ソリティア・ティル・ドーン

 私の勤めている職場は面白いところで、完全にマッキントッシュ中心で業務が動いている。たとえば、事務から配付される書類がマックの書類形式で、共有フォルダに置いてありますから「ファイル共有」で取っていってください、ということがある。もしもウィンドウズが普及せず、マックが天下を取っていたらこうもあろうという、いわばパラレルワールドである。

 しかし、このパラレルワールドでは人民は幸せかどうか。エクセル形式のファイルを平気でウェブで配ったりする最近の風潮、なにがなんでもウィンドウズ、マイクロソフト・オフィス一辺倒の世の趨勢と比べてどっちが良かったかといえば、実はどっちもどっちなのではないか。端的に言うと、こうして目に付くパソコンが全部マックという状況を目の当たりにすると、かえってアップル、儲けすぎと違うか、と思ってしまうのだ。マイクロソフト、儲けすぎと違うか、とどう違うのかというと、ウィンドウズマシンの場合、まだしもハードウェアにはさまざまなメーカーのものがある。

 なぜここがスポット的にマックの牙城になってしまったかは、よくわからない。いや、深い理由なぞないのだろうが、入ってしまったからにはそこの都合に合わせなければならないのはここの場合も同じである。つまり何かの都合でウィンドウズを使いたいということになると、ネットワークなどに苦労するということなる。パソコン環境は、どうしても排他的にならざるを得ないものらしい。ただし私の場合は大学にいたころからマック中心だったのでむしろ好都合だった。実のところウィンドウズが使えないわけではないのだが、私にとってメインマシンがマックだと、いざというときの対応法、ノウハウの積み重ねがやはり段違いなのである。ただし、要するにこれは最初に出会ったのがどちらだったか、ということであって、歩んだ道が違えばウィンドウズの擁護者になっていた可能性も高い。

 さて、こんな私であるが、マックを使っていて、時々どうしてもウィンドウズがうらやましくなる場面がある。隣の芝は青いということなのだが、そのうちわりあい重要なものの一つに「ウィンドウズにはソリティアがタダで付いてくる」というのがある。

 このページを見ている人の、たぶん80パーセントくらいがウィンドウズユーザーなので、くだくだしい説明は要さないと思うが、ソリティアは実に単純なゲームである。ほとんど頭を使う必要もないトランプの一人遊びで、同じように付属しているマインスィーパーと比べてもゲーム性は低い。

 ところが、私はどういうわけか一時期これにひどく熱中したのだ。午後四時。食事にはまだ間がある。ソリティアの誘惑に負けるのはこんなときである。目下の課題は一山越えていたり越えていなかったりするが、どうもキリが悪いというか、あと二時間、何か建設的なことをする気が起きない。こんなときにソリティアがいいのだ。頭を使ってはいかんのである。カードの山を取り崩しながら、ひたすら一から順番に並べなおすという非生産的な作業に没頭する。そう、これは作業である。決して誰かとの競争ではなく、ご褒美のカードぴょんぴょんが嬉しいわけでもなく、ただただ単純な作業に頭脳を麻痺させるのがいいのだ。

 さて、マックユーザーとしては当然これに代わるものをなんとかマック版で発見したいものである。いうまでもなく、お近くのインフォマック(有名なマック用シェアウェア専門のftpサイト)などを覗いてみれば、マック用として結構な数のソリティアが発表されている。この中でひとつ挙げるとすれば、かつて私が熱中していたということで「Forty Thieves」を推したい。作者はEric Snider氏。この人は、一昨年あたりPowerBook5300など一部のマックにお試し版が付いていた「Eric's Soritaire」の作者と同じ人らしい。5ドルのシェアウェアで、私が遊んでいたのはバージョン2.0。結構古いゲームなので、最近のシステムではサウンドが出なくなるようだが、OS8.1でも一応ちゃんとゲームはできる。このForty Thieves、ルール上ウィンドウズのソリティアより相当難しい(成功率が低い)割りにはほとんど頭を使わない。平たく言うと非常に運に左右されるゲームである。成功率は熟練者でも20回に1回あるかどうか、というところで、要するにダメなときはいくら頑張ってもダメなので「あそこでこうしていたら」などと悩むことなく安心して「New Game」を選べるのだ。私がこれでしつこく遊んでいたのは、そこに魅力を感じていたのだと思う。われながらなんとも自堕落な評価基準である。ダメついでにここで白状してしまうが、散々遊んだにもかかわらず、私はまだシェアウェアフィーを払っていない。作者がカードや国際為替を受け付けていないらしいので、どうにも送れないのだ。すまん。もう遊んでいないから、許してくれ。(ダメだって)

 なぜ遊ばなくなったか。ソリティアで時間を潰すのを止めたのではない。別のに乗り換えたのである。Solitaire Till Dawnである。なんとこの中にウィンドウズでおなじみの「Klondike(ウィンドウズのアレはこういう名前らしい)」「Free Cell」をはじめ、「Forty Thieves」を含む33種類ものソリティアが入っている。これ一つあれば、以上のゲームは全部いらないのだ。まさにソリティアの最終進化形、これをやっちゃあお終いよソフトである。シェアウェア作家としてカードゲームの一つでも作って一儲けと考えているところに、こっちには全部入っています、ドーン、と出されると、なにしろソリティアのルールそのものには改良の余地はないのだから、後発ができることは何もないわけだ。ともあれユーザーサイドに立てば単純に嬉しい。私はこれを発見したとき、ついに安住の地を見つけたと思った。さすがにシェアウェア料金は20ドルと、円安の折りちと高いが、最近発表されたいくつかのソリティアにも、これをしのぐものはまだない。いかがですか、一家に一本。私は「Spider」だけで一年は遊んでますが。

 ところで、日本のSF作家に「谷甲州」という人がいる。冬山を一人踏破したり、一人乗りの宇宙船で太陽系の果てを探検したりというような、寒くて寂しい情景を書かせれば日本一という作家だが、彼があるところでこんな近況報告を書いていた。

 仕事がどうも進まないので、ウィンドウズに付いてきたソリティアをゴミ箱に突っ込んでやった。急に楽になった。誰だこんなものを付属させたやつは。

 さすが谷甲州と思ったものである。よほどストイックでなければこれはできない。神が与えたもうたエデンの園を自らの意志で捨てる勇気。私にそんな恐ろしいことができるとはとても思えない。私が麻薬とか、アルコール依存症になったら絶対治癒できないと思うゆえんである。むしろ、こんなふうに新しいソリティアの入手先を書いて、同病の輩を増やしてしまうのが関の山なのである。


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