夢をかたちに

 夢で逢えたら、という言葉があるが、夢の中で懐かしい友人に再会していい気分になることよりも、どちらかというと今現実にまわりにいる人の夢を見ることの方が多いのはやはりしかたがないことだろうか。なにか非常に夢の中で恥ずかしいことをしたらしく、職場でその同僚になんとも顔を合わせづらいということがよくある。その人にしてみればどうして私が目を合わせないのか見当もつかないだろう。我ながらおかしいのだが、夢の中の経験も、私にとっては本質的に現実世界と同じ経験の一つなので、どうしようもない。

 どうしてこういう話をはじめたのかというと、実は、いましがた、ひどい悪夢を見て眠りから覚めたところなのである。私が昔住んでいたアパート、薄暗く、古ぼけた天井を持つその部屋に寝転んでいると、天井に体長十五センチくらいの乳白色の蜘蛛が逆さまに張り付いているのを発見した。うわあ、どこからこんなのが入ってきたのだろう、なんにせよこれはお引き取り願わなければ、と決意して、私は得物を探した。そんなに大きい蜘蛛に直接触るのはやっぱり抵抗があるからである。部屋の隅に箒がたてかけてあるので、それを手に取れれば、と思うのだが、そこに行くにはまずその蜘蛛がいる天井の真下を通らなければならない。

 私は、目では蜘蛛を追いながら、音を立てないようにそっと床を踏みしめて、歩く。古いアパートのことで、じっとりと湿ったような冷たさの畳に足を下ろすたびに、かすかにきしむような音がする。天井の蜘蛛の真下、あと一歩で箒に手が届く、というところで、突然蜘蛛が天井をぱっと蹴って私に飛びかかってきた。声にならない悲鳴を上げて顔をかばった私の左手に、その蜘蛛は足を絡めてかきつく。
 早く払い落さなければ、と手を振ったり、手首を壁に押し付けたりしたのだが、蜘蛛はしっかりと絡みついたまま離れなかった。それどころか、手首に刺すような痛みを感じた。聞いたことがある。蜘蛛はとらえた獲物に、そうやって麻痺の効果を持った毒を流し込むのだ。手首に感じたなにか冷たい、痛いものにすっかり逆上した私は、幸いにもそこで目が覚めた。

 夢というのは、現実と関係がないからこそ夢であって、なにか関連があるとしても、それは客観的な事実というよりは、夢を見た個人の経験や感想、思い込みに深く結びついて、切り離せないものである。そのあたりが、面白いと思った夢の内容を他人に話したところでたいしてウケをとれない、という誰もが経験する失敗の理由となっているのだろう。にもかかわらず夢の話をすでにしてしまったわけだが、たとえば、この部屋にもう一人いた人がどうして中学の同級生のホリエ君なのかというところが面白いのだが、それを分かってくれというのは無理な話だろう。

 恐ろしい夢を見てしまったのは確かだが、夢は夢である。ところが、こうして午前二時に荒い息をつきながら目覚めてみると、どうも左手首が痛いのである。もちろん、これは夢の中の蜘蛛が注ぎ込んだ痛みが現実になって現れている、などというわけはなくて、最初からなにかの原因で痛かったのを、夢がそういう形に翻訳して私に見せたというようなことがあるのだろう。

 「聖痕」というのは、キリストが杭に打たれたところと同じ部分に傷や痣などが現れることだが、夢の蜘蛛に噛まれたところが現実に痛い、というのはなにかこの聖痕現象と同根のものを感じる。どこかで古釘などに引っかけて傷を作って、そのことを忘れていたとする。夜になって化膿したその傷を夢に見て、目が覚めると確かに傷がある、というようなことがあったら、超常現象だと思っても無理はないと思うのだ。今現実にある左手首の痛みを、私が蜘蛛の毒のせいだと思わないのは、手首の痛みの原因が昼間キャッチボールをしたからだろうと簡単に推定できるから、というのと、他にもこういう経験をしたことがあってそこから類推できるからにすぎない。

 この、他にある「こういう経験」というのは、あちこちで何度か書いているのだが、口内炎である。私は、口の中に傷があったり、口内炎ができているとなぜか料理、特にカレーライスを食べる夢を見ることが多い。口の中にある刺激が、カレーの刺激になって夢に出てくるということなのだ。刺激は刺激でもちょっと意味が違うではないか、と思うのであるが、どういうわけかそうなのである。これはまあ、蜘蛛の夢と違って、夢でカレーを食べたから口の中に傷ができた、とはちょっと想像しにくい。これは誰が見てもカレーの夢が因果の果の方だろう。

 夢の内容が現実に影響を与えるというと、もうひとつ、私にはこういう経験がある。父親が居間にうつぶせに寝転んでおり、私に向かって、腰を揉んでくれ、と依頼する。父はよくこうして腰に痛みを抱えていた。横でやはり寝転んで本を読んでいた私は、本を置いて起き上がり、父の腰に向かって手を伸ばす、と、そこで目が覚めると、私は父の腰ではなく、ベッドの木のサイドボードに向かって起き上がっていた。あっ、と思うまもなく、ガンとその木の角で眉間を痛打した私は、目から火花が出る、というのはこういうことかと思った。

 まあ、寝ぼけていた、ということなのだろう。しかし、頭を二十センチほども持ち上げてベッドの脇の堅いところに向けて前傾姿勢になるまで夢から覚めなかったというのは、相当強烈な寝ぼけ方には違いない。なにしろ痛かったので、それからしばらくは、父の腰を揉むのがなんとなく嫌だったものである。

 今回も、この衝撃的な夢と、手首の痛さである。しばらく蜘蛛を見たら過剰に反応してしまいそうである。もともとそれほど好きでもないのに、こうしてまた触ることができない小動物が増えてゆくのだ。だって、手首にとびかかられて、そこに毒液を流し込まれたり卵を産まれたりしたら、たまらないではないか。夢の話は退屈だった、というあなたも、ここのところには、きっと同意してくれるはずだと思うのである。


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