タブーはタブー

 「タブーの語源はタヒチ語のタプー」というのは、確か筒井康隆氏の著作でよく見かける豆知識だが、タヒチは未開である、という共通認識の上で意味を持つ豆知識であってそれはちょっとまずいのではないか、と子供心に思っていたのだが抗議はこなかったのだろうか。まあこれは本題とはあまり関係のない話である。

 昔から映画などで、示されたタブーを、それは村の古老によっておどろおどろしく語られる言い伝えとして、あるいは綴じ目のほつれかけた文献、ジャングルの中の苔むした石碑に刻まれた古語として登場人物と観客に提示されるものなのだが、それらを無視して無茶な行動をしたあげく、真っ先に死ぬのが「科学者」であった。理性的に行動したあげく死んでしまうのではやりきれないが、まあそんなB級映画はともかくとして、科学者はタブーなどに煩わされることなく、まっすぐに真実を見つめる訓練をされていると思われている。私もそう思っていた。

 タブーの中にも納得できるものは存在する。反吐や小便をしかるべき所以外に垂れ流してはいけないとか、素っ裸で表を練り歩いては行けないとか、これらは誰が見ても社会生活をみんなで行ってゆく上で問題があるから禁止されているのだと納得できる取り決めである。前者は掃除する人が大変だし、後者は、あまり問題が無いような気がするが妙齢の美女ならばともかく、世の中には他者の鑑賞に耐えない裸体の持ち主も多数いるのでやはり禁止されなければならない。こういうのとは違い、ここでいうタブーとは、もっと根拠の薄い、むかしからそういわれているというだけの根拠で禁止されている事柄の事である。

 私が社員食堂でハヤシライスなどを食していたときのことである。向かいに座った外国人、それはたまたま妙齢の美女だったのだが、彼女がトレーに乗せて運んできた定食の上に、そのタブーは腰を下ろしていた。

 彼女はその定食の、大きめの茶碗に盛られたご飯の真ん中に、箸を垂直に立てて運んできたのだった。

「わわわ。外人という連中は、知らないことをいいことに、なんと恐ろしいことをするのだ」。いてもたってもおられず、私はつたない英語を駆使して、彼女に話しかけた。「あなた、チョプスティックスをライスにプットしているな、それよくないある」。

「えっ、それはどういうことですか。」

 どういうことだと聞かれても困る。昔からそうなっているのだ。あるいは、そういうことをしているあなたを見ていると不安になるのです。といってもいい。とにかくやめて欲しいのだ、そういうことは。ううむ、英語が出てこない。ままよ。

「日本ではそういうことはテーブルマナーにおいて悪いと思われているある。」

「テーブルマナーですか。でも、こまりました。こうしないと箸をトレーに置かなければなりません。」

 要するにこういうことであった。この食堂では、トレーに料理を取って、料金を払った後、箸をとってテーブルに付くというシステムになっている。また熱帯雨林のマングローブ林保護のため、ここでは割り箸は置いてない。したがって塗り箸を一膳持ってこなければならないのだが、このときトレーで両手がふさがっているため、受け取った箸をトレーの上に置かなければならない。しかし、このトレーだが、よく見ればあまり熱心には洗浄を行っていないように見える。この上に箸を置くことは、なんらかの感染症の引き金となるおそれはないか。まずこういった合理的判断の結果としてとして彼女は箸をご飯の上に突き立てていたのだった。

 理論的には確かにそうである。私も、得体の知れない液体で湿っているトレーの上に箸を置くときに躊躇したことは多い。ご飯の上に箸を突き刺して保持しておきさえすれば、そういう問題からは解放されるのである。理性の下した判断に、そうしてはならない、と訴えかけるのは、幼い私に「それは仏さんのごはんやから、そんなことしたらあかんねん」と諭す母親の言葉だけなのである。

 「仏さんのご飯」。恐怖心を煽る言葉ではないか。そう、人はいつか死ぬ。そうして死んだ人間は、昨日までは親しい肉親であったものでも、まったく異質な何者かに変化して二度とは戻らないのだ。この理不尽さの象徴として、また、むやみと広い農家である実家の、子供は滅多に近寄らない、昼なお暗い一角にまつられた仏壇、そこに強く結びつけられた記憶として箸の突き立てられたご飯があるのだった。自我が形成される遙か以前に刷り込まれた記憶だからか、それともこのタブーを犯さずにおくことがあまりにも簡単だからか、その映像は不合理にも、私に恐怖すら呼び起こさせる物となっている。

 そうした理論を頭の中で瞬時に形成した私であったが、こういった文化的背景まで説明するのは私の英語能力ではとうてい不可能であることもまたわかっていた。私はハヤシライスを食べる手を休めると、言った。

「そうっスね。だからわたし、スプーンなんスよ。HAHAHA。」

「おう。ユーキディンミー。HAHAHA。」

 こうして外人にタブーを説明することの難しさ、ひいては外国人のもつタブーを不合理だとはねつけることのむなしさを感じた私なのであった。

 ああっ。その箸、よく見たら二本が色違いじゃないか。なんて恐ろしいことを。


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