天井裏の鼠

 とん、と高いところから飛び降りたような音。そして、とたたたた、というリズミカルな足音がした。

 深夜である。茶の間に居残ってビールなどを飲んでいた私は、そこにいた母と顔を見合わせた。音は天井裏から聞こえた。
「鼠、だね」
「鼠やね」
「うちの猫どもはなにをしているんだろう。鼠をとってこその猫じゃないのかな」
「だって。一匹は引退しとるし、もう一匹は」
「飽食している。なるほどなあ」
 私はコタツの中を覗き込んだ。どて、と、擬音であらわすとそんな感じの猫がそこで長くなっていた。
「はあ」
 私はぼて猫に向けてため息をついた。『白い彗星』が彼女の聖王国を樹立してから十五年。この家もついに鼠の住処に成り果てたか。ああ。

 天井を走る鼠の足音といえば、私にはある思い出がある。もう八年も前のことになるだろうか、なんとなくほの昏い思い出として私の記憶に残っている出来事だ。そのころ私は、家庭教師のアルバイトをしていた。
 中学生の、少年である。数学と理科、それに英語を見てほしい、ということで、大学生の私は週に一度ほど、出かけていって教えていた。その彼の家に、新築の大きな家なのだが、鼠が出るのである。

 鼠だな、と私は思った。鼠は、人の声が聞こえている間はじっとしている。ところが、問題を解かせたりしていて、ちょっと静かにしていると、天井で足音や、なにかを齧る音がするのだ。神経をひっかくような、不快な音ではある。
 と、少年が、傍らにあったゴムボールをさっと取り上げると、天井に向けて投げ上げた。どん、という音がして、鼠が静かになった。何度もやっているのだろう。手慣れた様子だった。私はどうして机の上にゴムボールが置いてあるのかと思っていたのだ。少年は、どうだい、という顔をして私の方を見る。
「いいから、問題をやってしまいなさい」
 と、ちょっと驚いて私は言った。
「だいたい、鼠があれで退治されるわけじゃない」
 ボールで鼠を脅して、当座なにかを齧るのを止めさせたところで、鼠が逃げ出すわけではない。虫歯に正露丸をつめて我慢するようなもので、なんの解決にもなっていないのだ。それより、目下の問題に集中したらどうだ。と、私は苛立つのだった。

 それにしても、中学生というのはこんなに日本語をしゃべれないものだろうか、と私は問題に取り組む彼の手元を見ながら思っていた。彼を教えてもう数ヶ月になるが、彼と実のある言葉を交わしたような気がしないのだ。私が投げかけた質問への答えは、いつも短い単語だけが、ぽん、と放り出される。私は、それはこういう意味か、と聞き返さなければならない。イエスとノーで答えられない問いかけ、たとえば、それはどういう意味か、どう思っているのか、という質問には、答えが返ってこない。ただ、沈黙が部屋を支配するだけだった。

 彼の記憶には、今なお私は恐怖を感じる。どうしても、なにを考えているのかわからなかったのだ。そもそも、彼の頭の中では完全な文章ができ上がっているのか、それとも言葉にならない思考が単語の組み合わせの形でひらめいているのか、後者ではないかと考えるとぞっとする。理科や数学の問題を解かせてみて分かったのは、彼がどうやら「文章問題」を解する能力を持ち合わせていないらしい、ということだった。太郎君が百円持って、というような問題から、文中の数字だけを拾い出して、解の公式に当てはめて解こうとするのである。だから、ちょっと凝った文章だと、もうお手上げになる。では、私の言うことは理解できているのだろうか。言葉を持たない者に、それをどのようにして伝えたらいいのか。

 私は、彼に国語を学ばせるにはどうしたらいいか悩んだ。救おう、という気持ちに近かった。数学と理科、それに英語という範囲を教えることになっているのだから、本来は職掌を外れているのだが、そんなことは言っていられないくらいのレベルというのはあるものなのである。私はありきたりだが、とにかく本を読め。そして、感想文を書いてくれ、と彼に頼んだ。小学校や中学校の先生がどうして感想文を書けというのか、自分で思わず口にしてやっとわかったのだが、世界には生きてゆける最小限以上の言葉があること、それで何かを表現するのは一つの技術だと言うことを知って欲しかったのだ。そしてその入り口として、本を読み、思ったことを文章にして人に伝えるということをやってみて欲しかったのだ。そのための読書感想文というのは陳腐な手段でしかないとは思うが、教室で一斉に、義務としてやるのではなく、一対一で、どこが面白かったのか、どうしてそう思ったのか、といったことを話し合う機会があれば、なにかのきっかけにはなるかもしれない。それまで彼の部屋にあった本は、有名な漫画週刊誌と、そこに連載された、ひどく殺伐とした、笑えないギャグ漫画の単行本が、一そろいあるだけだった。

 一ヶ月ほど後、言ったとおり本を読んで感想文を書いてきたか、と聞いたら、まだ読んでる、との答えだった。何を読んでいるか聞いてみると、だまって引き出しから「家畜人ヤプー」の文庫本を取り出してきた。ちょっとそれは中学生が初めて(たぶん)読む本としてどうかなと思ったが、とにかく最後まで読め、と言った。今考えてみると、もっと短い、ショートショート集のようなものでよかったのだ。なにかお薦めを挙げるべきだったのかもしれない。

 この物語はハッピーエンドにはならない。このあとすぐ、彼がそう望んだ、ということで、家庭教師を塾がよいに切り替えることになったため、私の家庭教師としての仕事は中断することになったからだ。彼の会話能力も、読解力も、なにも進歩しないまま、いわば私は解雇されたのだった。

 あの後、彼はどうなったのだろう。鼠が柱を齧る音、家が少しずつ侵食されてゆく音を聞きながら感じる、どうしようもない無力感。それと彼への家庭教師の記憶は、妙に重なるところがある。


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