生きているって素晴らしい

 ええ、今回の「大西科学における最近の研究内容」は「スペインの雨は平野に降る」と題してお送りする予定でしたが、緊急のニュースが入ってまいりましたので予定を変更してお送りしております。もう大変です。えらいことが起きました。いや、起きたという表現は間違いでしょう。ずっと起きていたのに気がつかなかったのです。ひたひたと忍び寄る影に気が付かないでいままで来てしまったのです。

 私が今のアパートに住み着いたのは、何度も書いていますが、去年の4月のことでした。それまで住んでいたところというのがもう、なんというか、超次元要塞と言いますか、ドラえもんに出てくるミュンヒハウゼン城といいますか、戦時中よくも焼けなかったものだってさすがにそこまでは古くはないぞといいますか、そういえば阪神大震災を経ているはずだがなんで倒れもせずに建っているんだおかしいじゃないかといいますか、そんなアパートに住んでいた私ですから、この新しい、フローリング床の、バストイレキッチンつきの、洗濯機だって置けてしまうこのアパートに対する愛着といったら並大抵のものではありません。

 どのくらい私がこの部屋を愛しているかといいますと、休日ごとに部屋を片づけて掃除して、床にワックスがけまでしてしまうというありさまで、まことに営巣本能のなせる技で、営巣ってだれを連れ込む気であるかとこれをお読みの方の二人に一人はそう思われたでしょうが、特にだれも連れ込んでおりませんので、どちらかというと愛の巣などと言われたりする小鳥のそれよりも蜘蛛やアリジゴクの巣であるとい言った方がいいような、いや待てそれでも誰かを連れ込むのは同じでイメージ的にはなお悪いぞとなるところですが、虫が来るはずもない教室の隅とかに一人巣を作ってしまった蜘蛛のようなイメージを描いてくださればよろしいかと。それもきわめてきれいな蜘蛛の巣なのでございますこれが。

 さて、そんな部屋に住んでいる私なのですが、美味しいスープには蝿が入っているとのことわざが翻訳SFか何かに出てきまして、まあSF者のいうことですから本当にそんなことわざが実際に欧米で使われているとは限らない、むしろ「無料の昼食などというものはない、タンスターフル」のように、十数年経ってベルギーの学者の方が使っているのを聞いてはっと思い出すようなそういう経験をするまでは信じてはならないと思っているのですが、とにかくこのアパートの部屋にもいくつか難点があります。一つには窓が北向きであることこれはまあ、しょうがないところもあります。このおかげで部屋からBSのアンテナがあげられず、NHK−BSでやっているという阪神戦中継がちっとも見られずに悔しい思いをしたのも今は昔、もはや阪神は今年はもういいや、いい夢見させてくれて本当にありがとうノムさんという心境なのでありますからして、窓の向きなどどうでもよかろうなのであります。

 窓の向きはどうでもいいのですが、それで困るのがその窓の外、うっそうと茂っている森であります。はて確かこの街は埼玉県とはいえ南の端、ちょっと歩いて牛丼を食べにいけばそこはもう板橋区ではなかったのかと疑ってもしかたない。ここに森があるのは動かせない事実なのでむしろ自然に接する機会ができてありがたいことです。問題はむしろこの森から飛来する虫ムシ蟲の大群。夏ともなれば虫むし大行進のありさまで、朝窓の外に巨大な蛾がはりついていた時には肝を冷やしたことといったらありませんでした。なにしろ赤ん坊の手のひらほどもあるこの蛾、戦ったら確実に鱗粉攻撃で混乱させられること請け合いというもので、それが網戸ごしにこちらに腹と足を見せてとことこと歩いていたものですからもう、長もの以外は平気などと公言している私ですがさすがにこれには参りました。降参です。

