暁の爆発物処理班

 朝、地震に起こされた。

 大きい。アパートの構造材がミシミシと軋む。震度3か4、というところか。かなりの揺れである。とはいうものの、かつて阪神大震災を豊中市で経験した私にとってみれば、まあ、あれ以来最大かもしれない地震ではあったが、こんなものだろう、という揺れでしかない。なにしろあの時は、本棚から滝のように本がなだれ落ち、コンクリートブロックが崩れ、大学が燃えるという騒ぎだった。良くないことかもしれないが、あれ以降揺れには慣れてしまっている。達観して揺れが収まるのを待った。ただ、ぜひ確認したいのはこれが遠くの大地震か、近くの中地震か、ということである。前者であれば東海大地震がついに来たのかも知れないし、それによって身の振り方も違う。私はいそいそとテレビをつけ、舌打ちした。

 画面がぼけているのだ。もう、ぼけぼけである。待つほどもなくテロップが出たが、テロップ、ということがかろうじてわかるだけで、内容は全く読めない。そうなのだ、私のテレビは電源を入れてしばらくはこのように画面がぼやけて使い物にならないのだった。

 事の起こりは大学時代にさかのぼる。六年くらい前のことである。その夏の朝、私が目覚めてみると、テレビがずぶ濡れになっていた。寝ている間に通り雨がきたのだろう。たまたま開け放していた窓から相当な雨が降り込んだようなのだ。悪いことに、テレビは窓際に置かれていた。

 見ている間に、テレビ上面にできた水たまりから、後部の通風口目掛けてどんどん水がしたたりおちてゆく。私は、何たるチーヤ、と意味もなく古いギャグをつぶやいた。これは故障したにちがいない。とりあえず、これ以上の悪化を防ぐべく、窓を閉めてテレビ上面をタオルでぬぐう。さて、これからどうするか。

 説明しよう。そもそも、テレビはどうやって画像を発生しておるのか。おぬしが今のぞき込んでおるコンピューターのモニターもブラウン管だが(液晶は除くぞ)、原理をご存知かな。まず、テレビは「電子を蛍光板にぶつけると光る」原理を利用しておる。蛍光物質というのだが、そういう物質があるんである。ではどうやって電子を蛍光版にぶつけるのか、ここで「電子銃」というものを使う。電子が飛び出てくる、そういう装置があるんである。あとは、この電子ビームをうまく曲げて、画面を光らせてゆけばよい。わかったかな。ところで、この電子を加速したり、向きを曲げたりするところはかなり高電圧になる。迂闊に触ると感電死するぐらいの高圧なんである。同調、復調などなど、他の回路はラジオとそんなに変わらないのだが、このブラウン管があるばっかりに、テレビは普通サービスマンでないと開けてはいけないことになっておる。そこの少年。ラジオは分解してもいいが、死にたくなかったらテレビは分解してはいかん。高電圧がかかっておるからな。

 ありがとう説明おじさん。みんなもわかったかな。というわけで、この状態でスイッチを入れるのは非常に危険である。おいそれと高電圧が露出するような構造になっていないとは思うが、下手をするとショート、テレビ炎上という事態を招きかねない。しかし、水が入って壊れた、というが、実際どの程度損害を受けているのか。実は全然大丈夫かもしれない。わかっているのは、いつまでもこうしていてもしょうがない、ということだ。

 これ、駄目だと言っておるに。人の話をきいておらんなおぬしは。高電圧であるぞ。危ないのであるぞ。

 そうは言いますがおじさん。故障したならしたで、確かめないと新しいテレビも買えません。ここは一発テストしてみましょう。実験です。

 そんな無茶をするでない。ドカンといっても知らぬぞ。ケガをするぞ。

 大丈夫です。幸い、テレビには優れたマン・マシン・インターフェースが備わっています。赤外線リモコンです。これでこうして、遠くからスイッチを入れれば大丈夫でしょう。たとえブラウン管が爆発しようとも。

 そ、それもそうかもしれぬ。念のため、布団の影に隠れてやるのだぞ。

 こうして上位自我をなだめたところで、私は布団に隠れながらスイッチを入れてみた。まるで花火職人か爆発物処理班のようであるが、確かにブラウン管というやつは、いつ爆発するかわからない奴なのである。なにしろ中は真空だ。

 −−ぼひゅん。

 うわっ。今の音は、なんだ。爆発はしなかったようだが、やけに寝ぼけた感じのスイッチ音である。調子悪いんだあ、やめてくれえ、とテレビが抗議しているのだろうか。ここで唐突に私の弟の話をするが、彼は朝が弱くて、朝一番に「おはよう」と話しかけると「ぐごご」と返事をする。関係ないか。似ていると思ったのだが。とにかくスイッチは入った。致命的に壊れているわけではないようだ。

 しかし、やがて明るくなった画面を見た私は思わず笑ってしまった。ぼけているのだ。画面全体がすっかりぼけているのである。画面には、なにやらモヤモヤとしたものがうごめいているだけである。これでは岸部シローとみのもんたの区別もつかない。いやそんなことは実はどうでもいいのだが、ガチャピンと鉢植えの区別もつかないのでは困る。困らないか。ええい、とにかく画面が出ないとテレビとはいわないのである。第一ファミコンができなくなってしまったではないか。

 私はすっかり、これで壊れたな、と思い込んだ。となれば買い替えだが、学生の身でテレビを買うとなるとなかなか大事である。まったくとんでもないことをしてしまったものだ、と後悔しつつ、私はスイッチを切った。ぼひゅん。うう。

 ところが、なかなか代わりのテレビを買いに行かない無精加減が、今回はプラスに働いたようである。明日買いに行こう、明日は桧になろう、と、ぼけているなりに数日使ううちに、だんだんと画像が鮮明になり、ついにはテロップやヒットポイントの数値も十分読み取れるようになってきたのである。中でなにか、重要な部品が乾いたのだろうか。電気製品が自然治癒するなんておかしな話であるが、ついになにも手を打たないまま、すっかり全快してしまった。日本製品は、かように頑丈である。

 続く六年間、このテレビはなんの問題もなく粛々とその役割を果たしてきた。阪神大震災やペルー人質事件のニュースを、さらに言えば「天外魔境II」や「ときメモ」のエンディングを、私はこのテレビで観たのだった。

 若いうちの無茶は年をとってから響いてくる、という。テレビにもそれが当てはまるとは知らなかったが、一緒に遥か関東の地にやってきた今ごろになって、この症状が再発したようだ。長い間使わないでいると、スイッチを入れてもしばらくは画面がぼけぼけになるようになってしまったのである。どうも、雨の日や部屋の中に洗濯物を干したときなど、湿気の多いときになるとひどくなるようである。まるで「こんな雨の夜には古傷がうずきやがるぜ」という老兵のようではないか。幸い、この期に及んでもしばらくスイッチをいれておくと直る。それで買い替えもせずに使っているわけだが、今のような、ただちにテロップを読まねばならぬ、という事態には全然アテにならないテレビになってしまったのだ。

 ところで、本当にテレビが爆発したらどうするつもりだったのかな。アパートの他の住人に補償をせねばならぬ、ということになると大変だったろうに。

 うーむ、それは考えていなかった。ま、でも、そんなだったら、多分死んでいると思うよ私は。ああ、ほら、ニュースが始まったぞ。

 それもそうであるな。うむ、画面もはっきりしてきたな。なんだつまらん。震源は東京湾である。

 この上位自我にして、この意識あり。私たちはそろって無責任なのであった。


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