科学しまった物語

 シャアも言っているように、若さゆえのあやまちというものは認めたくないものである。誰でも一つや二つは無知ゆえにとんでもない間違いをした記憶を持っていることだろう。しかし、過去にしでかした自分のあやまちを、すべて若さゆえとしてしまっては暴言に過ぎる。あと知恵で考えて間違っていたことがわかるだけで、その時はそれなりに最善を尽くしていたということもあるのではないか。決して過去の自分が馬鹿だったということばかりではなく、だ。
 人類の歴史の開闢以来、時折立ち止まりながらも連綿と続いてきた科学の進歩にも「若さゆえのあやまち」というか、あと知恵で考えてこそだが、どうしようもなく間違っていることがある。

 だれもが中学生のとき気がつく科学の致命的なあやまちは、電流の担い手としての電子の話だ。中学生はここで、電流は金属の中の電子の流れによって作られると学ぶ。ところが、どういう理由でか、電子と電流の向きは反対だというのだ。電流が流れる=電子が反対方向に流れる、であり、電子を受けとるということは電流を流しだすということなのである。なんでまた、そんなややこしい規則を作ってしまったのだ。
 初めにプラスはこっち、と決めてしまったからである。電流が電子の流れによって作られているということがわかったのは、電流の利用よりずっとあとのことなので、最初はどっちがプラスかというのはわからなかったのである。たまたま、二つに一つ、どっちでもいいのにエイヤっとプラスと名付けたほうが、実は電子を流しだす方ではなく、受け取るほうの極だったのだ。誰が決めたのか知らないが、なんという失策であろうか。電子の電荷をプラス、としたほうがずっとすっきりしたに違いないのに、もうどうしようもない。これからもずっと、電流は電子と反対向きに流れ続けるだろう。

 知識は間違っていたとわかれば取り返しはつく。しかし、物事をいかに名付けるかという問題は、いってしまえば何と名付けようが構わないことだけに、いつの間にか思わぬ方向に走って行ってしまっている場合が多い。しかも一度決めるとおいそれと変えられないので、あやまちがいつまでも残りやすいのだ。間違った名前の付け方には例えば、新しい概念に過去の延長として名前を付けていったところ、いつのまにかずいぶん変なことになってしまったという場合がある。電波の分類方法なんかがそうである。電波はその波長によって分類されていて、波長の長いほうから短いほうに、
長波−中波−短波−超短波−極超短波
 となっている。極超短波である。キワメている。超困ったことになっている。きっと、この辺まで定義しておけばいいや、と思って名付けてから、次々短波長側の電波が実用化されてゆき、名前をインフレーションさせざるを得なくなったのであろう。ケンカ漫画で、主人公が周辺の学校を次々にシメてゆくと最後に「日本の番長」が出てくるようなものであろうか(ちなみに、これで短いほうが打ち止めというわけではない。センチ波、ミリ波、サブミリ波と短くなってゆき、皆さんおなじみの遠赤外線にたどり着く。以降は赤外線、可視光線、紫外線、X線、ガンマ線となる。また長波の下には超長波がある)。しかし、日本語はまだ翻訳というタイムラグがあるからか、まだしも整合性の取れた命名になっているのである。英語だともっと凄い。
LF−MF−HF−VHF−UHF−SHF−EHF
 High Frequencyの次をVery High Frequencyとしたまでは良かった。次をUltrahigh Frequencyとしたのが失敗の始まりだった。さらにSuper High Frequency、Extremly High Frequencyとせざるを得なくなったからである。銀河番長である。電波の周波数にまだまだ上があるということは、わりと早い時期にわかっていたはずなのに、ずるずると名付け続けてしまったのだろうか。それでは言っちゃあ何だがバカではないか。どうでも良いが、ウルトラマンよりもスーパーマンの方が英語の語感では「超えている」のだろうか。エキストラマンはちょい役みたいだが。

