来年のことを言うと

 いよいよ1999年も間近に迫ってきた。ご存知ノストラダムス・イヤーであるが、みなさん恐怖の大王を迎える準備はよろしいだろうか。きっと十人くらい「私が恐怖の大王です」という人物が現れると思うのだが。くれぐれも空には気をつけよう。頭の上に落っこちて来られてはかなわない。
 ノストラダムスといえば、原題を「Les Centuries」、日本では「諸世紀」という題名で知られている予言詩の本に関して、この訳は本当は間違いで、「百詩篇集」とでもするのが正しいとする議論がよく聞かれる。「…ノストラダムスの『諸世紀』にさあ、」といって話し出すと、すかさず「それは間違いで本当は『百詩篇集』が正しいのである」と指摘する輩が君の周りにもきっといるはずだ。
 しかし、流れる時間、綴られてゆく歴史、といった豊かな連想をもたらす「諸世紀」という題名に対して「ひゃくしへんしゅう」という言葉はなんとも弱々しくて語呂が悪い。そもそも「モンテ・クリスト伯」を「巌窟王」と訳したり、「The Toxic Avenger」を「悪魔の毒々モンスター」と訳したりなど、他の分野では題の翻案など日常茶飯事なのである。なにもここにだけ目くじらをたてることはあるまい。諸世紀でいいではないか、減るものではなし。

 ともあれ、未来を予知することは何としても難しいことである。ノストラダムスなどの予言書がもてはやされるのも、一般に未来を見通すのがとても難しい技術であるからに他ならない。科学による予言がアテにならないから、そこにオカルトがはびこるのである。この「オカルト隙間産業理論」は、たとえば、空を飛ぶとか、道路を時速50キロで走るとか、そういう科学で実現された能力が超能力の分野で人気がないことを思えば納得できると思う。
 予知に関して科学がなにもしていないわけではない。そういう意味で最も待ち望まれているのが、地震予知の分野である。しかし、数多くの才能がその人生を捧げ、また多額の予算が投下されているにもかかわらず、いっこうにその糸口の見えない分野でもある。かと思えば、地面の電圧を測るとか、虹を観測するとか、雲を観測するとか、ナマズを観測するとか、民間の、個人の範囲で出来る予知が大々的にマスコミに取り上げられては、学者がそれを批判するという展開がもっとも多く見られるところでもある。オカルト隙間産業理論の好例なのだ。
 地震学を学んだ配偶者を持つ知人から聞いた話なのだが、科学のこの分野に関する人類の知識は非常に限られたものであり、ほんの数時間の講義で語り終えてしまえるほどわずかなものなのだそうである。通俗科学書を読んだくらいの知識があれば誰でも第一線の学者と伍した議論ができる、という。それくらいこの分野については何もわかっておらず、研究も進んでいないというのだ。
 いくらなんでもこれは自嘲の入った言辞だと思うが、ご存知の通り、科学の仮説は、それが現実に役に立ち、さまざまな現象を説明できることによって、やっとゆっくりと法則として認められる。してみると地震予知の役に立っていない今の地震学は科学の名に値しないということもできるのだが、ちゃんと科学的手法をつかった研究の方が、盲滅法に身の回りの現象と地震の関係を見つけようとする試みよりは、やがて正しい予知法にたどり着く可能性は高いように思うので、素人の皆さんは予知法を見つけて一発当てようなどと考えないほうが無難である。

