子供を育てる明るい我が町

 私が今のアパートに住み着いたのはこの4月のことである。これまで、生家を含めて4ヶ所で生活をしてきたが、今まで住んでいたところに比べると実に快適で、すっかり堕落した気分を満喫しているところである。埼玉県南部という土地は池袋から15分の位置にありながら思ったよりも田舎であり、周囲に緑地があり、また幹線道路から遠く離れているため騒音に悩まされることもない。強いてあげれば最寄りのコンビニまで自転車で十分ほどかかってしまうというのが多少不便ではあるが、まあ、「男おいどん」を絵に書いたような(変な表現だが)安アパートだった大阪時代、町内に一つのコンビニ、本屋、CD店、ファストフードも無い故郷のことを思えば贅沢にすぎる悩みだろう。

 このアパート、住宅地の奥にあって困るのがここまでの道順を説明せよ、といわれたときである。なにしろ道順が複雑で、代表的な幹線道路や駅から、横道に入り、これといった特徴のない三叉路をさらに小さい横道に入り、さらに風景に埋没しそうな脇道の突き当たりの、たくさんあるアパートの一つの、目立たない入り口を目指して来なければならないのである。周囲には店舗や学校などの、ランドマークになりそうな何物も存在しない。
 一度など、家具を買ったスーパーマーケットからの運送業者なのだが、電話が掛かってきてアパートまでの道順を説明せよと言われたときには本当に途方に暮れてしまった。どこを起点にして説明するにも難しく、比較的簡単な手がかりになりそうな「セブンイレブン」は、多数存在するので「何々町何号店」かわからないとどうしようもない、という。あなたも自問してみて欲しいが、近くのコンビニの正確な店名など覚えているものではない。「セブンイレブン」だったら「セブンイレブン」だい、などと駄々をこねそうになるのをこらえて、ほかの方向から説明しようとしたのだが、あまりの難しさに最後には怒りがこみあげてきて、「どうしようもありませんね…」とだけ言ってひたすら沈黙する作戦に出ることにした。電話が切れた後、それでもちゃんと届いたところを見ると、何のことはない、他に調べる手段があったのだろう。なあんだサ○ィ。やればできるじゃないか。

 アパートの2階にある私の部屋にたどり着くにあたって、最後の関門となっているのが、部屋の扉に向かう階段である。2階に住んでいるのが私一人という特殊な構造になっているので、この階段は私専用ということになるのだが、これが狭くて急で、あるとき階下まで届いた洗濯機を抱えてここを上ったときなど、足を滑らせかけてこれまでの人生を走馬灯のように思い返すという経験をした。また夏にはこの階段になにやら藻のようなものが繁殖して、雨が降ったりすると特に滑りやすくて、一度など上から下まで滑り落ちて冥界をのぞき込む羽目になった。私専用の階段なのだから、私が掃除するべきであったのだ。反省はしている、掃除はしていない。
 さて、この階段を下りたところに木戸がある。もちろん、部屋の扉は扉で階上にあるわけだが、階段の下にももう一つ、簡単な扉というか、鍵はかからないがノブを回して開け閉めするようになっている、腰ほどの高さの鉄格子があるのだ。私は、はじめこそ律義にこれを閉じてから出かけていたのだが、だんだんと開けっ放しにしてゆくようになった。というのも、なんだかこの木戸の立て付けが悪く、いちいち引っ張りながらひねるようにしてノブを回さないときちんと閉じることができないのである。閉じるために大した力がいるわけでも、手間でもないのだが、特になにかの機能を果たしているわけではないし別にいいだろうと、私はこの木戸をほとんどないがしろにしてきた。

 ところが数ヶ月ほどして、この木戸をほったらかしにして出ていったのに、帰ってくるときっちり閉まっている、ということがよくあるということに気がついた。確かに開け放していったはずだが、と不思議に思ったものである。さっきも書いたように、ほとんど私専用の木戸なのである。誰かが私の部屋の前まで来て、帰るときに木戸をしめてゆくのだろうか。たまにはそういうこともあるだろうが、それほど私のアパートを訪れるひとがいるはずもない。不審に思いながらも、実害のあることではなし、そのままにしていた。

 その謎が解けたのが数日前である。そのとき私は風邪を引いて家にいたため、珍しく昼間に部屋にいることになった。苦しい眠りから覚めると昼である。熱はまだ下がらないようだが、食欲は戻っており、それどころかかなりの空腹を覚えていた。部屋に備蓄した食べ物はほとんど底をついており、嫌でも遠いコンビニまで買いにゆかねばならない。私は、ぼうっとした頭をかかえて上着を着込むと、部屋を出た。午後早くとあって冬の日もまだ高く、私のアパートの前の道路には小さい子供がたくさん遊んでいた。この脇道はすぐ行き止まりになるので、道路で遊んでいても安全なのである。

 私は、いつものように木戸をくぐって外に出た。熱のため、いつもよりなおさら面倒くさがりになっている私は、木戸を閉める手間をかけるはずもなく、そのままにしてゆこうとする。と、遊んでいた子供の一人、三歳位の男の子がこちらに歩いてくると、私に挨拶をした。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
 虚を突かれながらも、私は返事をした。熱があっても、一応立派な大人として、周囲の子供たちの教育の責任の一端を負っているという自覚があるのである。君は正しいことをしているよ、という印に微笑んだりもした。男の子はにっこり笑うと私を回り込んで、
「もう、ちゃんと閉めなきゃ、だめじゃない」
 と、私の出てきた木戸を、きちんと閉め直した。
「いつもいつも、開けっ放しなんだから」
 時ならぬ目まいに襲われた私を残して、男の子は仲間の元に駆けていった。そうか。君だったのか。

 大人としてちょっと後悔しているのは、驚愕のあまり、彼にきちんとお礼を言えなかったことだろう。彼の教育に悪影響を及ぼしていなければ、と思う。


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