地下の住人たち

 他のところではどうかわからないが、私と私に近い人たちにとって、実験は集団作業である。数日から、長いときには一週間以上続く実験は、ほとんどの場合昼夜引き続いて行われ、継続してデータが取得される。一人では到底この期間中監督することはできない。昔の軍艦の艦長には、オールウェイズ・オン・デッキといって、港を出てから帰港するまで一度も艦橋から出なかった人もいたらしいが、われわれにはそんな体力も根気もない。普通は、数人の実験者が交代で装置を見守り、データーを取り続けることになる。

 面白いのは、二交代や三交代にしていても、必ず当直なのに居眠りをする人間がでるということである。実験期間に突入すると準備なしでむりやり生活のリズムを狂わされているわけで、無理もないわけだが、実験をしていて当直全員が眠ってしまうというような状況になるとちょっと困る。二、三人ほどで互いに目を覚ましあいながらデーターを取っていると、まるでロールプレイングゲームで、強大なボスキャラ相手に戦闘していて、互いに生き返らせながら戦闘を続けているようなものである。どうかすると全員が眠ってしまって、パーティは全滅することもある。

 パーティと言ったが、本当に一つの実験を完遂することはいろいろな才能を持った人間の技術の集約である。RPGのパーティほど徹底した分業が行われるわけではないが、実験装置に習熟したもの、その背景の計算に一日の長を持つもの、コンピューターに強く、データ収集プログラムを一手に引き受けるものなど、自然に各自の長所にそった棲み分けがなされている。それが甚だしいと、実験のこの部分は彼でないとわからないというような事態になったりして、特に当直外にそういうことになると電話でたたき起こされるという羽目になることもあるのだが、本当は良くないことである。実験者たるもの、なんでもできた方がいい。

「眠たいなあ」
「そうだな」
 私たち二人は、実験をしていた。既に実験開始時の忙しさはなくなり、実験のいわば安定期に入っている。全ての装置が調整されてしまって、当面いじる必要がなくなっているのである。後は、刻々とたまり続けるデーターを見るほか、なにもすることがない。こうなると、何か事故が起こったり、ミスが発見されたりしないかぎり、本当に暇なのである。時計は午前五時。睡魔と出会う、逢う魔が時である。しかも、交代はまだまだ先だ。
「なにか話をしてくれ、面白い話」
 そんな急にいわれても。
「面白い話なあ」
「でないと寝るぞ」
 先に寝られると困るのだ。ええと。ええと。
「そうだなあ。…ポストペット使ってるよな」
 私は何も考えずに話はじめた。
「使ってるぞ。猫のニジンスキーだ」
「ニジンスキーはウサギのほうがいいんじゃないか。ニンジンスキーなんちて」
「それが面白い話か」
 目がすわっている。恐い。
「あいやいやいや。ペットにオオカミがあるの、知っているか」
 このとき視線は遠くを見つめている。
「嘘だろ」
「嘘なものか。ただ、オオカミの格好をしているわけじゃない。何か、紙袋をかぶった変な格好なんだけどな」
「へえ」
「一種のウィルスでな、そいつが来るとペットが頭からパクリと食べられちまうんだ。そうなると、もうそのペットはダメだ。いなくなってしまう。その上、『おともだち帳』にあるアドレスに無作為にオオカミが転送される」
「本当か、それ」
「幸い、前兆があってな、オオカミが来る前には、窓の外にオオカミの形をした影が映るんだ。そうなったらすぐ、友達のところにペットを送らないと、いけない。ペットがいなければオオカミは、宝物を盗んでいくだけらしいぞ」
「やっぱり、嘘だろ」
「なんで分かる」
「目が泳いでいる。鼻の穴が広がっている」

 ため息を一つついて、私は話し始めた。
「よし、こういうのはどうだ。古事記は予言書だった」
「ほほう」
「創世神話の中にはこういうものがある。イザナギとイザナミが日本を作っているとき、いろいろあってイザナミが死んでしまった」
「むちゃくちゃな省略だな」
「イザナギはイザナミを追ってよもつひらさかを下る。黄泉の国を訪れるんだ。そこにはいろいろなルールがある」
「ふむ」
「これがどうも、現在我々が実験をしている放射線管理区域のありさまを予言しているのだな」
「おお」

 説明しよう。放射線管理区域とは、放射線や、放射線発生装置、また放射性同位元素などを扱う施設に設けることが定められている領域のことである。放射性物質による汚染を最小限にとどめるため、厳しい制限が設けられている。加速器を使うものだから、我々の実験はこの管理区域の中で行われている。

「まず、地下であること。トンネルをくぐって地下にわれわれは降りてきているな。これは放射線の害をなるべく外に出さないようにする工夫だが、まさしく黄泉の国ではないか」
「なるほど」
 実は地上に作られている施設も多いのだが、確かに大型加速器施設は、地下か半地下に建設される場合が多い。
「さらに、入退域記録システムだ。入ってくる人間を管理し、出てゆく人間を記録する。汚染した者は出られないのだぞ。まさに黄泉の国」
「そ、そうかもしれん」
 特に、手などが汚染されていると、何度も何度も手を洗って、基準値を下回らなければ管理区域からは出してもらえない。賽の河原のような、恐怖を伴うイメージである。
「驚くべきことに、古事記によれば黄泉の国では食事をしてはいけないのだ。黄泉の国のものを食べるともう戻れないことになっているが、管理区域は」
「飲食禁止だ。確かに」
「まだあるぞ。イザナギは黄泉の国から戻ってくるとケガレを落とすためにみそぎをした。我々が管理区域から出るときはどうするかな」
「出口で手を洗うな」
「まさしくみそぎだ。体が汚染されていたらシャワーを浴びる装置まであったりする。まさに古事記は最新鋭の放射線施設を予言しているんだよ。あるいは、超古代に地下実験施設があって、イザナギはそこを訪れたのではないかな」
「ははあ。いや、感心した。でっち上げにしては上出来だ」
「でっち上げ」
「そうだろ」

 そうとも。本当のことなど、面白くもなんともないではないか。


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