平行世界の戦士

 人生の分岐点に立って、さてどちらを選ぼうかと思案した挙げ句一方を選んだのだが、あとから考えてみるとそれが大きな過ちではなかったのか、と考えることはだれにでもあるだろう。というよりも、やることなすことうまく行って他の生活など考えられない、などという人のほうが珍しいわけで、そういう人の精神構造がどういうものになっているかを考えるとあまり会いたくないような気もする。
 間違った選択をしてしまった時に、その選択をやり直したい、と思うと同時に、こんな想像をしてみたことはおありだろうか。この世界と良く似た、自分が正しい選択をしている世界がどこかにはちゃんとあって、そこでは今も自分が幸福に暮らしている、というものである。ちょっと不健康な、一種の現実逃避だが、なかなかあらがいがたい魅力を持っている。

 どこかにそんな世界が、というとおとぎばなしのように聞こえるなら、もう少し積極的に、もともと一つだった世界が、自分が決断したとたんに二つに枝分かれし、その後二つの世界は無関係に、重なり合うことなく、それぞれの歴史を辿ってゆく、というような構造を考えてもいい。SFの用語なのか、物理学でも一部言われているのかわからないが、こういう考え方は「平行世界」と呼ばれる。最初が交わっているから「平行」でもないようなものだが、一度分岐した後は絶対に交わらないというイメージが「平行」なのだろう。分岐した後の世界はお互いに干渉しあわないので、そういう平行世界の存在のあるなしを感知することはできない。ないと考えても間違いではないし、あると考えてもそれを証明することはできない。

 この平行世界、パラレル・ワールドといわれたりもする道具立ては、もちろんSFの世界ではすでにもうお馴染みのものである。タイムマシンに似ていて、しかし特にパラドックスなど厄介事を引き起こさないため、実に便利に使われている。小説を読んでいて「ああっ、ここは今までと良く似ているが別の世界なんだっ」などというセリフとともに新しくもう一つの平行世界が登場したところで、私達は眉一つ動かすことはない。「この世界は第二次世界大戦でドイツが勝った平行世界なんです」と聞いても、それだけでは、またか、と思うだけである。
 考えてみれば、私達の世界とは少し違うところがあるものの、同じように歴史があり、そこに生きている人たちがいる世界、というのは、一概にSFだけのものとはいえず、考えてみれば小説というのはすべて「ありそうだが、しかし真実でない世界」を書くものであるからして、すべて一種のパラレル・ワールドものと言ってもいい。たとえ現実の世界を忠実に引き写したノンフィクションでも、文章にしてしまえば不正確さが交じり、また読んだ人が真実と同じ正しいイメージを文章から再構成できる望みは絶望的なまでに低いのだから、書かれた文章はすべて何らかの平行世界を表現したものとさえ言えるほどである。

 平行世界というものが実際に存在するとしても、小説の中の登場人物のように、そこに行って見聞できなければなんの意味もないわけだが、そういう世界がどこかには存在していると考えるだけでちょっと面白いことがある。

 まずは平行世界とは関係のない話をする。ちょっと凝った詐欺の一つに、こういうものがある。ある日、あなたのもとに差出人が書いていない手紙が届く。そこには「今月20日の巨人阪神戦では、阪神が勝つ」と書いてある。あなたは、ほとんどそのことを忘れているが、その20日の晩、ニュースを見て阪神が勝ったことを知って、へえ、と思う。こんなこともあるか、と。ところが、次の週も、そのまた次の週も、予言を記した手紙は届く。予言内容は、数日後のサッカーの試合結果であったり、競馬の勝馬の予言であったりするが、それらはすべて正確である。10回も予言が続く頃には、あなたはすっかりこの手紙を信じ込む。なにしろ、偶然でこれらの予言が当たる可能性は千分の一もないのだ。だからある日、この手紙を書いた男がやってきてあなたに予言の秘法をあかし、株式への投資を持ち掛けたとき、貯金をはたいて彼に投資することになんらの疑いも持たない。

