「んだよ、もう、師匠。呼び付けておいて、遅いなあ」
道場の下手で、道着を着た若者が、そうひとりごとを言っている。若者は正座をしているが、そわそわと落着かない。左手に目をやって、腕時計をしていないことに気がつき、ぺしぺしと手首をたたいたりしている。
「だいたいあの人は人を教える器じゃないんだよ。道を説こうっていう人間が、待ち合わせに遅れちゃいかんよなあ。うんそうだ、いかんぞ」
若者の思考が、だからこの道場、門下生が俺一人なんていうことになっちゃったんだよな、などという方向に向かいそうになったその時、突然、道場の扉が開いた。白髪を伸ばし、口髭をたくわえた老人が入ってくる。古びた道着に、黒帯を締めている。はっと居住まいを正す若者。老人はだまって道場の上座、神棚にむかって一礼してから若者の方を向き、そのまま正座する。若者は、老人になにか言おうとして、老人がなにも言わないので、不服そうな顔をして黙る。と、突然老人の目がかっと見開かれた。
「この、おろかものがっ」
大音声にびくっとする若者。一見、枯れ木のような老人の、どこからこのような、太く張りのある大声が出るのか。機先を制され、気を飲まれたようになった若者に、老人は続けて言い放つ。
「約束の時間に師匠が来なければ、探しに来んかっ」
「は、す、すい」
「ばか者っ」
やっと謝罪の言葉を言いはじめたところに続けて罵声を浴びせられ、若者は声も無く頭を垂れる。
ここは、御嶽流格闘術の道場であった。御嶽流は、いわゆる古流に属する、戦国時代に起源を持つ無手(武器を使わない)体術であり、原始的な空手と柔術をつき混ぜたような荒っぽい格闘術である。戦場において刀を失った武士が、武器を持った敵に素手でうち勝つために、戦場の中で編み出された技を元にして構築された実戦的格闘術とされるが、そのような技術の役に立つ状況がこの現在において存在するものかどうかという疑問をさておくとしても、嘉納治五郎以後の現代の目から見ると数々の不合理な部分を内包しており、奥義と呼ばれる技にも長い歴史の中で既に形骸化し去ったものが多い。要するに、この時代まで伝えられていること自体が奇跡に近い、時代遅れの戦闘術であった。
(ちくしょう、うっとうしいなあ。大体、遅れてきたのは先生なのに、どうして俺が怒られなくちゃならんのだ)
この若者、松坂ひろしが、この古武術の、たった一人の門下生として、この大正の遺物の師匠の怒鳴り声に耐えているのは、たまたま彼の親が師匠の家と親しく、子供のころからこの道場に通わされたのがきっかけだった。やがて思春期を過ぎ、書道塾を兼ねたちょっとしたスポーツクラブ気分で同じように通っていた友人たちが去っていったのちも、ひろしが師匠のもとに残っているのは、ここのところがありがちでひろしは我ながら笑ってしまうのだが、ただ師匠の孫娘である理恵さんの顔が見たいがために過ぎなかった。早く不幸な結婚をし、有望な伝承者であった夫を交通事故で失った彼女の、優しい、でもどこか影のある笑顔を、稽古の合間に垣間見ることが、ひろしの数少ない楽しみなのだった。
「ひろし」
「はいっ」
顔を上げて、師匠に返事をするひろし。
「これを見よ」
師匠は、懐から紙を取り出した。広げて、自分の前に置く。ひろしは、正座したまま師匠の方に寄っていく。和紙らしい紙には、墨痕鮮やかになにやら書かれているようだが、高校生としては並程度の教養しか持たないひろしにはさっぱり読めない。
「先生」
「うむ。そういうことだ。ひろし、頼んだぞ」
なにがでしょうか、と喉まで出かかった言葉を、ひろしはあわてて飲み込んだ。
「では、いささか異例ではあるが、お前に奥義を授ける。口伝のみにて伝えられるものゆえ、しかと聞いてゆめ忘れるなよ」
「は、奥義ですか」
小学生になる前から、というから、ひろしはもう十年以上この道場に通っていることになる。しかし、彼の御嶽流格闘術の腕前は、なにしろ最近はもう比べるものがいないのでよくわからないのだが、どう考えても大した事がないように思われた。ひろしは、この道場に通う事で、せいぜい体力がついて「御嶽流格闘術、尖鶴突」などと、ありもしない技を友人にかけることで笑いのひとつも取れればそれでいいや、という程度の気持ちだったから、免許皆伝、ましてや奥義などという持ち重りのするものにはまったく興味がなかったのだった。