 いえですから、それはよろしい。今日の話題とは関係ありません。関係無い。問題は、このアパートは、むやみと収納が多いということです。収納が多い。結構なことではありませんか。そのとおりです。私もそう思います。便利です。引越しのときのダンボール箱がまだ押し入れに悠々入っているくらいです。押し入れといえば、私の押し入れには今「電動ドライペット」なる乾燥剤が入っております。押し入れを除湿する薬品入りのプラスチックボトルですが特筆すべきはその構造、乾電池一本で回るファンが付いていて強制的に空気を循環させるのです。からからからからとかすかな音をたてて今もファンは回り続けています。ボトルにがんがん押し入れから吸い取られた水が溜まってゆきます。ああ、なんという発明。なんという快感。大西科学の製品じゃないかと私製造元を見てしまいましたよ。

 またも話が横道にそれました。あえてこの話題を振り切りましょう。ええい。ドライペットはどうでもよい。ちなみに製造元はエステー化学であります。エステーってSTなのかしら。どうなのかしら。ええ、どうでもいいのです。問題は、そんな収納の一つに、台所の床下収納があるということなのです。床下収納というのは、床の一部が開くようになっていて、その下に五〇センチ位の高さの収納ボックスが入っているという構造です。普通はここに、冷蔵する必要はないけれども暖かいところはまずい食料などをいれるのでしょうか。ジャガイモとか買い置きの醤油とか。

 私、月に数冊ほどですが、雑誌を講読しております。購読といってもその発売日近辺になると本屋に行って積んであるのを買ってくるだけですが、それが意外や意外、数ヶ月もたつとかなり大きな山になってしまいます。これが見栄えが悪い。みなさま、どうされているのでしょうか。私は台所の隅に積み上げているのですが、これがもう人聞きの悪いことといったら、私のアパートは台所が玄関なので、宅急便などが届くとその宅急便屋さんの目の前にどんとこの本が積み重ねてあるわけです。いや別に見られて恥ずかしい本を買っているというわけではないのですが、ふと客観的な目で自分の部屋を玄関から見てしまうとどうも具合が悪い。恰好悪いのであります。

 そこで考えたわけです。ははあ、この雑誌を床下収納にしまえばいいのではないのだろうか。いいのではないだろうか、って普通の人はそんなことをしないのですが、とにかくそのときはいい考えに思えました。雑誌類の回収日、私の市では月に二日あるだけなのですが、それまでの貯蔵場所としてこれはなかなか便利かもしれません。私は、その存在すら忘れかけていた床下収納を引き上げましたよ。ぎい。

 で、で、で、であります。私がそこで見たものはなんだったか。森です。森でした。誰も知らない腐海の底には新しい生命が芽生えていたのでした。あああああ、思い出した思いだしたおもいだしたとも。確かこのアパートに入ってすぐ、実家から送ってきた玉ねぎをこの床下収納にしまいこんだったんだった。その後、料理をしたことはあったのですが、ついにこの床下収納の存在を思い出さなかった私は、あれおかしいなあ確か玉ねぎがあったはずなんだけど、と思いながら新しく買ってきてしまっていたのでした。いやいやいや、一度も思い出したことがないはずはありません。けだるい日曜の午後、忙しい月曜の朝、飲んで帰ってきた金曜の夜に、ふと床下収納のことを思い出さなかったはずはありません。しかし、愚かな私はその意識をはじめは怠惰から、後からは意識の底に封印しようとする半ば強制的な記憶の働きに任せて忘却し去っていたものでしょう。ああああああ、でももう封印は解かれてしまった。その眠りを暴かれた床下収納には、玉ねぎから発したものと思われる茎が、枝が、根が、縦横に発生しているのでした。荒木飛呂彦など読んでいる方には「ゴールド・エクスペリエンス状態です」と言えば一発でわかってもらえるのでしょうけども。いやもう、本当、皆様はお気をつけください。玉ねぎを、一年放っておくと、森になりますです。

 はい。私はいま、大変な衝撃、視覚、触覚、嗅覚に渡るダメージを受けてこれを一気に書いています。はい。また蓋をして帰ってきたところです。はい。いつかは彼と対峙しなければならない、それは分かっていますが、あまりにも厳しかったこの一日の労働の後ではこの新たな敵の姿は残酷すぎるのです。この強敵に今一度まみえる前に、どうかこの傷ついた戦士にしばしの眠りをお与えください。封印よ今一度。私の気力が戻るまで。そう、せめて梅雨が明けるまでは。


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