印象を受けた。ただ、これに関しては正直言って、二九年生きてきて、昨日はじめて父親から、聞いたので、絶対とは言いきれないうらみがある。
- ポケツ
- 方言ではない。方言ではないが、面白かったので収録してみた。なんのことはない「ポケット」のことである。祖父も祖母もよく使う(使っていた)。おそらく「ポケット」→「ポケツト」→「ポケツ」という変遷を辿ったものと思われる。ズボンの尻のポケットのことを特に指すような気がするが、それは「おけつ」に発音が似ている事実に、引きずられすぎであろう。なお「最初の三文字取ってそれでよしとする」という略語の作り方は、他に「マクドナルド」→「マクド」などに見られる。
- ひんがらぼし
- 干されて、からからになるさま。カエルがアスファルトの上で潰れてからからに乾いているところを言ったりする。「ひん」というのはたぶん「干」、「がら」は「殻」の文字をあてるのだろうか。それにしては、ふたたび「干し」とくるのも、おかしなものだと思う。
- かんからかん
- 干されて、からからになるさま。方言ではないと思う。
- じゅるい
- 「ぬかるんでいる」というような様子を表す言葉だが、これが方言だから他で聞かないのか、それとも「じゅるい」場所があまり街にはないからなのか、よくわからない。田畑の地面が泥濘になっている様子を指してよく使われるわけなのである。使用例「じゅるいじゅるい、もうわやや」
- よんで
- いただく、という意味で「よばれる」と上に書いたが、その命令形というか、依頼するような形に言い換えるとこうなる。微妙に別の言葉であるような気もするので、採録することにした。「お茶でもよんで(お茶でも下さいよ)」と使う。
- つついっぱい
- めいっぱい、精いっぱい、能力いっぱい、というような意味。では今回も、つついっぱい頑張ろう。
- しやすい
- 普通は「やりやすい」という意味に使うわけだが「育てやすい」「育児が楽である」という意味に使うことが、あるらしい。ただこれは「書く」ことを「ものする」と書くような婉曲表現である可能性もある。育児を婉曲に表現する意味はあまりないと思うかもしれないが、それを言えば書くことだってそうだ。
- らっきゃ
- 「楽や」の音便変化であろう。可能である。オッケーです。「原稿、明日できそう?」「らっきゃ」。という風に使うが、あまり信頼が置けない気がするのは方言だからだろう(東条の言葉をバカにする意図はありません)。
- ぴりぴり
- なぜか掲載するのを忘れていました。雨の降り方を表現する方法の一つで、小雨を指して「ぴりぴり降っている」と言う。霧雨以上、ぱらぱら降る雨以下の雨粒径を持っている雨への表現として、他の表現と使い分けて使っていたと思うが、これを他所で使うと「辛そうである」「怒っているのか」などと言われてしまうのだ。ここ数件は同郷の友人I澤君からのご指南をいただいたものですが、キースさんも同じことをおっしゃっていたと思います。本当に、狭い範囲でしか通用しない割に、東条では使われているのである。
- さんどまめ
- 同じ木に三回「な」るらしい。
- かじく
- 耕すこと。つまり、土に鍬を入れ、空気を含む団粒構造にしてこれから植える作物の生育を促すこと。「梶く」と書きそうな気がする。方言というよりは、そういう言葉を農家以外では使う機会がないことによって、使われない言葉なのだろう、と思う。
以下、思い出すか、人に聞いたずつ書いてゆきます。
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