UFOを見たことは上司には秘密だ


※本文とは関係ありません

 UFOを見られたことがおありだろうか。なにも、記憶がとぎれた間に数十キロ離れた土地に放り出されていたとか、捕まって宇宙人に実験を受けたとか、そういう派手な経験が無くてもいい。遠くに得体の知れない飛行物体を見た、というだけでいいのだが。おありでない?そうでしょうね。宇宙人の乗り物だなんて、そんな科学的にありえません。断じて。

 ところが私は、どうしても説明がつかない、UFOとしか言いようのない物体を見たことがあるのだ。

 中学生の時だった。当時私はブラスバンド部などというところに所属しており、校舎のテラスに立って練習をしていた。楽器を習った経験のある人しかピンと来ないかもしれないのだが、金管楽器の場合、毎日の練習の最初に「ロングトーン」という、いわばウォーミングアップをすることになっている。まず最初に息を整えて、音量、音程の安定を練習する、というような意味があるのだろうが、バカなうえに熱意もない私は、何の思考を介在させることもなく、ただただボーボーと動物的に長音を出していた。練習のこの部分は伝統的にテラスでやることになっており、放課後、部活動の時間が始まるといつも数十人の他の部員と一緒にテラスに並んで練習を始めるのだった。

 私たちの中学校は、故郷を見下ろす高台にある。戸坂の「丘」などと校歌には歌われているが、どう考えても「山」の中腹を削って無理矢理土地を作り出したようにしか見えない。毎朝学校の建つレベルまで登ってくるのは結構な難事だったのだが、景色だけは良かった。その高台に建つ校舎の最上階のテラスに立つと、河岸段丘にばらまくように点在する故郷の町並みを一望することになる。一望、といっても水田と農家くらいのものである。大した景色でもないのだが、バカなうえに熱意もないと、練習中でも音そのものには何の注意も払わずに、ふらふらと景色に視点をさまよわせることになる。

 そのとき、私の周りには友人一人だけしか練習していなかった。どうしてその時に限って他の部員がいなかったのかは思い出せない。どうやらなにかの事情があって私たち二人だけが練習を始めるのが遅れたのだと思うのだが、そうして練習をしながら遠くを眺める私の目に、ふと小さな輝点が写った。

 退屈でしかない(なにしろバカなうえに熱意もないものだから)練習の中、アイドル状態で回っている脳が、その光景が異常なものであることを認識するまでしばらくの間があった。町が存在する谷の遙か北方、山上に設置されたなにかの工場の近くに、銀色の光球があるのだ。そこまでの距離は、十キロというところだろうか。ごちゃごちゃと鉄塔が建っている近くに、しかし断固としてそれらの構造物とは離れて、「それ」は空中に輝きながら静止しているのだった。空は晴れており、それほど大きいとは思えない「それ」であったが、強烈な光を発しつつ、背景の青から浮き出たように存在を続けている。

 わたしは、しばらく呆然とそのものを見つめたあと、傍らで私よりは熱心に練習を続ける友人に「それ」の存在を訴えた。はじめ、その友人はそのような物は見えない、と言い張った。私の目の錯覚ではないか、と思い始めた頃、彼はようやく「それ」に気が付いたらしく、ああ、あれか、確かに不思議だな。なんだろう、という意味のことを言った。

 頭の中に、ついに地球に対する一斉侵攻を開始した宇宙人、というフレーズが渦巻いていた。こういうとき、私の思考はとんでもない想像力を発揮する。夜中に飼い犬の散歩をしていて、たぶん飛行機か人工衛星であるはずの空を飛び去る光を見ただけで、大阪目指して飛んでゆく大陸間弾道ミサイルではないか、ついに人類最後の日が訪れたのではないか、と恐れおののいたこともあるほどだ。あのときは家に帰ってテレビを見るまで不安で仕方なかった。

