「パンはバターを塗った面を下にして落ちる」というのは有名なマーフィーの法則の一つであるが、これを聞いてだれもが思うのが、それはバターを下にして落ちたときのことばかり覚えているからであって、本当は確率は五分五分に違いないということだろう。
ところが、この現象に関する詳しい考察をして論文にした人、というのがいて、それによれば普通の高さのテーブルから、バターを上に塗ったパンを落とすと、ちょうど半回転してバターの面が下になるような運動をする可能性が最も高いのだそうである。面白いことに、この半回転するという法則は、人間と似たような構造を持つ生物がテーブルでパンを食べている限り、惑星の重力などに関係なく成り立つらしい。このマーフィーの法則は真実であるばかりでなく、異星人にも成り立つのである。これはSFマガジンではじめて読んだのだが、日経サイエンスの'96年2月号にもコラムとしてあったので、多分結構まともな研究なのだろう。
今日、私は一日中ある実験に従事していた。この実験についてここで詳しく述べることはしないが、ごく簡単に書くと、データをとって、それを蓄積してゆく、という性格のものである。一つの実験は一時間ほどで、これを何度も繰り返す。
さて、マーフィーの法則のことを書いたのは、これが確率についてなにごとかを語っていると思うからである。実験をやっているとどうしても、思い通りの結果におわったものだけを抜き出して、あとは捨てたい、という誘惑にかられることがある。記憶によれば結構いい結果が出ていると思うのだが、ちゃんと全部のデータを平均してみると、平凡な結果に終わってしまう、ということがよくあるのである。こんなはずでは無かったと、よく思う。
また、一つの実験の途中経過を見ていると、たまたま良い結果が出ている間にこの実験を終わりたい、という誘惑は強い。一時間とか、決められた時間まで続けることになっているのだが、そこまで続けると平凡な結果になってしまうことが多いように思えるのだ。
しかし、考えてみると、少なくともこの「いい結果が出ている間に終わる」というのは必ずしもなにかを欺いていることにはならないのではないか、と気がついた。これはたとえばパチンコで、勝っている間に終わる、ということを繰り返せば絶対に損はしない、というようなものであるからだ。そんな戦略で儲けが出るなら、パチンコで損をする人など誰もいない。いい結果が出ている間に終わることを心がけていても、いつかは大敗して勝った分をそっくり失ってしまう、ということになっているからああも沢山のパチンコ屋が繁盛しているのである。
つまり、実験を終わる時期をこちらが選んだところで、平凡な結果しか出ない実験なら最終的には平凡な結果に行き着くことは間違いないのである。好きなところで止めていいのだ。
というわけで、今回の実験は大変うまく行った。科学者としての良心がなんとなく痛むが、多分気のせいだろう。
「車を洗うと雨が降る」というのは、「パンはバターを塗った面を下にして落ちる」の次くらいに有名なマーフィーの法則の一つであるが、このフレーズを聞いて誰もが思うのは、雨が降るなら洗う必要は無かったということなのか、それとも雨が降るとまた車が汚れるから困るということなのか、という疑問であろう。
簡単に分析すると、前者は相当の面倒くさがりで、後者はちょっとの汚れも我慢できない神経質、ということになりそうである。私はといえば、車の汚れが我慢できない種類の人間であって、そのくせ面倒くさがりでもあるので、もし私が車を持ったら、不満には思いつつなかなか洗車などしないことは目に見えている。とはいえ、私の知人には、中古車を購入して以来廃車とするまで一度も洗車をしたことがないとか、あるいはボンネットにコインで大きくバッテンを書かれたまま数年平気で乗っていたうえさらに後輩に売り払ったとか、そういう剛の者がやたらといるので、そうなったとしてもまだまだ下には下がいる。
今日、日曜日の我が町は雨であった。普通雨の日といっても降ったり止んだりするものだが、今日に限ってはまったく途切れなく降り続いた一日となった。給料も出たのでカラープリンターを買いに行こうと計画していた私は、雨が降り止むまで寝て過ごそうなどと怠惰な方向に流れたのだが、このままでは一日寝ていなくてはならないことに気がついてさすがに馬鹿らしくなり、予定を変更して職場に出てきたものである。もっとも出てきてなにをしているかというと「ネットサーフィン」をしたり、こういう雑文を書いていたりしているので、これなら寝ていたほうがましではなかったかという気もしないではない。
さて、洗車のことを書いたのは、この雨の中洗車をしている人を目撃したからである。私の通勤路の途中、私鉄の線路際にオート洗車というか、セルフサービスの洗車場があるのだが、こんな雨の日だというのにそこで車を洗っている男がいたのだ。車は、なにしろ詳しくないので車種のことは聞かないで欲しいがいわゆるRV車。洗っている男の方は、年のころは十台か二十台前半、なぜか赤銅色に日焼けしたロンゲの男で、上半身はこの寒さに似合わぬシャツ一枚である。
ああ、若いということはああいうことなのだな、などと間抜けな感想を持ちつつ眺めていたのだが、降りしきる雨の中、男は傘も差さずに一心に車を磨いている。特に車の前面、あの剣呑なカンガルーバーを磨きあげることに情熱を傾けているようである。
いったい、雨の日の午後わざわざ洗車をしなければならなかったのには、どういう理由があるのだろうか。これからデートなのか、それともその車で雨の中女の子でも引っ掛けに行くのか。しばらく足を休めて見入っていた私は、その男が手を止めてこっちを見たので、慌ててまた歩きだした。それにしても、彼のシャツに点々とついていた、あの赤いものは一体何だったのだろう。