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 日系植民惑星「あさひ」、新都中央文化センター、生涯学習フォーラム「物語と都市伝説」
 講師:新都大学人文学部史学研究科、真崎・F・豊国教授
 日時:朝日二百五十七年春三十二日第十一刻

 え、真崎でございます。今回は「物語と都市伝説」という題でお話させていただきます。
 みなさまよくご存知のように、現在われわれがよって立つところのこの大地、惑星「あさひ」は、今からざっと二五〇年前、朝日元年に母なる地球から日本国を中心とする千二百万人の移民団が植民を行い、形成された植民惑星であります。それゆえ、我々の文化は、この新都があります中央大陸と、新大阪市が位置します西大陸との間に、若干の差異があることはもちろんですが、共通語である標準日本語をはじめとして日本文化を重要な基盤としているわけです。

 朝日七〇年代にこの惑星で起きました東西戦争、私共史学を研究する学徒にとって、痛恨の出来事となりましたかの文化大棄却戦争ですが、それによって過去の偉大な文学作品のほとんどが失われ、また地球におけるわれわれ民族の歴史もその詳細部については失われたままになっております。おおまかな、つまり重要な情報については、当時の歴史学者によって記憶から可能なかぎり復元が行われたのですが、特に周辺情報、私の専門と致しますところの民話、都市伝説の分野におきましては、こういってはなんですが、重要性の低い情報ではありましたものですから、大きな熱意を持っては復元を受けなかったものと想像されます。口伝によるあいまいさ、無意識、意識的な改変が相当な頻度で行われたことは想像に難くなく、それを私共は可能なかぎり復元し、起源の研究を行うという仕事をしておりますわけです。

 まず、みなさまに、民話と都市伝説と呼ばれるものの違いをご説明いたします。民話とわたくしども研究者の間で言った場合、これは、地球における十九世紀以前に起源をもち、特に明文化されないまま口伝によって受け継がれてきた、そういう話、話型といいますか、パターンを指していいます。一方、都市伝説といいますのは、それ以降、二一世紀中盤までにおいて新たに都市生活者の間でつくられ、伝播し、消費された物語群のことです。この両者はもちろん同じ比重でもって語られるべきものではなく、完成度においては民話の方がずっと高い傾向にあるのですが、紙、磁気記憶、電子媒体等への記録が二〇世紀以降盛んになったこともありまして、情報量が大きく違うものですから、両者は現在ではほぼ同一の比重をもって研究されるに至っております。

 民話に関していいますと、十分長い歴史の中を、明文化されずに語られてきたため、その過程でかなりの程度変形を受け、最初の状態からはほど遠いものとなっていることは想像されるところなのですが、二〇世紀以降に作られた伝説は、最初からかなりの程度確定した媒体で伝えられるため、大きな変形を受けないという特徴があります。この両者は本来厳然と区別されるべきものではありますが、我々の惑星では東西戦争による、十九世紀以前のような文化状態を経験しておりますから、両者のいわば民話化、混交は避けえない事態でした。歴史学者にとってみれば、まさにノッケーな事態であったと言えるでしょう。

 では、現在われわれのような歴史学者がどのような観点から民話と都市伝説を区別しているのかという話をいたしましょう。まず、どなたもご存知であろうところの、「星を見る人」のお話を例に引きます。この話は、毎日通る道から見える、マンションの部屋の窓からいつも誰かが星を見ている。ある日、どうしてもおかしいとなってその人を調べてみると、もう長い間首をつって死んでいたのであった、という、まあ、ここまで略しますとなんだかわかりませんが、そういうお話であります。これは、研究者の間では典型的な都市伝説とされておりまして、その理由の一つは「マンション」という、個人用住宅として利用される高層建築ですが、それが存在することが話の前提となっているからであります。

 この「マンション」は、歴史的な経緯を見ますと、二〇世紀後半以後に登場した文化であるとされておりまして、やはりこれが存在しなければ話として成立しないことを考えますと、これが民話ではありえないと、こういう結論になります。たとえ、最後の部分で、赤の他人の要請に従って諾々と部屋の鍵を開けてしまうという、落語などによく登場いたします江戸時代の長屋の主人同様のメンタリティをもつ大家が登場するといたしましても、これはむしろ後世におけるプロットの省略ないし追加されたエピソードと見るべきで、話の根本を考えますと、都市伝説以外のなにものでもない。まあ、首をつるというのは薬や電気を使う方法と比べましてかなり問題の多い自殺法だということですから、かならずしも二〇世紀においては一般的ではなかったのではないかと指摘する研究者もおりますけれども。

