明日の名はイオン

 有名な漫画「北斗の拳」の冒頭で、全面核戦争によって秩序が崩壊した世界を端的に描くにあたって、旅人を襲ったならず者たちが、その旅人の持ち物の中に分厚い札束を見つけ、旅人を罵倒しながらその札束を荒野に撒くシーンがある。セリフはよく覚えていないが、たしかこんなふうだった。「見ろよ、こいつまだこんなもの後生大事に抱えてやがったぜ(笑)こんなものもうただの紙キレなのによう(爆)」。確かに今の社会体制が戦争などによって消滅したとすれば、お札にはほとんどなんの価値もなくなることだろう。しかしよく考えてみれば、お札には、ただの紙としても「メモ用紙」ないし「焚付け」さらに「トイレットペーパー」または「足もとが暗いときの明かり」などという用途が残っていてこれはこれで文明が崩壊した社会ではそこそこ価値があるものではないかと思うのだがどうだろうか。

 貨幣のほうにも、金属の円盤そのものの価値は厳然として残る。宝石や美術品など「きれいなもの」に対する価値観が崩壊していたとしても、たとえば金銀は装飾品としてだけ価値があるのではなくて、錆びないので食器などの道具物を作れば不滅のものができるという利点があるのだ。残念ながら核戦争後の社会で十万円金貨やノムさんの純金人形を発見できる可能性は無に等しいとは思うが、白銅でできた五百円、百円、五十円硬貨、青銅(あれは純銅ではないそうである)でできた十円に黄銅の五円、アルミニウムの一円はそれぞれ錆びにくい合金や金属であって、精練技術が失われた世界ではなかなか得難い価値を持つことだろう。紙としての紙幣と違って、金属としての硬貨は使ってもなくならないのでなおさらである。もしこの世界が「そういうこと」になったら、ならず者たちの言葉に耳を貸したりしないで、ぜひ硬貨を集めておいていただきたい。

 銅やアルミは厳密に言うと、錆びないわけではない。鉄などと違って錆びにくい、というだけのことなのだが、この「錆びにくさ」を数値にしたものは「イオン化傾向」という名前で呼ばれている。高校生の時に化学をやっていた人なら覚えているだろう。「あなたへ貸与金を融通しようという意志はあるが、それを当てにされては困る。私もまた甚だしい借金を抱えてはいるのだ(涙)」という覚え方をするアレである。

 ボケ抜きでちゃんと書くと、カリウム、カルシウム、ナトリウム、マグネシウム、アルミニウム、亜鉛、鉄、ニッケル、錫、鉛、(水素)、銅、水銀、銀、プラチナ、金という順番になる。この順番は力関係であって、電子の放出しやすさ、というような数値にそって並べたものである。中央の水素の左側にある元素は水に電子を押し付けて反応する、つまり錆びる金属である。例えて言うと、重い荷物を運んでいる体育会系のお兄さん達がいて、先輩後輩の関係によって後輩に荷物を押し付けることができる、というようなものだろうか。カリウムとかナトリウムなんていうのはOBもいいところであり、ほとんど神のごとき専横を働くことができる。彼らは空気中にポンと放り出しておくだけで、わずかな水分と反応して勝手に電子を放出してしまう。ああ恐ろしい。銅から向こうが下級生であって、よほど強引に荷物を奪い取らない限り、電子を大事に抱えている。例外的にアルミは錆びないが、たぶん性格のいい人なのだと思う。

 たとえ話に夢中になってちゃんと書かなかったが、錆びるということと電子を放出するということは同じことなので、錆びる金属からは電圧を取り出すことができる。これはボルタの電池として知られているが、私の年代だと、教科書より、学研の「科学」の裏表紙の広告で見た人の方が多いかも知れない。広告コピーとして「電池って本当に池なんだ(謎)」とかなんとか書いてあった。二種類の金属板を電解液に浸けることで、その間に電圧が発生するのである。
 お分かりかと思うが、アルミは本来「錆びる金属」なので、これを使えば発電ができる。もう一方の金属は銅から金のどれでもいいわけだが、まあ銅を使うことにして、十円玉としよう。電解液は酸性の液体がいいので、果物の汁を使うといいだろう。つまり、一円と十円を交互に積み重ねて、間にオレンジの果汁を含ませたティッシュペーパー(お札でもよい)を挟む。これで簡単な電池ができるはずである。なお、二つの電極のうち、電子を放出しやすいのはアルミの方なので、電池の回路記号どおり、小さい一円玉が陰極になる。

 さて、話の流れから言うと、ここで、だから十円玉と一円玉を大量に収蔵していれば、いざというときはこれで電池を作ることができる、という話にならなければならない。ところが、さあ、これがなかなか難しいのである。特に、これでモーターを回したりラジオを鳴らしたりしようと思うと、硬貨を並列にしたり直列にしたりかなり工夫をしなければならない。実際にやった人の話によれば、手元に十円玉と一円玉を用意して、上に書いたように装置を組み立てても、なかなか豆電球を光らせることも難しいそうである。電圧計があれば、確かに電圧が発生している、ということくらいは測定できるのだが、サバイバルに役に立つということとはちょっと違うような気がする。

 これは、一つには、アルミがやっぱり錆びにくい、表面に酸化被膜ができるとそこから酸化の進行しにくい金属であるということだろう(だからこそ、硬貨に使われているわけだが)。表面を磨いてから電池を作ると少しましになるが、さて景気よくそこから電気をとりだそうとすると、あっという間に表面が曇ってしまって、急激に効率が落ちてしまうのだ。普通の乾電池は、陰極に電子の放出しやすさと錆びにくさの妥協点として亜鉛を使っているが、アルミではなかなかその代わりにはならないようである。

 というわけで、今回の研究は、夏休みの工作にはちょっと遅すぎる感のある話だった。いかがだっただろうか。なお、この実験を本当に実行すると硬貨の表面を酸化させることになるが、厳密に言うと硬貨を損傷させることになる。電圧を取り出そうとして磨いたりすると余計にそうである。これは「貨幣は、これを損傷し鋳潰してはならない(怒)」とかいう、硬貨の変造と損傷を禁じた法律(貨幣損傷等取締法)に引っ掛かるわけなので、どうか、くれぐれも、核戦争後の社会になってから、するようにしてください。


参考文献:大蔵省造幣局ホームページ
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