アトムの妹はウラン

 物質をだんだん拡大していくと、原子にいきつく。見たことはないが、そのはずだ。今回は原子にまつわる話である。

 原子は簡単に言って、陽子と中性子からできた原子核のまわりを電子が回っているという構造になっている。考えてみると妙なものだが、世の中にあるほとんど全ての物質はこの原子から出来ていて、しかも原子は陽子の数、中性子の数を指定すると一種類しかない(電子の数は陽子の数と同じ。うるさいことを言えば、以後の議論には安定で中性の、という条件がつくが)。見かけも値段も同じiMacなのに一方はクロック周波数が速いなどということはない。区別がないのである。たとえば、あなたの体の中にあるナトリウム原子は、私の体の中にあるナトリウムと同じで、仮に全部入れ替えたとしても全く変化はない。それどころか、ローマ法皇もヒトラーもエルンスト・マイヤーも、さらに言えば猫もネコザメもウミネコもネコヤナギもネコジャラシも、もっと言えばムカシトンボもナナフシモドキもバージェスモンスターも、いや別に生物に限らない、岩や海水に含まれているナトリウム、火星や土星や冥王星や太陽やその他全宇宙にあるナトリウムまで、全てのナトリウムは全く同じ、個性がないのである。ナトリウムをひとつ取り出して、これはもともとネコヤナギからとったものだとか、火星のものだとか言うことはできない。混ざってしまえばまったく区別がつかないのだ。
 同じ原子でも、中性子数によって何種類かあるものがあるので(たとえば、酸素は三種類、窒素は二種類ある)、ナトリウム以外の原子だとちょっと問題は複雑だが、同じ種類のものなら取り換えがきくというのは間違いない。陽子と中性子を決められた数だけ集めて結合させ、その周りに陽子と同じ数の電子をはべらせてやれば、同じ原子を作ることができるし、人工であるかないかによらず、両者はまったく遜色ない反応性その他の性質を示す。あまりにも構造が単純なので、個性の入り込む余地がないのだろう。私など憧れのあの人が私と同じ原子から出来ているなどとどうしても信じられないのだが、これは幻想の抱きすぎかもしれない。

 さて、この原子核と電子の関係が、太陽と地球の関係に似ているというのは相当たくさんの人の想像を刺激するらしく、嘘か本当かわからないが、SFの新人賞に応募してくる作品の十に一つは、拡大していくと電子の上に人が住んでいて、その人を構成している原子を観察するとまたそこに人が住んでいて、という話だというのを聞いたことがある。今のスレたファンはいくらなんでもそんな話を書かないと思うが、でもルーディ・ラッカーの「時空ドーナツ」というSFはまさにそういう話だった。いくら処女作とはいえ、そんな話を書くのはやはり度胸だろう。

 まあ、SFの世界も、昔は牧歌的だったのだ。そのころに日本のあるSF作家が書いたものを読んでいて、こんな文章に出くわしたことがある。
「原子の構造がよくわからないのだが、どうして電子は原子核の周りを回り続けているのだろう。いつかエネルギーが尽きて原子核に向かって落っこちはしないのか」
 これを読んでいた私は、なにしろ中学生のときだったのだが、この作家のことをバカではないかと思ったものである。太陽の周りを回っている地球が、いつか太陽に落ちるんじゃないかと危惧するようなものではないか。摩擦もなにもないのに、どうして回り続けるだけでエネルギーを失わなければならないのか。力が働かない限り物体はその運動量と運動エネルギーを保持し続けるという、基本的な運動の法則すらわかっていないのではないか。それなのにどうしてSFなんて書いていられるのだ。

 と、落胆してその作家の作品を以後読まなくなったかというとそんなことはないのだが、ちょっとしたショックだったのは確かである。ところが、大学生になってようやくわかったことには、これはある程度もっともな疑問なのだ。というのも、太陽の周りを回っている地球はただ回っているだけだが、ある軌道を描いて回る電子は、接線方向に光子を放出するからだ。まっすぐ走っている電子を、磁場などでぐいと曲げてやると、光を出してエネルギーが下がるという性質があるのだ。この原理を用いて、播磨にあるスプリング8という施設では、8GeVのエネルギーを持った電子を曲げて出てくる光を、いろいろな測定(たとえばヒ素の分析をやったのが記憶に新しいが)に使っている。原子核の周りを電子がぐるぐる回っているとすると、エネルギーを失わなければおかしいのだ。

 では、どうして原子核の周りを回っているはずの電子はそうしてエネルギーを失わないのだろうか。これはやはり、それ以上エネルギーを失いようがない状態に電子がいるから、と答えておくのが無難なのだろう。それこそ例の「量子力学的なふるまい」ということなのだが、原子核の周りの電子は、そろばんの玉のように、決められた状態しか取れなくなっているのである。そろばんをぱちぱちと弾いてゼロにしたら、そこから何かを引くことはできない。そんな状態である。もちろん、これはものの例えでしかないので、ちゃんと知りたい方は専門書を読むように。

 しかし、その作家がここまで考えていたとはどうしても思えないのだが、どうなのだろう。というのも、その後の部分で「いつか電子が原子核に落ち込んで、両者がぱっと消えるなんてことが起こるのではないか」と書いていたのだ。それはおかしいだろ。


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