まだ小さかったころ、海水浴に行き、波打ち際でまる一日たっぷり遊んだあと、宿や家に帰ってからもしばらくの間まだ海に揺られているような感覚が残ることはなかっただろうか。体が、打ち寄せる波のようなリズムでなにかに押されているような感じを覚えていて、ゆらゆらと布団が揺れているような気がする、そんな感覚である。
焼けつくような日差しと塩辛い海の香り、冷えたスイカの味などに結びついた、そういう記憶をなぜ今思い出したのかというと、なぜかそういう暇だけはあるのだが、この日曜日、ソリティアを一日中やっていたのだ。トランプをあっちからこっちへ移して、並べ替えて、ひっくり返して、とトランプに潰した一日を終えると、布団に入ってもまだ頭の中ではソリティアが続いていて、目を閉じるとトランプの列が並び替えられるのを待っている。
昔読んだ筒井康隆氏のエッセイに、「麻雀放浪記」をまとめて読んだらなにもかもが麻雀に見えてきたという話があるが、まさしくそれである。散歩をしていても、あの自動車をこっちの空いているところに駐車するとその向こうのスペードの5を山札に移せるのだが、と考えはじめてハッとしたりする。
似たような話で、パソコンを使い慣れてくると、実生活でも、コンピューターのコマンドが使いたいなあ、と思う人は多いことだろう。テレビのリモコンというのはなにかの呪いなのか、さっき使ったのにもう見つからないものだが、こんなときは「検索」コマンドを使えばいいのだ。山のように積み上げられた三十数冊のマンガ本は「名前で並び替える」と行きたいところだし、いいかげん詰め込むにも程があるあのゴミ箱は今すぐにでも「空にする」を選びたい。OSのコマンドというわけではないが、ハードディスクの断片化の解消はなかなか魅力的であって、自分の頭にあれを実行したいと思う日もある。
そういうコンピューターならではの便利な仕掛けに、「エイリアス」というものがある。これはマック用語だが、ファイルの分身のような機能のことである。これを使うとフォルダ階層の奥深く埋もれたファイルでも素早くアクセスできるというものである。実世界にちょうどいい比喩になるものが無く、最初は理解に苦しむが、慣れてしまえば実に便利なもので、分類AとBに両属するようなファイルをこうして管理すると、どちらから入ってもそのファイルにたどり着けるので精神衛生上実によろしい。
さてウィンドウズ95になってこの仕組みが導入されたとき、マックの「ゴミ箱」が「ごみ箱」になったように、エイリアスと同じ機能を果たす分身の名前は「ショートカット」となった。この言葉を初めて聞いたときは「ゲイツも阿呆やのう」と笑いをこらえ切れなかったものである。「ショートカット。あはは。エイリアスと言っちゃダメなのだな。すまんすまん。ところでウィンドウズではキーの組み合わせでファイルを開いたり閉じたりするアレはなんというのだ」と、周囲のウィンドウズユーザーをからかったものである。もっともマックだって、「エイリアス」という言葉は意味不明で、聞いても機能が想像できるものではない。どちらのOSでも日本語版に適当な訳語がなくてそのまま使われているわけで、やはりこの概念は理解しがたいということなのだろう。
ある大学教授のもとを、出版社の若き編集員が訪れた。このたび彼の講義録が教科書として一冊の本にまとまることになったのである。内容はほぼ完成しており、これからタイトル、装丁といった作業について打ち合わせをしなければならないのだ。
「ええと、この本ですが、原稿の方、大変わかりやすく読ませていただいております。それで、そろそろタイトルをどうするかということを決めなければなりません」
と編集者が切り出した。
「難しい授業の内容を分かりやすく書いていただく、というのがこの本のねらいでして、若者にも気軽に購入して、読んでいただきたいと思っております。それにはまずいいタイトルを決めないと」
「ハハア。仮の題として『ファーストステップ現代インド哲学』と戴いていますが、これではいけないのですかナ」教授は困ったように言った。「『ふぁーすとすてっぷ』。わたくしはヨロシイと思うのですが。若者向けで」
編集者は慌てて言った。
「ええと、それはちょっと、あの」
「ハイ」
「あ、いや。センスがちょっと、その題はうちの部長から出たものでして、いやその、若い人にはそれはどうなのでしょうか。あ、や、いいのですが」
「イヤイヤ、いいのですヨ。若い人向けの本なのですから、若い人の意見を聞かなければ。ソレで、あなたはどんな題が宜しいとお考えかナ」
考え込む編集者。
「あ、こういうのはどうでしょうか。『現代インド哲学へのショートカット』というのです。ショートカットとはコンピューター用語でして、近道とかそういう意味です。現代インド哲学に至る長い曲がりくねった道をぽんと飛び越して近道をしてしまう。そんな題ではないでしょうか」
「ほほう。それはマタ。コンピューター用語ですか。私もワープロを使っておりますが、ソレは知りませんでしたナ。では、ソレで行きましょう。『ショートカット現代インド哲学』」
「あ、それでは同じことで」
「なんですかナ」
「『現代インド哲学へのショートカット』です。ウィンドウズでデスクトップにショートカットを作るとそういう名前になるのです。そこがいいんですから」
「ハハア」
「『ショートカット現代インド哲学』では、現代インド哲学をショートカットすることになってしまいます。良くないですよ」
「ソウいうものですかナ」
「いやもう、私にお任せください。この『ショートカット現代インド哲学』じゃなかった『現代インド哲学へのショートカット』、私の編集魂にかけて、若者にアピールする素晴らしい本にいたしますので」
「ソレではもう、お任せすることにしましょうかナ」
この「ショートカット現代インド哲学」、その後さらに若者向けにアピールすべく、表紙はショートカットの女の子で、「インド哲学の教科書だっちゅーの」「著者は〜だっちゅーの」とフキダシがついているという面妖なものになったとのことである。売れないと思う。