 当面、こちらに向かって飛んできて危害を加えたりするものではない、と分かって、少し落ち着いた私は、「それ」をじっくりと観察した。距離がありすぎてディテールを見分けることはできないが、遠目で見た限りでは、構造のない、のっぺりとした銀色の球に見える。かなり強く光っているが、太陽光を反射しているのか、自ら光を発しているのかはわからない。はじめ「それ」を見つけたときは空中にじっと静止していたが、友人にそのことを告げた時には東にゆっくりと動き始めていた。高度を変えないまま、完全に水平に、である。速度はそれほど非常識な速さではなかった。距離を勘案しても自動車くらいの速さであり、動きも直線的で、静止したり、ジグザグに動いたりはしなかった。他の誰かを呼んでこよう、と思う間もなく「それ」は、ペースを崩さないまま移動を続け、そのまま光が弱くなって空中で消えてしまった。

 私の記憶は、そこまでである。その後どうしたのか、誰かに話したりしたのか、という記憶はいっさいない。見た二人にとっては異常なできごとでも、言ってしまえば、遠くに光が見えて、それがゆっくり移動して、消えた、というだけのことなのだ。これをそのまま話しても、あまりおもしろくない。それでこの話は長い間記憶に封印されることになった。科学的にどうなのか、などと考えたのもかなり後のことである。

 友人も見えたのだから、私の錯覚ではないことははっきりしている。では何なのだろうか。航空機?そうではあるまい。それにしては速度が遅い。明るい星?人工衛星?なんらかの天体だとすると、移動方向と速度の説明が付かない。光の反射?太陽などの光を電線や雲が反射して、ということは考えられるが、そのあたりにそのようなスクリーンに相当する雲や構造物はなかった。気球?これはありそうである。気象観測用などの小型の気球が、風に流されてああいう動きをすることは十分考えられる。ただ、最後に光が弱くなって消えた理由は思いつかないが。

 一応今の私は物理学者ということになっているのだが、これを科学的に言ってなんなのか説明せよ、と言われると困る。元来、伝統的な科学の手法は、こうした再現しない現象の研究には向いていないのだ。向いていないと言ったって手元には科学しか使える道具がなく、他にはどう見てもあやしげな、宇宙意志とか心霊現象とかの、大の大人がかかわるにはどうにも恥ずかしい説明しかないのでそれしかないのだが、今度は双眼鏡などの機器を使ってもう少しちゃんと観察する、その前回の出現時との類似点相違点を挙げてその背後にある法則性を見いだす、というような科学の常道を使うには、現れたのが一回きりではどうしようもないのだ。超新星爆発を待ち続ける天文学者のように、ひたすら観測を続けてもう一度起こってくれることを祈るしかない。

 それ以後、私の目の前に同じものが現れる気配はない。中学生の時のようにぼーっと遠くの空を見渡すことも無くなってしまったから、私には「あれ」が何だったのかは永久に謎のままなのだろう。それにしても、たった一回とはいえ科学で説明の付きそうもない現象を見た、という記憶はずいぶん奇妙なものだ。悩む人であればこのままバシャールとかの方に行ってしまってもいいくらいである。しかし、あれから一五年が経ち、私は科学実験の徒になって、自分の目や記憶ほど信頼できない物もない、ということを悟った。実験をしていると、機器に記録され、筆記で残された事実と、目で見たことや記憶とが食い違っていることは、わりあいしょっちゅうあるのだ。つまり、見た、というだけではなんにもならない。別にこれが説明できなくてもいいのである。結局の所「見た」だけに過ぎないのだから。

 これを聞いて「けっ、科学者って威張ってるくせに頼りにならねえなあ」と怒られる方もいらっしゃるだろう。すいませんねえ、快刀乱麻を断つ、といかなくて。えええ、いいんですとも。どうせそんなものなんスよ。いつでも科学で説明ができると思ったら大間違いです。ましてや私なんて全然大したこと無いヤツなんですから。わからないものはわからないんス。

 まあ、それでもなにかちゃんとした説明が付けば嬉しくはあるので、もし皆さんがなにかおもしろい解釈を思いつかれたならぜひメールででも教えて下さい。

 え、ぷらずま?バカなことをいっちゃいけない。それで説明したつもりなんて、ちょっとどうかしているよ。


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