●問題:あるとき、あなたは訪れた孤島で散髪をしてもらわなければならなくなった。この島には理容師は二人いる。見れば、一方はヒゲが伸び放題になっていてひどく汚い。もう一人はすっきりと剃り上げてあってなかなか恰好いい。どちらに頭を刈ってもらうべきだろうか。
●答え:よくわからないが、やっぱり身ぎれいにしているほうに刈ってもらうにしくはない。無精な散髪屋で髪を切ってもらったりすると、特に顔剃りの時に恐怖を感じることになるかも知れない。その剃刀、ちゃんと研いであるんだろうな。おいおい、石鹸使ってくれよ。いたたたた。
●解説:このように、物事はなるべく単純な理論で説明すべきだというのが「オッカムの剃刀」の逸話である。
などという話は全て嘘っぱちなので、信用しないように。
さて、私の祖父の話である。じいちゃんは、既に亡くなっているのだが、散髪屋だった。私は幼いころ、じいちゃんによく頭を刈ってもらった。頭を洗うときの指先が細くて、へんに気持ち良かったのを覚えている。あれは才能ではないだろうか。
じいちゃんは、恰好良い人だった。ずっとあとになって、じいちゃんは結婚してしばらくの間、戦争までは大阪で散髪屋をやっていたという話を聞いた。戦争になって爆撃から逃れるために田舎に戻ってきたのだそうだ。それでやっと腑に落ちたのだが、どこか都会っぽい雰囲気を持った人だった。普段からおしゃれをしているとかそういうことではないのだが、清潔な服装だったし、いつも石鹸の匂いがしていた。散髪屋だから当然だが、髪はきちんと櫛が当てられていたし、無精ひげを伸ばしているところなんか、見たことがない。しかも、いざというときにはどこからかモーニングを取りだしてきてきっちりと着こなしていた。
バイクなんかも乗り回していた。バイクと言っても排気量はスクーター並のカブだったが、ちゃんとシフトペダルのついた重いバイクだ。まだヘルメットのような無粋なものをかぶらないでよかった時代である。保育園に私を迎えに、バイクでやってくるじいちゃんを、私はいつも保育園の庭から見ていた。私も、バイクに乗せてもらうのが好きだった。いよいよヘルメットが法制化されても、じいちゃんはそんなものを無視していた。何度も警官に注意されて、やっと自転車通学の中学生がかぶるようなヘルメットをかぶりだしたのだが、ずっと年下の警官たちが決めたことなど、なんとも思っていなかったに違いない。後から来た者たちに、どうしてそんなことを指図されなければならないのだ、と。
どういう経歴の人なのか、自分の祖父ながらまったくわからない。私は成長してからもかなり長い間、祖父母の寝室で寝ていたのだが、時々思い出したようにじいちゃんが日記を付けていたのを見たことがある。してみると、かなり学のある人なのだろうか。内容を読んだことはないのでわからないのだ。日記をつけていたノートは、「世界文学大全集」を一セット買うと付いてくるノートブックだったと思う。ハードカバーで全集の本と同じ体裁で、中が白い紙になっているというもので、これに書き込んで、全集の並んだ本棚に立てておくと一見して他の本と区別できないという趣向だ。まだ実家のどこかにあるはずだが、よくわからない。
恰好いい人がいうとなんとなく許せる、という言葉はあるものだ。あるとき、私がまだ小学校の一年生くらいのときのことだ。正月か何かで、いとこがみんな集まったことがあって、なにしろ一年生くらいなので、男の子も女の子も関係なく一緒に風呂に入るわけだが、その時に一緒に風呂に入ったじいちゃんが、風呂場で着替えている私たちに着替えを差し出して「男の子はパンツ。女の子はパンチ」と言った。「やだっ、おじいちゃん」などといとこの女の子に言われていた。私はそのころまだ「パンティ」なんていう言葉を知らなかったので、じいちゃん、何をいっているんだろう、などと思っていたのだが、後で意味を知っておかしくて仕方がなかった。何を思ってそんなことを言ったのかよくわからないが、なんともハイカラなセリフではないか。
この春、このじいちゃんの七回忌を迎える。じいちゃんのように歳を取りたいと、私は思っている。