36000キロの追試

 分不相応というか、私に似合わない行動というか、時々五キロほどランニングしているのだが、ついにこのたび、市の市民ロードレースに参加申し込みをした。もう明日、1月17日に実施日が迫っている。ところが、新年からこの方、そのことをすっかり忘れていたため、この連休には既に予定を入れてしまっていて、つい、うかうかと関西に帰ってきてしまった。こうなってしまうとどうにも17日のために埼玉には帰りづらい。
 もういい、行かない、ブッチする、とも決めてもしまえないのには理由がある。ひとつには既に参加費用を払い込んであるということである。参加するとTシャツが貰えて、大部分はその費用だとは思うのだが、一五〇〇円も振り込んだのである。ちなみに振り込み手数料としてあと八〇〇円位取られた気がする。おかしい。誰か私のことを騙そうとしているのではないか。
 もう一つ理由がある。先週、実行委員会から集合場所などが書かれたハガキが届いたのだが、そこに「あなたのゼッケン番号は1の1です」と大書されていたのだ。どういうことだ。1の1。生まれて初めてこんないい番号を貰った。1の1。こうなってしまうとなんともサボりにくい番号である。1の1。いったい参加者は何人なのだ。

 もちろん、もし参加していたとしても、私のことである。上位に食い込める走りが期待できるわけではない。いつものたらたらした走りでは、参加していることにしか意義がないと思う。
 たらたらした走りではあるが、走っているとよく、走り始め、一キロあたりがもっとも苦しいと感じる。確か高校のときに体育の授業で習ったことによれば、走り始めから体が運動状態に適応するまでしばしの時間があって、循環系が全力運転するまで運動を続けると急に楽になるという現象が見られるのだそうである。
 しかし、高校生の私は、マラソンをしていて最初の苦しさがついに乗り越えられず、その次の楽な状態にはついに達することが出来なかったような気がする。以前書いたように、日に計四〇キロの自転車通学をしていたことからして体力が無いはずがないのだが、どういうわけか持久力の成績は大変よろしくなかった。
 ところが、去年の春、高校から十年目にして始めたランニングではどうだろう。ちゃんと始めの苦しさを乗り越えて楽になるという現象が実感できるのである。ああ、これのことかとちょっと感動を覚える。自分に訪れるとは思っていなかった感覚なのだ。

 自堕落な九年の大学生活を経て体力が増進したわけはないので、これはやっぱり精神面の変化が大きいのではないかと思う。我慢強くなったということではない。最近ではなんだか、ああ、苦しいなあ、と思いながら走っていても、ふと意識が他のことにそれるのである。たとえば今晩何食べようかなあ、社員食堂のミートローフはやだなあ、とか、ああ、あのメールの返事書いてないや、怒っているかなあ、などといったことにである。その間はしばらく自動的に手足が動いていて、おっと、走るのが苦しいんだった、と意識が戻ってくると、前に苦しいと思った地点から数百メートルも走っている。苦しい時期は完全に乗り越えて、楽になっていたりするのである。こんなことがあるから、マラソン選手は42キロ走りきれるのではないだろうか。ちなみに、頭のなかで一定の曲、たとえば「ケータイピーエッチェスジューイチケター」でもいいが、これもいい加減古いが、ぐるぐると鳴り続けているという状態の時にランニングをすると意外に辛い。意識が曲の方に行っているから楽かというと、そうではなくて、つい呼吸のタイミングを「すーはーすはすはすーはすはー」と曲に合わせてしまうからである。

 話の主題がどこかに行ってしまったが、以前はランニングをしていると退屈で退屈で、このランニングはトラックあと何周で終わりかとか、最後にはあと何周と何分の一で終わりとかいう考えにいってしまうので苦しくて仕方がなかった。苦しい苦しい苦しいいいなあ、まだまだまだまだまだあるなあ、などと考えながら走っていて、楽しいわけがない。

 つまり、今わりと苦しいことに耐えられるのは、だんだん頭脳の働きが鈍ってきたからではないかと思うのである。体の各部から上がってくるいろいろな異常警報(なにしろ苦しい運動をしているわけなので)を無視して、あらぬことを考えられるニブさ、それから、ぼうっとしてとりあえず時間を過ごすことのできる散漫さであるが、これらは身に付けたというよりも、頭が回らなくなってそういうふうになってしまったような気がする。

 いち、にい、さん、と数を数える。時計が手元にない場合など、適当にこれが一秒間隔かな、と思うところで数えるのだが、これが、たとえば一分続けたとして時計とどのくらいずれているか、という遊びをよくやった。子どものころはなかなか一秒と一致しなかった。どうしても時計より早く数えてしまうのである。ところが、いまやってみると、かなり一秒に近いタイミングで数を数えられるようになっている。これは、頭が鈍くなっているというか、少なくとも私の頭脳の中で、コンピューターの「クロック周波数」に相当するものが年々遅くなっている証拠ではないかと思うのだが、どうなのだろうか。

 それにしても、ロードレースに参加申し込みをしておいて、それを直前まで忘れているなんてもってのほかである。昔ずいぶん遊んだあるゲーム、主人公を育てるゲームなのだが、主人公の体を鍛えようとして「運動」コマンドを選択すると、体力が増えてゆくのはいいが、同時にじりじりと学力が下がっていく、というのがあった。どうも、これを連想してしまう。この文章のオチが決まらないのも、知性がすっかりしぼんでしまっているからではないか。


トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む