「うむ。御嶽流格闘術奥義、柔の先」
そんなひろしにかまわず、師匠は先を続ける。
「自らの柔を忘れ、軽き身にて相手の柔を攻むべし」
「はい」
「以上だ」
はい、と返事はしたものの、ひろしにはもちろん口伝の意味はよくわかっていなかった。ただ、とてつもなく具体性に欠ける、観念的なものらしい、ということだけはわかった。
「では、したくせよ。急げ」
なんの支度でしょう、と、さすがに聞こうと思ったひろしは、道場の扉を開けて入ってきた男に驚いた。汗と血で煮しめたような道着を着た、二十歳過ぎぐらいの男だった。相当鍛え上げているのが、ひろしの目にもわかる。男は一礼すると、その場に控えた。
「彼がその、道場破りだ」
突然ひろしは理解した。道場破り。この場末の、黙って見ているだけでたぶん数年もしないうちに地上から消滅する泡沫流派に道場破り。そんなことをしている人がまだいたのにも驚いたが、そもそも自分の身に降りかかってくるなどとは思いもしないことだった。いや、ひろしも、小学生の頃は漫画の影響でそういう存在を夢見たことはある。存命だった師範代が、ごろつきのような想像上の道場破りをばたばたとなぎ倒すところを思い描いたりもした。それにしても、まさかこの平成の日本に、本当に道場破りがいるなどとは。
と、そこまで考えて、ひろしは自分の理解にまだ先があったことに気がついた。さっき突然奥義を伝授されたということは。
「未熟者ゆえ、お相手としては不足かもしれませんが、これが今の御嶽流の一番弟子です。どうか手加減は無用に願います」
男は師匠のその声にまた一礼すると、ひろしに向かって口上を述べた。
「いたみいります。自らの力を試したく、手合わせを願った次第、こころよく聞き入れていただきましてお礼の言葉もありません」
低く静かで、よどみのない声だった。ちょ、ちょっと待て待て待て待て待てっ。俺が、この人と戦うのか。そもそも、組み手だって長いことやったことがないんだぞ、俺は。
……のされた。「頭を打ったのでしょう、しばらく動かさない方がいい」という道場破りの言葉どおり、道場に寝かされたままになっていたひろしは、嵐のようだった、というような感想しか持てない戦いのことを思い出していた。
さすがに看板を持ってゆかれるなんてことはなかったが、多分、あの道場破りも拍子抜けしたことだろう、とひろしは思った。別にひどく殴られたわけでもない。だいたい組み手というのは、寸止めにすることになっているのだ。もっとも、止めても「入って」しまうことの方が多くて、途中で止めた拳でも結構効くものである。それにしても、技術の差は歴然としていた。ひろしが全力をあげて相手の拳をかわそうとしているのに、相手は軽々とその防御をかいくぐって、ひろしの体に止めた拳を入れるのだった。最後の一本、ひろしは、もう守っても仕方がない、という妙な悟りを得て、相手につかみ掛かっていった。これも最後にはきれいに投げ飛ばされてしまったのだが、まずそれがせめてもの手応えだった。
「先生。すいませんでした」
ひろしは、道場のすみに座っている師匠に向けて言った。彼に無茶なことをさせた師匠は、道場破りを見送った後、道場に戻ってきて、そこに座っていた。
「柔の先、意味が分かりましたよ。つまり、自分のことは棚に上げて、相手を攻めよ、ということだったんですね」
ひろしの横で、彼の具合を見ていた理恵さんが、後ろに座っている祖父の方を見た。師匠は、しばらく黙っていたが、やがて言った。
「うむ。それが分かったのなら、それでよい」
つまり、師匠の得意技である「逆ギレ」は、御嶽流の奥義だったのか、と、ひろしは理恵さんの冷たい手を額に感じながら、もう少し寝転んだままでいることにした。いつのまにか日は暮れて、どこかで鳴いている虫の声を、春なのに変だなあ、と思いながら、ひろしは聞いていた。