 地震とは直接の関係はないが、科学的予知ということで、おもしろい数学的予言の方法があるのでご紹介しよう。純粋に数学的推論なのだが、直感に反するので面白い。

 この予言は、すべての物事はいつか終わる、ということを利用して、その終わる時期を予言しようというものだ。まず、ひとつだけ制限がある。
・予言対象の物事が、いつ終わるか不明確であること。
 つまり、人間の寿命のようなものは駄目、ということである。なぜならば、百年を越えることがほとんどないから、五十歳の人があと何年生きるか、というのは、ほとんど間違いなく六十年以内であると言える。ここで対象にするのは、いつまでも続くかもしれないし、明日にも終わるかもしれない、そういう不確定性のある物事である。
 さてアイデアはこうだ。たとえば歴史上百年続く何物かがあったとする。「江戸幕府の徳川氏による支配」でも「音楽は円板状の媒体に録音されて販売される」でも、なんでもいい。その百年の歴史のどこか一点をランダムに選んだとしよう。
(1)初めの二五年
(2)二五年から五〇年
(3)五〇年から七五年
(4)最後の二五年
 のどれかになることは明らかだろう。そして、この四つのどれになるかは1/4ずつで同じ確率である。それでは、それぞれの時代に我々が今いるとした場合、その物事がどのように見えるか、順に見てゆこう。
(1)の場合。これまでその物事は〇年〜二五年続いた。今後一〇〇年〜七五年続く。
(2)の場合。これまでその物事は二五年〜五〇年続いた。今後七五年〜五〇年続く。
(3)の場合。これまでその物事は五〇年〜七五年続いた。今後五〇年〜二五年続く。
(4)の場合。これまでその物事は七五年〜一〇〇年続いた。今後二五年〜〇年続く。
 おわかりだろうか。あたりまえのことである。しかし、次のように言い換えることができる。
(1)今後の寿命はこれまでの期間の三倍から一〇〇倍以上まで。
(2)今後の寿命はこれまでの期間の一倍から三倍。
(3)今後の寿命はこれまでの期間の1/3から一倍。
(4)今後の寿命はこれまでの期間の1/3から1/100以下まで。
 繰り返すが、この(1)から(4)はどれも同じ確率で起こる。だから(2)か(3)になる確率は、全体の半分である。ということは、
「物事をある瞬間観察した場合、1/2の確率でその残りの寿命はこれまでの存続期間の1/3から三倍の間である」
という結論が得られることになる。しかも、この推論は百年という期間を特に定めなくても成り立つ。千年続く国家であろうが、半年で終わるテレビドラマであろうが、ある瞬間に物事の寿命がこれまでの歴史の1/3から三倍である確率は常に二つに一つなのである。

 このアイデアを最初にどこで見たのか思い出せなくて申し訳ないのだが、なんとも豪快なことは、この方法を使えば、社会情勢などの細かな分析抜きで森羅万象の終わる時期を予言できてしまうということである。しかもこの議論自体に一応誤りはない。

 実際に使ってみよう。たとえば業界一位のシェアを持ち、この世の春を謳歌しているマイクロソフトであるが、その創立は1975年だから、その歴史は23年ということになる(1998年11月28日現在。以下同じ)。これにさっきの法則を適用すると、こうなる。
「マイクロソフト社の歴史が終わりを迎えるのは、8年後(2006年)から69年後(2067年)までであろう。この予言が的中する確率は1/2である」
 一週間ほど前、あなたがこのページを見るのに使っているに違いない(え、IEだって?)ネットスケープナビゲータで有名なネットスケープ社が、買収されて消滅した。同じことがおいそれと巨人マイクロソフトに起こるとは思えないが、世の中何があるかわからないのである。とりあえず、あと八年は大丈夫(1/4の確率で)なので、安心してウィンドウズを使っていればよいのだが、あなたが2070年まで生きるつもりなら、マイクロソフトが消滅するところを見られる確率は3/4である。
 また小渕現総理の総理大臣就任は1998年7月30日なので、
「小渕氏が総理大臣を辞するのは、1999年1月1日から、11月13日の間である。この予言は1/2の確率で当たる」
 うーむ、なかなか未来予知という作業は面白いものである。なんとなく一国の首相の生殺与奪権を握っているような気さえする(※)。あなたも「二人の結婚生活」など、身の回りのいろいろな物事が終わる時期を予言して人に嫌がられよう。もちろん、あくまで1/2の確率でしか当たらない予言であることもお忘れなく。

 ちなみに、この大西科学は、創業1919年ということになっているので(お、来年は80周年か)、
「大西科学の歴史が終わりを迎えるのは、2024年から2235年の間。この予言が的中する確率は1/2である」
 ということになるが、とてもそんなに続ける地震、もとい自信はないので、ある日突然大西科学ページが無くなっていても驚かれないように。


※2000年5月15日追記。ご存知の通り、小渕(元)首相は2000年4月2日に「脳梗塞」との診断で入院、4日に内閣総辞職となって意識不明のまま首相の任を解かれたのち、5月14日、回復の願いむなしく、死去されました。何事にも終わりはあるとはいえ、任期途中でのあまりにも急なご逝去でした。ご冥福をお祈りします。
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