彼は人力車を引いて山を登っていた。彼が引くリヤカーには荷物が満載されている。「エクセル・サーガ」のエクセルのような所業であるが、決して意図してのことではない。第一彼はそんな漫画知らない。読者のみなさんも、ご存じないことだろう。それで正常である。それにハッちゃんも乗っていない。いや、そんなことはどうでもいい。彼はあのマイナーな漫画とは関係なしに、リヤカーを引いてゆく。彼なりに、やむにやまれぬ事情があるのだった。

 この苦行を去ること一ヶ月前。彼は突然降って沸いた不幸に見舞われていた。長年住み慣れた下宿を、追い出されることになったのだ。といっても、別に彼の生活態度が悪いから、ではない。もちろん生活態度がよかったわけがないが、追い出されるほどではなかった。下宿そのものがなくなってしまうことになったのだ。取り壊した跡地には新しいアパートが建つのか、貸し家自体止めてしまうのか、それは分からない。しかし、来月いっぱいで今の下宿を出て他に住みかをさがさなければならない、そのことだけは確かなのだった。

 彼は新しい下宿を物色した。大学の周辺では、季節はずれの物件はさほど豊富ではない。それに、学生の身であるから、家賃は出来るだけ安く上げなくてはならぬ。駅が遠いのは我慢しよう。風呂が無くても、トイレが共同でも構わない。近頃では10万円近い部屋に住む学生がごろごろしているが、彼は一応そういった輩とは別の、昔ながらの学生なのだった。
 いくつかの休日と平日を不動産巡りに当てた後、彼が新しく見つけた下宿は、今までの下宿に対して、大学を挟んでほとんど反対側にあった。そのこと自体は問題はない。もともと自転車でなければやや辛い程度だった大学への通学距離が大きく変わるわけではない。むしろ駅に近くなって便利になるくらいである。
 ただひとつの問題は、引っ越しをどうするか、であった。
 新旧の下宿の間の距離は、直線距離で5キロあるかないかだろう。それはいい。ただ、その間にちょっとした丘があることが問題だった。

 筆者は98年の春、大阪にゆく所用があり、その丘に立ってみる機会を得た。
 現在大阪大学の位置するその丘は、その上に立ってみれば思ったより高度がある。西方から吹田へ向けて滑り込む中国縦貫自動車道路が山を切削して作られているが、平行して走る一般道路(大阪中央環状線)との比較で、数十メートルの高度差ができている。もはや、小山、といってもいい。彼は、この丘を上り下りしながらたったひとりで新旧の下宿を行き来したのだろうか。筆者の胸に、なにか熱いものが込み上げるのをどうすることもできなかった。

 そう。彼は自分ひとりで引っ越しを完遂する決意をした。この辺りの決意については、いまや我々には想像してみることしかできない。おそらくは、彼のうちに眠る反骨精神がそうさせたとでもいえるだろうか。この急峻な坂道に負けぬ決意の程については、そういう時代だったのだと理解するほかない。
 彼の下宿には、業者に頼むほどの家財道具があるわけではない。そんな金もない。車は、持っていない。レンタカーを借りるという手もあったが、彼の持っている免許は自動二輪だけなのだった。
 そして彼が選んだ道こそ、リヤカーを引いて、新しい下宿に重量物を運びこむことだった。冷蔵庫や、テレビ、布団など家財一式を乗せて、リヤカーを引いて山を登るのだ。

 リアカーは、幸い彼の所属する研究室(ゼミ)が重量物運搬用として保持していた。大阪では日本橋の路地裏とか以外ではほとんど見ることもなくなってしまった大八車である。確かにこれで引っ越しを完遂することが可能かと言えば、不可能ではないだろう。すべてをこれで運ぶわけではなく、自転車ではどうしようもない荷物だけに絞れば、さほど荷物が多くなるとは思えない。道路を通過できるのかどうかという疑問は残るが、裏通りを選び、環状線ぞいの道では歩道を使えば、さほどの渋滞の原因になるとも思えない。
 それにしても、なんとも大時代な所業というほかない。考えてもみよ。平成も一〇年になったころの話である。同時期には明石大橋が完成。世界最長のつり橋で、本州−淡路−四国間を一本の道路で繋いでいる。そんな大規模テクノロジーの時代に、人力のみでもって引っ越しを決意している人間がいるのだ。地球に優しい引っ越し。感動的でさえある。

 引っ越しは、金曜日から始めることにした。月末までに引っ越しを完了するためには、土日を前にした金曜日がふさわしいように思われた。当日に雨でも降れば延期せざるを得ないが、その場合土曜日なり日曜日なりを予備日として使うことができる。さらに金曜日の早朝には、大学の研究室の打ち合わせがある。引っ越しということにすればこれを合法的に休める利点もあった。
 この世になにか超越的な存在があるとすれば、いずれ邪悪な神が味方したのであろう。当日は、大阪の冬としては珍しい程の快晴だった。大学には今日を休みにするむね、昨日のうちに伝えてある(伝言板に書いてきただけだが)。いつものように昼前に起きだした彼は、部屋を片付けてからリヤカーをとりにゆくことにして、散らかった部屋を片付け始めた。

 片づけは思いのほか、難航した。前もってある程度私物を大学の居室に運び込むことで、引っ越し荷物の減少をはかったにもかかわらず、ごくふつうの、衣類や食器類、調理器具などの雑多な品物で、荷物が膨れ上がっていったのだ。部屋の一角に山のように積み重ねられた「週刊プロレス」も忘れずに持ってゆかねばならない。
 やっと彼が荷造りを終わり、リヤカーをとりにゆけるようになった頃には、太陽はすでにかなり西に傾いていた。彼は重い足取りで研究室に向かった。

 研究室についた彼を待っていたのは、意地悪な友人の言葉だった。
 「あ、もう引っ越し終わったの」
 彼は、この言葉に、冷や水をかけられたかのような衝撃を覚えた。引っ越しは終わってなどいない。これから始まるところなのだ。こんな無神経な言葉を聞かされるくらいなら研究室に顔を見せたりせず、そっとリヤカーだけもって帰れば良かった。彼は激しく後悔した。
 (それにしても何がそんなに嬉しいのだこの男は)
 彼は、興味本位で新しい住みかの場所を聞き出そうとしたり、リヤカーで引っ越しをすると聞いて、目を輝かせて何か言ってこようとするこの男を無視して、そうそうに引き上げた。やつにはいつも煮え湯を飲まされている。一旦弱味を見せたら最後、天から与えられた言語的才能のすべてを捧げて彼のことを笑い者にしようとするのだ。

 研究室から空のリヤカーを引いて古い下宿へ。そこから荷物を乗せて新しい下宿へと山をこえる。そして、荷物をおいて研究室に引き返す。
 なんとか暗くならないうちにすべてを終わらせようとした彼のもくろみは、またもつまずきを見せることになった。古い下宿で荷物を積み込もうとした彼は、とうてい家財がリヤカー1回分などにおさまりきらないことを思い知ったのだった。
(まあいい。どうせ土曜日も引っ越しには使えるのだ。二日かければいい)
 まだ半分でしかない荷物を引いて、彼は下宿を出た。


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