カセットの中の確率論

「そうは言うが弟よ。これは相当なものだぞ」
「なんでえな」
 1987年の、冬のことだった。私たち兄弟は、ファミコンを囲んで議論をしていた。差さっているのは「ドラクエ2」のカセットだ。
「ひどい意地悪なのだ。凄く長いパスワードによるバックアップや、金の鍵のありかなどという問題ではない。存在自体にかかわることだ」
「なんのこっちゃ、わからへん」
「まず、基礎条件を確認しておこう。この『ドラクエ2』では、三人の主人公のうち、名前を決めることができるのはたった一人だ。あとの二人は始めから用意された名前から勝手に選ばれることになっている」
 具体的に言うと、『ローレシアの王子』だけを名付けることができる。あとの二人、『サマルトリアの王子』と『ムーンブルクの王女』はコンピューターが名前を決めるわけだ。
「せやな」

「それぞれのキャラクターに用意された名前は8つだ。次のようになっている」
 私は、ファミコン雑誌を片手に、ノートに名前を書きだした。

 ●サマルトリアの王子:パウロ ランド カイン アーサー コナン クッキー トンヌラ すけさん
 ●ムーンブルクの王女:まいこ リンダ サマンサ アイリン マリア ナナ あきな プリン

「共通認識、ということでいいかと思うが、このうち『すけさん』は絶対に嫌だ。『トンヌラ』もごめんこうむる」
「『クッキー』もなんか嫌やなあ。『ランド』も東条湖ランドみたいやし」
「そういうローカルな話題を出してはいかんな」私の家では「ランド」というと「東条湖ランド」という近所の遊園地のことだったのだ。「しかし、そこまでいうのはやめよう。話がややこしくなる。『クッキー』も『ランド』も可とする」
「うん」
「一方の『ムーンブルクの王女』だが、『まいこ』と『あきな』を不可とする。日本人を中世ファンタジー世界へ連れてゆけるか」
「『サマンサ』は?奥様は魔女やで」
「ふむう。確かに。『だんな様の名前はダーリン』もいいが、本当にあれは名前か。まあいい。今はよそう。これもアリとする」
 残りの名前だって、ファンタジーというよりは現代アメリカという感じの名前なのだ。そこまで言ってもしょうがない。

「わかった。それで」
「ああ。まず、この中から名前がランダムに選ばれるとする。実は『ローレシアの王子』の名前から計算で出るらしいが、今はそんなことを知らないとして、まっさらな気持ちでゲームを始めたらどうなるか、だ」
「ランダムて何」弟は、小学生である。
「つまり、でたらめ、ということだ。どれが選ばれるか、わからない」
 高校生の私は、パソコンなんかを持っていたおかげでこういう言葉を常用しているのだった。この当時は、パソコンを持っているということはすなわちプログラマーである、ということを意味していた最後の時代だった。

「わかった」
「まず、『サマルトリアの王子』だ。8つの名前から、一つを選び出す。このとき『すけさん』と『トンヌラ』にあたる確率は1/4だ。わかるか」
 ノートに、「8通りのうち2通り…2/8=1/4」と書く。
「わかる」
「つぎに、『ムーンブルクの王女』だ。同じことで、『まいこ』と『あきな』にあたる確率は1/4だ」
 ノートに「1/4」と書く。
「うん」
「だから、お供が二人とも変な名前になる確率は、1/16ということになる」
 1/4かける1/4いこーる1/16。
「これは16回ゲームをしたら、一回、ということだ」

「せやんな。別にええやんか」
 子供は、1/10以下の確率は零とみなす傾向がある。
「まあな。だが、おまえ、一人が『カイン』で、もうひとりが『まいこ』でもいいのか。『すけさん』と『マリア』でも」
「嫌や」
「であろう。だから、この場合、その名前にあたらない確率を計算する必要があるのだ」
 ノートを再び取り出し、「1/4」の横にこう書き足す。「あたらない確率=3/4」
「…」
「こっちも同じだ。3/4、と。つまり、二人ともいい名前になる確率は、9/16、だな」
 ここは図を書いた方が分かりやすいかもしれないのだが、そこまではしない。面倒だからである。
「16回やって9回は大丈夫、ということやな」
「そうだが、つまりそれは16回ゲームをすると7回はそんな名前が出てくるということだ。16回の7回だぞ」
「……」
 ピンと来ていないようだ。
「つまり、お前のクラス全員でゲームをしたら男子が全員変な名前にあたる位の確率なのだ」
 それくらいの比率だったのである。たとえが分かりにくくて済まん。
「…ようさんやな」
「ようさんだ。つまり、多い。いかにこの『ドラクエ2』がひどいゲームかわかっただろう。16人中、7人のプレーヤーが中世ファンタジー世界にふさわしくない名前のキャラクターを、好むと好まざるにかかわらずプレイ中連れ歩かなければならないのだ。取り返しのつかないことをしてしまった、と後悔しながらな。もっとも、たまたまウチは『アーサー』と『アイリン』だったが」

「でも『ローレシアの王子』の名前が『おおにし』やんか」
「そうなんだよな」
 私たちはその名前でゲームを始めてしまったのだった。とりかえしのつかないのは同じだが、ドラクエ2の制作者のせいではない。
「まあいい。ところで一番新しいパスワードは、どれだ」
 頑張れ、勇者おおにし。


関連リンク:FC版DQ2姓名判断
トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む