花火

 どん、どんどんどんどん。ばばばばばば。頭上で花開く一瞬の閃光。見上げたついでにカップを傾ける。ビールをごくり。
 空に大輪の花火、地には冷えたビール。私は花火大会に来ているのだった。適度にアルコールによって鈍磨された視界いっぱいに火花が広がる。視覚によってもたらされる純粋な快感に思わず歓声をあげる。スターマインは、ばばばばばの辺りが痛快である。これぞ夏ではないか。

 たったひとつ、不満を挙げるなら、君がそばにいないことだろうか。もし君と一緒だったら。天を見上げる私の頬を、涙が伝う。
 嘘である。
 雨が降っているのだ、花火を見ている私たちに。私の頬を伝うのは、だから雨なのだ。暗いから見えないが、きっとビールにも雨が降り込んでいる。

 雨具は、ない。出発したときにはまだ降っていなかったからだ。

 悪い予感はしていた。出発するときから空はどんよりと曇っていたのだ。そもそも今年の夏の天候が不順であることと言ったら、山師の間に伝わる「弁当を忘れても傘を忘れるな」という箴言が冗談でもなんでもなく都市部に当てはまってしまう位である。出がけに、傘を持ってゆくことを思い出してさえいた。思い出してはいたが、傘立てから自分の傘をひょいと持ってくる、それだけの動作をあえてするかどうかで、このように明暗が別れる。
 今年の夏を、少々見くびっていたのだ。「もう春から、雨、雨、雨。これだけ我慢したんだから、いいでしょ。あんただって鬼じゃないだろうし。貴重な週末、花火に出かけたときくらい、降らずにいてくれたっていいじゃないですか、ねえ」という、そんな気持ちもあった。雨ばかりだった春の払い戻しを、そろそろ受けてもいいような気がするのだが、今年の空はそんなシャレの通じる相手ではないのだった。

 毎年の恒例行事のように行われている小笠原高気圧団とシベリア気団との戦いは、九八年において新たな局面を迎えた。長い冬を南方で耐え抜き、蓄えた戦力を持って夏季攻勢に出た小笠原気団を、鈍重ながら陣地構築の妙を発揮しつつ迎え撃つシベリア気団。その戦端は、まず沖縄方面において六月に切って落とされた。激戦の末、小笠原気団は損害を出しつつも圧倒的な物量をもって七月中旬に九州四国、関西方面を制圧し、さらに関東方面に残存した敵勢力を駆逐すべく関東地方解放作戦、暗号名《太平洋の嵐》を開始。中心気圧1023ヘクトパスカルという強大な新高気圧(ここに「しんへいき」とルビを打ってください)《マーベラス・バーバラ》を中心とした主力を投入。最後の決戦を挑んだ。
 作戦はほぼ予定通りに進捗し、七月下旬に完了。シベリア気団の手から関東地方を回復した小笠原気団は、後退するシベリア気団を追撃しつつ関東に一瞬の夏をもたらした。例年ならばこの時点で最終的な勝利が小笠原気圧団にもたらされるはずであった。しかし、今年は事情が異なっていた。これらはすべてシベリア気団の計算の内だったのだ。シベリア気団の司令官であるアレクセイ・ドグラノフ上級大将が、いったん日本海海上まで後退したのち、小笠原高気圧団の延びきった補給線を叩き、逆上陸を行うという一大反攻作戦を実施したからである。
 すでに数度の決戦により戦力を消耗し、弱々しい後方補給路を押して関東遠征を行った小笠原気圧団に、この反攻を支えきれるものではなかった。小笠原気圧団が新潟に構築した前線陣地は、シベリア気圧団最精鋭である高気圧《クズネツォフ》の最初の攻撃によりあっけなく崩壊。小笠原高気圧団は実に400キロにもおよぶ後退を重ねた。この敗戦により同気団の主力は壊滅。かろうじて安全な後背地である関西において戦線を再構築することに成功したものの、同地を勢力下に保つのが精いっぱいで、今夏のこれ以上の進撃はもはや不可能であった。

 上の段落は、飛ばして読んでもいいです。

 これがヒーロー物のアニメであれば。次の花火を待つ間このような事を考えていた私は思った。シベリア気圧団の支配地において少年少女によるレジスタンスが結成されて敵を翻弄するとか、そういう展開になるのだが。

「十八番、地元の皆さまとともにあゆむ○○商店。商店街のさらなる活性化を祈願して、五寸。連発です」
 アホなことを考えている間に、次の花火が始まった。実は、私はこういうアナウンスがある花火大会は初めてである。他には「雑文館」で見たことがあるだけだ。関西にいたころは一度も聞かなかった。あるいは、関東の花火大会は全部そうなのだろうか。だから、花火の種類というものを知ったのはこれがはじめてである。ちなみに、五寸連発よりは、スターマインの方が偉い。

 雨はやまない。そんなに激しい雨でもなくて、だから花火大会も続行されているのだろうが、回りの人はみな傘なり、ビニールシートなりをかぶっている。それも持たない人の中には、早々と引き上げにかかる人もいるようだ。私も、本当ならどこか雨宿りできるところを探すべきかもしれない。しかし、とある理由から、私はこの場を動くことはできないのだった。ここは吹きさらしの河原。なにかコンクリートのようなもので固めてある、川の流れに垂直に突き出た部分である。なんのためにこのような突堤があるのか、よくわからない。

 ひゅるひゅるひゅる。どん、どんどんどんどん。
 おー。花火は至近で炸裂し、その迫力には常に圧倒されるため、このような精神状態でも歓声は出る。見上げた目に雨粒が直撃するのが結構辛い。ポケットに入っていたハンカチを頭の上で広げてみたりしたが、すぐ、何の役にも立っていないことがわかった。だいたい雨が貫通してくるではないか。他に何かないかとポケットを探ると、サングラスがあった。これをかければ雨が目に入らなくてすむだろうか。花火、見えへんなるやんけ。一人ボケツッコミも、低調である。

 考えてみれば、雨が降っているということは、梅雨前線がまだその辺りにあるということである。日本の南北に形成された高気圧と高気圧の谷間に、梅雨前線はできる。つまり、少年少女がレジスタンス活動などしているから、このように雨が降るのであった。この雨は、その戦塵なのである。終わりのない戦い。冷夏は、いつもすこし寂しい。

 花火の轟音が、谷間に反響して消えてゆくと、辺りは山あいの河原の静けさを取り戻す。水音と雨音に、包まれる。
 下着まで雨が染み込んできているのか、実に、寒い。シャレにならなくなってきた。早いところ、どうでもよくなってしまおうと、またビールを注いで、飲む。風呂に入りたい。

「十九番、いつも新鮮な食材をみなさまにお届けするスーパー○○。しかけ花火です」
 花火大会は、まだ続く。


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