星の渚で

「流星雨が降ってくるんですって」
「ああ、そうだよ。しし座流星雨」
 庭に出て、夜空を見上げた私たちは、星座早見盤を手に、しし座を探した。真夜中過ぎという時刻では、しし座は真東の地平線から20度ほど登った位置にある。角度の測り方をご存知だろうか。知っているとキャンプなんかで星を見たとき、自慢できるので覚えておくといい。手をいっぱいに伸ばして見たとき、拳の幅が約一〇度、小指くらいで1度になる。だから、まだしし座は拳二つ分だけ登っただけ、ということになる。本当は、もう少し夜中の方がいい。
「あのちょっと明るめの星がたぶん『レグルス』。あの近くから流れ星が放射線状に降ってくるように見える、と思う」
「へえ」
 今も変わらぬ田舎ではあるのだが、昔と違って、満天の星空にはすっかりお目にかかれなくなってしまった。それでも都市部に比べればずいぶん星が見えるのだが、小さいころにぼんやりと見えたはずの天の川には長い間お目にかかっていない。しかし、考えてみれば、小学生のころとなるともう二〇年も前の話だ。驚いた。
「流星雨って、どんなふうに見えるの」
「ええと、一度しか見たことがないんだけど…」

 中学生のころ。夏休みの一晩を私は中学校の屋上で過ごした。
 お誘いの電話は友人からかかってきた。ペルセウス座流星群が今晩極大になる。中学校の屋上で観測会があるのだがどうか。星、宇宙という言葉に目のないSF小僧である私は、その夏休みの夜、中学校に出かけていった。
 中学校は、私たちの町の北の端の高台にある。その夜中、いつもの急坂を登り、理科室に集まったのは五〇人ほどだった。夜遅くという時刻、いつもと違う雰囲気にみんなすこし興奮している。観測会を主催した理科の先生が、流星雨とは何か、というような話を始める。地球が、彗星の残した塵の雲を横切るとき、その塵が地球では沢山の流れ星として見えます。今回の流星雨は、地球の進んでいる方向ということになるのですが、ペルセウス座の方角にその塵の雲があり、それでペルセウス座を中心に流星が降ってくるように見えるのです。さらに観測の手順について簡単に説明を受けたあと、滅多に開かれることのない最上階の扉が開かれて、屋上に登った私たちは観測準備を始めた。
 組織的な流星の観測は、このようにする。まず、一〇人ほどで1チームをつくる。観測係は、足を中心に輪になって寝転び、おのおの夜空の1セクターを担当する。記録係は、その輪の近くに座り、手もとの暗い明かりを観測係の邪魔にならないように使い、報告を記録する。流れ星が、いつあったか。どの位置から、どの方向に向けて流れたか。特に明るい、あるいは爆発を起こした流星は、その旨も記録する。
 集まった生徒達で3つほどのチームが作られ、屋上にそれぞれの場所を決めた。流星雨の極大にはまだまだ時間があるらしく、一心に流星を探す、という段階ではない。屋上の東の端では、上級生が何人かで集まって、アンテナを空に向けていた。電波観測をするらしい。お盆に近い時期だったからだろうか。中学校の北側にある高速道路を、無数の赤と白の光が往復していた。傍らで、蚊取り線香がじりじりと煙を立ち上らせている。
「ベントラ、ベントラ」
 誰かがUFOを呼ぶ呪文を唱え、笑い声が上がった。そういうのは笑いにすべきものだ、ということはみんな知っていたらしい。
 部活動のため中学校に出てきているとはいえ、違う部の友人とは夏休みの間、意外なほど接点がない。どんなことをした、これからどんなことをする予定だ、というようなことを話しているうちに、徐々に、本当に少しずつ流星が増えていった。
 私の町は、八月の中旬ともなると、夜中であれば涼しいという感想が出るほどの気温になる。高台にある中学校の、さらに屋上に寝そべっていると、ほとんど一八〇度視界が星で埋めつくされる。見つめていると天地がさかさまになって、その中に落ち込みそうな、そんな夜空である。そこに、音もなくさっと光が流れる。流れた、と思ったときには目の奥に残る残像だけ。
「五番。南東」
 私の報告を受けて、記録係が報告を書き留める。
 流星の頻度は一分間に一度か二度ほどで、ほとんどの時間は暇にしているということになるのだが、律義な記録係はいつ報告が来ても書き込めるように、じっとノートを見つめていた。
 外国のSF映画で見たような、あるいは、ずっとあとになってスクリーンセーバーでよく見かけることになる、放射線状に自分たちに向かってつぎつぎと流れる星、というイメージとはほど遠い流星雨ではあったが、私たちはこの経験をずいぶん楽しんでいた。時折訪れる、音をたてて爆発する流星、あるいは火球を作り、激しく光る流星が、滅多にはなかったが、クライマックスと言えた。運よくそんな流星を自らのセクター内に捉えることのできたメンバーは、周りから実に羨ましげな声を掛けられるのだった。
 私はそれから数時間の間、こうして夜空の一画を見つめたり、あるいは交代して記録をとったりしていた。あっという間だったような気がする。一分間に五個、というほどの記録をピークにして、だんだんと報告がまばらになってゆき、みんなの緊張感が緩んでゆく。これといった区切りもなく、今晩の観測は終了となった。記録をあとでまとめてどう、ということはしなかったから、多分気分だけに終わったのだと、今になってそう思う。
 流星が流れなくなっても、私たちはまだぐずぐずと屋上に居残っていた。よもやま話をしたり、うとうとと眠ったりするうち、ゆっくりと空が回り、やがて東の空がうっすらと明るくなった。皆は屋上の東端に集まって朝日の出てくる方向を見つめた。ゆっくりと、それはもう思っていたよりずっとゆっくりと、空があかるくなり、ついに太陽が顔を見せたとき誰ともなく歓声があがった。
 こうして見慣れない、特別な時間が、いつもの朝に変わる瞬間を共有した私たちは、それぞれの家路についた。夢のような一夜は過ぎ去り、日常の時間が始まった。夏休みも、もう残り少ない。

「確かに沢山流れ星は見たけど、多分、期待外れの年、ということだったんじゃないかと思う。次の年も同じ催しがあったのかどうか、覚えてない」
「この流星雨はどうなんだろう」
「うん、奇麗だといいね」


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