 この詐欺のからくりは、最初に千通の手紙を出す、というところにある。その半分には「阪神が勝つ」と書いてあり、残りの半分には「巨人が勝つ」と書いてある。その試合が終わると、実際に半分の人の所には当たった予言が事前に送られていることになるわけである。後は、次の予言を、当たった人のところだけに、半分ずつ異なる内容を書いて送り続ければいい。最初に約千通からはじめたら、五分五分の可能性の予言を10回連続して当てた内容の手紙を受け取った人が、必ず一人残る。根性とハガキ代さえあれば、理論的には25回位まで連続的中できるはずである。それ以上になると、日本の人口が足りなくなる。

 さて、そこで考えたのだが、平行世界というものがあるなら、最初にたった一人に手紙を送るところからはじめても、予言を十回連続で成功させることができるのではないだろうか。最初に「阪神が勝ちます」という手紙をある一人の人のところに送る。その日の試合は、阪神が勝つことも、巨人が勝つこともあるだろう。戦力に決定的な差があるのでない限り、バッターがある球をホームランにできるか、平凡な内野フライに終わるかはほんの紙一重のことと言っていい。結果として、阪神が勝った世界と、巨人が勝った世界というものが平行世界としてかたちづくられ、以後独立して続いていくことになる。

 そして、ということは、つまり、予言が当たった世界と、外れた世界が存在するということである。ここで、当たった世界を考えることにしよう。予言者はさらに予言を続ける。二回連続で当たった世界と、一勝一敗で終わった世界が新たに平行世界として生まれる。連続で当たった世界にいる予言者は、さらに予言をすることができる。こうして考えてゆくと、何十回でも望むだけ予言を成就させた予言者のいる世界が、どこかの平行世界には必ずあるはずなのである。

 恐ろしいことではないだろうか。こういうロジックで考えると、予言者という予言者の予言がすべて成就する世界が、どこかにはあることがわかる。「夏に雪が降る」というような、何億の何億乗というような途方もない確率でしか起こらないような予言でさえ、平行世界のどこかを探せばかならずどこかに、成就した世界があるはずなのである。同じように、ふせられたカードを当てるような超能力も存在しうる。理論的には、地面の上の石を浮かび上がらせるような超能力も不可能ではない。無に等しいという表現さえ不適切なほど非常に小さい確率だが、周りの温度を下げて石の運動エネルギーが突然跳ね上がるような反応だって、起きないとは限らないからだ。無数にあるはずの平行世界の一つでは、起こっていることなのである。

 思うに、私のような超能力や占いに懐疑的な人間のいる、そしてあなたがこれをお読みの世界というのは、単に「こういうことが起きなかった世界」ではないのだろうか。平行世界のどこかでは、超能力擁護者が動かぬ証拠をつかんで、懐疑論者を徹底的にやり込めている世界だってあっていいのではないか。あるいは、占い師のなんでもない言葉がすべて的中した世界というのもあっていいのではないか。もっと言えば、そうした超能力信者が日陰者に追いやられている世界にいまわれわれがいること自体、たまたまそうであるから、ということに過ぎないのではないだろうか。やることなすことうまく行った予言者が歴史上一人もいない、そして科学や確率の法則が正しいと思われている世界に生まれて、幸運だと思わなければならないのではないか。

 ある世界では、私やあなたが宝くじを当てて、安逸に過ごしている世界があるかもしれない。現状がそうなっていないとしても、他の平行世界には必ずそういうのもあるはずである(まあ、誰かには当たっているのである)。しかし仮に、これ自体ほとんどありえないことだが、平行世界間を移動する原理が発明されたとして、任意のどこかの平行世界の自分と入れ替わることができるようになったとしても、そういう楽な生活ができる望みは捨てた方がいい。そのような世界は、ものすごい競争率になるからである。なにしろ宝くじの当たった世界の数は、当たらなかった平行世界の数に比べて、当たりくじと外れくじの数と同じ比率で、少ないはずなのだ。


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