この前、四ッ谷で行われた花見に出席したときのことだ。ある参加者の方が子供さんを連れてきておられたのだが、その中の、小学生か幼稚園か、というくらいの子としばらく話したところで「お兄ちゃん、大阪の言葉だね」というようなことを言われた。なんと、子供でも標準語と関西弁の区別はつくもののようである。ときどきやるように、わざわざ関西弁を強調していたわけではないので、ちょっと驚いた。
しかし、参ったのはその後すぐに「どうして、大阪の人ってそういうしゃべり方なの」と聞かれたことである。あなたならどう答えるだろうか。私はといえば「隣の家、隣の家と少しずつ言葉が違うんだよ、そして、東京から大阪までにはものすごくたくさんのお隣さんがいるんだ。だから、東京と大阪で、いつのまにか言葉が変わっているということに、長い間みんな気が付かなかったんだなあ」という怪しげな説明をしたのだが、これで分かってもらえているのだろうか。私がこういった時のその子の返事が、やけに生返事だったのが気になるのである。
生返事で思い出したが、私は今職場で、中国の方と一緒に仕事をしている。幸いこの人の日本語が大変上手で、少なくとも私の英語よりは数段上手であり、大いに助かっているところなのだが、私ときたら「中国人関西弁化計画」と題して、この方と話をするときはいつもあざといほどの関西弁で話し掛け、この人の日本語を関西弁に染めてしまうという計画を実行している。「そうや」とか「あかん」とかと言いはじめたのを聞いて、しめたと思っていたのだが、それよりも、私の方がこの人の口癖である「ボールペンいらないでいいか」「鈴木さんに聞くといいじゃないか」などという変な日本語に感染していることに気が付いて愕然としている。
さてこの人が、生返事の名人なのである。「この回路は、出力インピーダンスが50オームだから、こっちの回路に繋ぐときは、50オームでターミネートする必要があるんだよ」などと日本語で説明すると「あぁ」とか「んぁ」とかそんな音で返事をする。肯定の返事だと思って次々と説明を続けていくのだが、どうもこういう返事をしたときはこちらの言うことが分かってないらしい。分かっていないが、でもまあ、説明は続けてくれたまえ。そのうち追いつくからな。うむうむ。とかそういう事らしい。
今回のテーマは、生返事を活用しよう、というところにある。
とりあえず返事を保留したいとき、納得もしていないが否定もしないという態度をあらわすときに、生返事は大変有効な身の処し方である。確かに、私はこれまでの人生において、「生返事は敗残者のための福音」「40パーセントの確信があれば自信たっぷりに肯定すべし」「あいまいな返事をするくらいなら嘘をついたほうがマシだ」「君のことを傷つけても、言い切らずにはいられない」などというデジタルな生き方を標榜してきた。しかし、時と場合によっては、生返事も必要ではないかと思うのである。
「なあ、おまえな」
「あん、なんだ」
「なんだじゃないぞ。いいかげん、貸した金を返してくれ。俺も困っているのだ」
「あ、あぁ」
生返事である。しかし、これは、なんとなく他の事に気を取られての、消極的な生返事ではない。ここは、相手の言う事をなんとしても誤魔化し、この場を丸く治めるのだという、断固とした生返事なのである。
「いや、頼む。半分だけでいいのだ。とりあえず返してくれ」
「んん、そうだな」
「そうか。じゃあ、返してくれ。ほら」
「うう、今ちょっと手持ちがなくて」
「そんな、俺だって苦しいのだ」
「それじゃあ、そう、明日、明日きっと」
と、遠くを見る表情をしている。ああ、明日とは、なんといい言葉だろう。そうだな、明日になればきっと。君も忘れているさ。
「返してくれるのだな」
「うぅん」
「はっきり返事をしてくれ。返すのだな」
ここが天王山である。ここを何とか誤魔化さなければ、明日はない。
「…返しますん」
「えっ、何だって」
「ああ、もう、絶対です。明日きっと返します、ん。全額耳をそろえて、返しますん」
どうやら返してもらえそうにない、と相手が思ってくれれば、思惑通りなのである。
しかし、まあ、生返事が一番役に立つのはやっぱり、親との会話だろう。夜、部屋でくつろいでいると電話が鳴るのである。
「おかあさんです」
この前の勧誘電話といい、私の部屋にかかってくる電話で、取って良かったという電話があまりにも少ないのはどうしたわけか。つまり、友達が少ないのである。
「あ、はい」
「別に用事ないねんけどな」
「うぃ」
「今日はなにしとったん」
「えぇ、まぁ、いろいろです」
「仕事なん」
「いや、はぃ」
生返事の基本、肯定、否定である。「うん、いや」とか「いや、でもまあ」などがこれに当たる。相手は、なんとなく納得したような気になってしまうというものである。
「お父さんがな、マックのこと聞きたい、いうてるで。次いつ帰ってくるのん」
「あー、いや、その、そのうちに」
「結婚式には帰ってくるんやろ」
いとこのお兄ちゃんの結婚式があるのである。
「ん、はい」
「なんやの、もう、生返事ばっかりで。そこに誰かおるの」
「いや、いませんけど」
誰がいるものか。早く切ってくれぇ。
「あんな、お母さんこの間ナカムラさんとお会いしてん。そしたらな、そこのお母さんが、『お宅のボクと、ウチのボクが仲良うしてもらっているそうで、どうもすいません。よろしくお伝えください』言うとったで」
「ははあ」と、いいかげんな返事をして、私はふと我に帰った。「え、ボクて。本当にそんな言い方だったんですか」
「ん、そう」
「ウチの…ボク」
生返事攻撃も、これほどのトピックスには負けるのだった。