 さて、もう一つの、今度は民話側の例を引きます。「猿蟹合戦」であります。内容は省略させていただきますが、これはやはり、「早く芽を出せ柿の種」のような呪文、さらに「ウス」といいます、「臼歯」や「臼砲」などに名前が残っておりますが、そういう古い道具の登場などを考慮しまして、民話と判断されております。たとえ、物語後半部において猿の屋敷に奇襲をかけるカニ、ウス、ハチ、クリの戦術が、理想的な不正規戦闘、いわゆるゲリラ戦で、二度の世界大戦の後で一般的になった戦闘法ですが、これを反映しているとしても、また、サルの帰宅をカニとハチが携帯電話という、文句なしに二一世紀の文化とされております電気製品ですが、これで連絡を行っている描写があるからといって、これが民話であることは他言を待ちません。

 今回のフォーラムの主題となりますのは、「浦島太郎」であります。ご存知でない方も多いと思います。ざっとこのような話です。
 浦島太郎という人がおりました。海岸を歩いておりますと、亀が子供たちにいじめられております。浦島は子供を叱りつけて亀を海に放してやります。亀は感激しまして、浦島を、竜宮城という、いわば理想郷につれてゆきます。数日楽しんで、浦島太郎は現世に戻ってくるのですが、その時には地上では数百年の時間が流れております。浦島は若いままであるのにです。途方に暮れた浦島は、お土産にもらった玉手箱を開けます。そこから白い煙が出てきたかと思うと、浦島はたちまち老人になっていしまいます。
 いかにも民話風であると思われることでしょう。しかし、これが都市伝説の一種であり、二〇世紀から二一世紀にかけてつくられた物語であるという論証を通じて史学を学んでいただくことこそが、今回の講義の主眼であります。順にご説明いたしましょう。

 まず、亀がしゃべるというようなアニミズムですが、これは問題にはなりません。亀は万年などといわれますように、もともと知性を象徴する動物でありますし、このころつくられたアニメーション作品やコミックには、しゃべる亀というモチーフが繰り返し登場します。ここに、そうした知性を持つ亀が、子供たちにいじめられていたというシチュエーションで登場するということの方が重要でしょう。これは、集団による個の排斥という、社会的な病理であります、いじめ問題と呼ばれるものです。別の調査によれば、このような問題は二〇世紀の末期にならなければ社会問題として登場しません。これが民話であるとするなら、明らかに時代を先取りしたものといわざるを得ません。

 浦島太郎という名前に疑義を呈される向きもあるでしょう。金太郎、桃太郎、これらは民話であるとされておりますが、これと同じ命名法ではないのか、と。これも、多少うがった見方ですが、否定することは容易です。金、あるいは桃、というのは苗字ではありません。勘太郎、一太郎などと同じように、名前の一部でしかないのです。ところが浦島というのはこれは苗字の一種であり、太郎というのはたまたま名前として採用されたにすぎないのです。同様の構造を持つお話には「木村太郎」「ウルトラマン太郎」があります。

 特筆すべきは物語の構造です。浦島は年をとらないのに周りの時間は早く過ぎている、これを相対論領域における時間の遅れの現象を描写したものでなくてなんだといえましょう。ああ、ここで、浦島太郎が宇宙人に誘拐されてこのような現象を体験させられた、この話はその事件の記録なのだ、というような俗説を申すつもりはありません。もちろん、この二〇、二一世紀はおろか、この朝日二五七年になりましても、いまだ相対論的な時間の遅れを実感できるような、光速度に近い速度の出る宇宙船を建造することはできておりませんが、かといってそういう物語を作ることができない、ということではありません。しかし、確かなことは、時間の流れが場所によって変わるという、脱ニュートン的な物理概念を導入しなければ、この話を思いつくことさえできないはずだ、ということなのです。

 特殊相対性理論を、伝説的な科学者でありますアインシュタインが発表したのは二〇世紀の初頭のこととされております。日本の学者はすぐにこれを学び、その指し示すところを理解したでしょう。しかし、それからすぐこの物語が作られたとしても、やはり定義によってこれは都市伝説であるとせざるを得ません。そうです。亀うんぬんの描写は、後から付け加えられた民話的なディテールだと私たちは考えております。浦島太郎の物語の基本構造は、都市伝説なのです。

 というところで、そろそろ決められた時間を使い切りました。これにて、講義を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。質問がなければ、このフォーラムは、これでおしまいとなります。お気を付けてお帰りくださいませ。

 ああ、そうそう、玉手箱が何であるかについては、次回までの宿題とさせていただきます。皆さま、ご機嫌よう。


※参考文献:「星を見る人」(いをりさんの記録によります)
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