命をかけて

 ウェブ上に自分のページなど持っている人は多かれ少なかれそういう傾向があると思うが、私も昔から、よく考えないで物を言ったり、書いたりするところがあって、子供の頃から損ばかりしている。もっとよく考えてから物を言おう、こういう傾向は直さなければならないと思いながら今まで来てしまった。他人の掲示板に書き込みにいった内容があまりにくだらないのでその場の全員に無視されたり、精いっぱいギャグを盛り込んだ電子メールに一言「サムいです」とだけ書かれて返信が来たりすると、自分の迂闊さ加減にモデムの線を引っこ抜いて燃えないゴミに出してしまおうかなどと思うこともある。

 だいたい、普通の人はめったに人を笑わせようという意図で文章を書いたりしないものだ。一生そういう作業と無縁の人も多いかと思う。実は私の来し方を振り返ってみるに、小学生の頃から、実際に笑ってもらえるかどうかは別にして、少なくとも人を文章で人を笑わせる意欲はあったようである。たとえばあるとき、他校の同学年の児童に向けて手紙を書こうという企画で、思いきり笑いどころを詰めこんだ文章を書いたことがある。幸か不幸か、それがどんな文面だったか、手紙だけに手元に残っていないわけだが、まじめな人はカッコの中の文章を無視してください、などという注釈があったことだけは覚えている。多分、一人ボケツッコミを多用した、そしてカッコのなかにツッコミ部分が入っているという、そういう文章だったのだろう。
 なぜこんなことを今まで覚えているかというと、どうも私の文章を読んで返事を書いた他校の児童というのがその「まじめな人」だったらしく、返ってきたのがまったく四角四面の普通の手紙だったのである。私の手紙の内容については一言も言及がなかった。冗談が通じなかったのか、それとも通じたうえで「サムいです」という返事だったのかはわからない。私は自分のさらした恥の大きさに、鉛筆を全部へし折って燃えるゴミに出してしまおうかなどと思った。

 しかし、まあ、人を笑わせようとして失敗するのはまあいい。頑張った結果であり、やらなくても世の中を渡ってゆけるのにあえてチャレンジしているのであるから、敢闘精神だけは認めてやらなくてはならない。たとえ誰も認めてくれなくても私が認めている。よしよし、よくやったぞ、オレ。ドンマイ、私。次は頑張ろう。本当に言ったことを取り消したくなるときというのは他にある。いいかげんな賭けや約束をして、果たせなかったときである。

 あるとき、大学生の時だが、私は自分の部屋で一人テレビゲームで遊んでいた。青春のかけらのいくつかをむだ遣いした結果、私はそのプロレスのゲームでかなりの技量を獲得していた。私の繰り出す技はことごとく決まり、華麗なコンビネーションから確実にフォールを奪う必殺の一撃へと繋ぐ、その過程はまるで、ヒーローを讚えるためにあらかじめ書かれたシナリオに沿っているかのごとくであった。私は自分の技術に酔いしれていたのである。
「おるかぁ」
 そこに現れたのは、友人である。この男はのちにリアカーに関係したある偉業を成し遂げる男だが、私の下宿の近くに住んでいたのでしょっちゅうこうやって現れるのだった。部屋に上がりこんだ友人は私が取り組んでいる戦闘をのぞき込むと、感想を漏らした。
「おお、やっとるなあ。おまえ、どっちや。赤いほうか。ほほう。技を食らったな」
 ブラウン管では、私の操るレスラーが、敵の奇襲を受けてダウンを奪われていた。どういうわけだろう。他人が見ているとうまくいかないというのは。
「うるさい。今のはちょっと手が滑ったのだ」
 倒れた私を引き起こした敵は、私の体を頭上高く持ち上げると、頭からマットにたたきつけた。衝撃に大の字になって動かない、私。
「おうおう、ヤバいんとちゃうんか」
 無責任にはやし立てる友人。かろうじて立ち上がった私は、しかし、敵の体力と自分の残り体力を冷静に計算して、勝ち目は十分にある、と踏んでいた。
「むむ。でも、まだまだ。負けるなんてことがあるものか。見ておれ、これで負けたら俺の首をやる」
 ダウンから回復し、猛然と反撃に出る私。ヒジ打ちからドロップキック、続けて大技、パワーボムだ。
「今必殺の、パワーボムっ、て、失敗だとぅっ」
 敵の体が重くて持ち上がらない。と、敵の返し技が決まり、いきなり敵がフォールしてきた。おいおい、いくら何でもまだフォールには早、ちょ、ちょっとまってくれ。私はボタンを連打する。立て。立ってくれ。おいおいおい。カンカンカンカン。負けた。
「負けたな」
「…負けた」
「首を賭けるんだったな」
 というわけで、私の首はその時以来その友人の物なのである。首はやるけど血は一滴も流すなよ、などと言ってさらにややこしいことになってはかなわないのでそのままにしてある。すまん。武士に二言は無いというが、だいたい私は武士ではないし。許して。お願い。

 なんだか、今回は私の恥ばっかり書いた気がするので、他のひとも約束を破る、という話をひとつしておこう。
 学校で授業を受けていて、先生から挑戦を受けたことがないだろうか。先生は、こんな問題わかりっこない、と思っているので、「これが解けたら単位をあげてもいい」とか「これが解けたら学期末の10段階評価で10をあげます」なんてことを言う。麦茶を冷やす方法は思いつかなかった私だが、時には天才的な思いつきをすることもあった。

「この木材だが」
 技術家庭科の授業である。先生は技術科専門の、なにか職人のような気質を持った先生だった。特筆すべきことは、彼は中学生なぞ全て馬鹿だと思っている、ということを隠そうともしなかったことだろう。これはもちろんその通りなのであって、なかなか偉い先生である。
「板を作るときは、立っている木から中心と平行に、縦に木材を切り出して板にする。そうするとこういう木目になるわけだが、ただの平行線ではなくて、下から上に向かって逆V字型の模様になる。なぜだかわかるか」
 教室はしんとしている。
「わからんか。わかったらそれだけで今学期10をあげてもいいのだが」
 私はおずおずと手を挙げて、言った。
「木が、下から上へ成長しながら太くなってゆくからでは、ないでしょうか」
 そうだった。でもその学期の成績は8だった。人のことを言える身分ではありませんが、ひどいです、先生。


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