 単位の名付け方も、もうちょっとどうにかならなかったのかと思うことがある。たとえば、磁場の強さの単位である「エルステッド」である。電線のそばに方位磁石を置くと狂う、ということを発見したデンマークの物理学者の名前から取られたもので、最近(といっても20年くらいのスパンで)この電磁場の辺りの単位系が整理されて使われなくなってきている単位であるが、対応する新しい単位が「アンペア毎メートル」という何も考えていない組み合わせ単位なので、まだ広く使われている。不幸はこのエルステッド(エールステズ)さんのスペルが「Oersted」だということである。省略して「Oe」と表記されるが、どう思われますか。Oe。何かえづきそうである、というようなバカなことは言っちゃダメだが、たとえば100Oe。100エルステッドなのか1000イー(そんな単位はないが、eは電子の電荷としてよく使う)なのかわからない。現に私がいまタイプしている「Osaka-等幅」というフォントではなぜか全く同じなので、この段落は校正不可能になっている。
 このように単位の名前は大体その分野に貢献をした科学者の名前をとってつけられることが多い。ところが、昔は単位を場当たり的でいい加減な約束でもって作っていたのを、合理的な基準でもって作り直そう、という動きがあって、最近の例では「ミリバール」が「ヘクトパスカル」になったというのがあるが、こういった「単位系の整理」というのはなかなかのくせ者である。単位の統一の動きに従って、いろいろな単位が有名な科学者をたたえる意味とともに過去のものとして葬られてしまうようになっているのだ。たとえば、これは放射線に関する単位だが「レントゲン」や「キュリー」に代えて「クーロン毎キログラム」と「ベクレル」を使いましょう、というものがある。前の二者は誰でも知っている有名な科学者であるが、新しい単位は組み合わせのさえない単位や、いまいち何をした人なのか良くわからない科学者の名前である。もちろん本当はベクレルだって大科学者なのだが、巨星キュリー夫妻に比べるとマイナー感はぬぐえない。それにしても、こんなところで比較されてしまうなどとはベクレルも思わなかっただろう。悲しいことだ。
 大科学者といえば、アインシュタインという単位はない。彼の活躍した時代にはもう単位として残るような発見があまりなかったということだとは思うが、彼の名前が、ドイツ語の「1」で始まるということが大きいのではないだろうか。ドイツ語では、150アインシュタインなのか、151シュタインなのかわからない、ということになるのでは。これは今思いついて書いているだけなので、嘘だったらごめんなさい。ドイツ語に詳しい人の指摘をお待ちしております。日本語では「ジュール」という単位がその点ややこしくて、5ジュールなのか50ルなのか、いや「ル」という単位なんかないのだが。

 で、話はぐっと卑近というか、ちっとも卑近でないが、個別的な話になる。かつて米国で、SSCという超高エネルギーの加速器が計画されたことがあった。1億電子ボルト級の大加速器が素粒子物理の新たな地平を開くはずだったのだが、建造半ばでこの計画は中止となってしまった。大規模科学の行き詰まりか、と、大きく騒がれたものだ。そんなこんなでSSCという名前は加速器関係者にとって見果てぬ夢を象徴するような名前となっている。さて、最近私が聴講したセミナーで、中国のある加速器施設の現状という話があった。そこの主加速器が、普通のリングサイクロトロンなのに、おそらくたまたま略語の都合でだと思うが、SSCと名付けられていたのである。
「いや、これはあのSSCとは違うSSCなのです」
 と恥ずかしそうに説明されていた。彼はきっと、行く先々でそういう言い訳をしながら、何でそんな名前つけたんだよ、と思っているに違いない。
 科学者にとって、「何かを名付ける」あるいは「自分の名前がつく」というのは最高の栄誉に属するが、せめて後世の人を困惑させないよう、よくよく考えてから命名したいものである。はて、今回は何かの教訓になっているのだろうか。


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