花屋敷の殺人

 いよいよ、物語は大詰めにさしかかろうとしていた。

 一同を屋敷の大広間にあつめた探偵は、誇らしげに宣言した。
「謎はすべて解けました。犯人はこの中にいます」
 探偵の言葉にざわめき、不安げに目配せをしあう家人たちを見回した探偵は、ひとつうなずくと、話しはじめた。たちまち大広間は水を打ったように静かになる。
「今回の事件での一番の疑問点は、どうやってユキヒロさんに毒を飲ませたか、でした」
 館の主人ユキヒロは手巻寿司を食べて中毒を起こし、そのまま死んだのだ。
「全員が同じ料理を食べたにもかかわらず、毒を飲んだのはユキヒロさん一人。料理は手巻き寿司ですから、食べ物に毒をしかけると誰を殺してしまうかも知れません。この事件を殺人として見た場合、そこが不可解だったのです」
 殺人、という言葉にぎくりとひるむ風をみせたユキヒロの妻、ワカコは、きっと探偵をにらみつけると、言った。
「だから、それは、主人が使っている殺鼠剤が手に付いていて」
 探偵はそこですばやく言葉を挟んだ。
「そう、私も事故だと最初は思いました。しかし、実は、ユキヒロさんは食事前にトイレを使っているのです。これをご覧下さい」
 探偵はビニール袋に丁寧にくるまれたタオルをとりだした。袋は水滴で曇っている。
「このとおり、濡れている。これはユキヒロさん専用のタオルですね、ツガさん」
 執事のツガはあわてて、そうです、と言った。
「つまり少なくともユキヒロさんは食事前、トイレで手を洗っているのです。このタオルに毒がついているかどうか、あとで鑑識にまわしますので、よろしく、警部」
 壁を背に立っていたオイカワ警部が慌てて部下に指示を下す。
「だから、ユキヒロさんの毒は、食事中に手についたものとしか思えません」
「だれも食事中にお父様の手になんかさわってないわ」
 と、ユキヒロの娘、トヨミが勝ち気そうな瞳をきらめかせて言った。
「そうだ。手に毒を塗ることなんて、できるはずがない」
 と、おどおどした感じであとを続けたのは、トヨミの兄、マサヒコである。その婚約者キヨコも、その横で首を縦に振っている。少なくとも自分は見なかった、という意思表示である。
「そのとおりです。ここで、みなさんにぜひ思い出していただきたいのは、ユキヒロさんに食事中自分の鼻を触る癖があることです。ワカコさんはずいぶんそれをお嫌いになっていた。そうですね、イケダさん」
 席の一番端に座っていた運転手のイケダが、せわしなく何度もうなずく。それをちらりと見たワカコは、イケダの視線を振り払うように言った。
「え、ええ。それがなにか」
「毒は、鼻に塗られていたのです。食事中に鼻を触って、毒のついた手で手巻き寿司を食べたユキヒロさんは中毒することになった。それが真相です」
 場がざわめく。
「鼻に毒を塗っておけば、なにしろ毒殺死体の口の周りには、吐瀉物がかかっていることは珍しくない。あとで死体を調べても、わからないわけです」

「さて、それでは、残された謎は、誰が、どうやってユキヒロさんの鼻に毒を塗ったのか、です」
 探偵はそこで息を継ぐと、
「結論から申し上げましょう。犯人は、ワカコさん、あなたです」
 ワカコは、さっと顔色を変えて、ぶるぶると震えはじめた。それでも、探偵をきっとにらみつける。一同は、あっけにとられてワカコと探偵を見比べている。
「しょ、証拠は」
 と、やっとオイカワ警部が口をだした。ワカコはじっと黙って、探偵を見つめていた。
「これです」
 探偵は、ポケットから、やはりビニール袋に包まれた白い紙切れのようなものを取り出した。大ざっぱにいって三角形をした、小さな紙片である。
「これは、ユキヒロさんの書斎から見つけました。彼の机の上に小物入れがあった、そこに大切にしまわれていたものです」
「なんですの、それ」
 震えながら床をじっとにらみつけているワカコにかわって、そう言ったのはトヨミだった。
「鼻パック、です」
 探偵は、自信たっぷりにそこで言葉を切ると、
「犯人は、鼻パックに毒を塗った。そして、ユキヒロさんの部屋の洗面所に置いておいたのです。新しいもの好きだったユキヒロさんが誰に言われるまでもなく鼻パックを使ってみるのは自明の理だった。あ、そうそう、これも、警部。鑑識に」
 探偵はそこで息をついで、鼻パックを警部に手渡した。
「たったひとつ、犯人に手違いがあったとすれば、ユキヒロさんが使用済みの鼻パックを大切に保管していたことでしょう。ユキヒロさんは鼻パックについた角栓を、捨てるに忍びなかったのだと思います。おかげで、犯人像がごく絞られることになった。犯人は、ユキヒロさんの部屋に自由に出入りできた人物ということになる」
「そんな、使うかどうかなんて分からないじゃないですか」
 トヨミが言う。
「だからこそ、犯人は、それを確かめなければならなかったのですよ。食事前、ワカコさんがユキヒロさんの部屋に電話をかけられましたね。これはよくあることですか、ツガさん」
「あ、いえ、そういえば、いつもは私がお呼びいたしますのですが」
「そう、ワカコさんがいつもと違う行動をとっている。ここには何らかの意味がなくてはならない」
 もはや言葉もないワカコを一瞥して、探偵は残りの言葉を告げた。
「鼻パックをしているときになぜかそうなるフガフガな声を、電話で確認したのでしょう、ワカコさん」

 ワカコはわっとその場にくずおれ、泣きだした。
「お母様、いったいどうして」
「そうだ、なぜだおふくろ」
 口々にそう尋ねる子供たちの声を背景に、ワカコは探偵に話しはじめた。
  「いくら、そう、いくら注意しても食事中、鼻を触るのをやめないあの人が、憎くてならなかったんです。あのひとはいつでも私の言うことなんか。ああ。でももし、あのひとが、この食事のあいだ鼻をさわらなかったら」
 警官が、ワカコをとりかこむ。探偵はオイカワ警部を見てゆっくりと首を振った。ワカコは続けた。
「私の言うことを聞いて下さったら。あきらめようと思っていたのに」
「不幸な事件だ。まったく不幸な事件だった」
 警部が、探偵にそうささやいた。
「そうですね、警部。本当に人の癖というのは恐ろしい。特に歳をとってからは」
 探偵はそういうと、警部の顔を見て、こういった。
「ていうか、気づけよ、ユキヒロも」


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