大断層

 私が中学生の時、理科の授業の一時間を使って、クラスで地層の見物にでかけたことがある。だいたいにおいて「化学」「物理」「天文」「地学」「生物」という順番に並んでいた私の中学校理科に対する興味の、下から二番目の地位を確固として占めていた地学ではあったが、教室を抜け出して秋晴れの陽気の中を遠足できるとなれば話は別である。私たちは上機嫌で学校から五キロほど離れた高台の造成地への見学におもむいた。

 普通、地層というのはなんらかの原因で地面がズレを起こしたり、急峻な河川に掘り抜かれたりして崖になっている所に露出するものであるが、いかにも丸っこくやさしげな東播州の山容に、しかも中学校から1時間のうちに往復できるような位置にそのようなハードな場所があるわけでもない。理科の先生が私たちを連れていったのは、町の最近の開発で道路を作るために「掘り割り」にしたところだった。もともと海抜五十メートルほどの標高を持つ私たちの町から見ても、そこはかなりの高台になっていて、よくこんなところに地層ができているものだなあ、と思った記憶がある。

 地層というのは、火山灰で似たような縞模様ができることもないではないが、基本的には川から流れ出した土砂の堆積として、海の中でできる地形である。地上でこれが観測されるということは、この小高い丘が、これまでの歴史のいつか、海の中であったことを示しているのだ。しかし、いったいこの草深い内陸部の農村の、さらに高台が、海に飲み込まれていた時期があったのだろうか、と私は不思議でしかたがなかった。中学生の私にとって、「海」とは、はるかかなたのいずこかにある、たまさかに訪れた思い出の中にある土地にすぎなかった。いつかの夏に六甲山から一望したあのきらめく海が、ここまで来ていたことがあろうとは、どうしても信じることはできなかったのだ。もったいぶって書いているが、要するにわたしの田舎はそれほど山奥に思えたのである。

 さて、海面の上昇の原因としてたいていの図鑑などに挙げられているものに「間氷期」というのがある。地球温暖化によって南極の氷が溶けると海面が上昇する、とよく危惧されているものと同じことで、大陸の上に氷として残っていた水が、気候が温暖化して溶けだして海に注ぐことによって、海全体の水位が上昇するというものである。どうでもいいことだが、氷河期と間氷期、という名前の付け方には、どうも「病気の時期」「病気と病気の間の時期」と人生を二分するかのようなペシミスティックさが感じられてならない。温暖期と間暖期、とは言わないまでも、どうして寒冷期と温暖期のような名前のつけかたができないのだろう、と中学生の私は思ったものだ。

 余談さておき、なるほど、間氷期になれば水面が上昇するというのはよくわかる。なにしろ氷河期というくらいで、かなりの水が氷河期には氷河のかたちで蓄えられているにちがいないのだ。しかし、今が氷河期か間氷期かというと、やっぱり間氷期なのだから、氷河期になっても、海面は今より低くなる一方であって、これ以上海面は上昇しないのではないだろうか。それとも、私が気がついていないだけで、実は今は氷河期なのだろうか。もちろん、この地層ができてからこの辺り一帯が隆起して海抜数十メートルの高度を得たのだ、と考えれば一応の説明がつくことは知っていたのだが、なんとなくこのことをすっかり納得しないままだったのは、今の私から見ても、鋭い直感だと言わなければならない。

 思い付いたさらなる説明とは、こういうことである。今の北極のように極付近に陸がなくて海である場合、そこが凍りついていようがいまいが、海水面の高さに変化はない。例のコップと氷を使った簡単な実験を、小学生向け科学雑誌で読んだことのある方は多いだろう。まあ、これもいつか書いた「初心者にパラドックスを説くとかえって理解を妨げる」という話の一例だとは思うがともかく、海の上でいくら氷ができようと溶けようと、水面の高さに変化はないのである。
 そこでもうひとつ、思い付きの話題として、もし南極にも大陸がなくて海だったら、温暖化による直接の影響である、海面上昇という事態は発生しないことになるのだが、この場合、なにをもって「温暖化を防ごう」という話になるのだろうか、というのを提示してみる。夏が暑いのは困るよね、というようなことだろうか。冬もあたたかいのだし、いいじゃないか、というものだが、要するに、地球の歴史上、両極に大陸が無かった時代はわりと長期間あったはずである。その場合、海面は今よりずっと、それこそ南極の氷が全部溶けだしたのと同じくらい高かったはずなのである。日本列島の姿が、そのころから変わらずにあるわけではないが、結論としては、今より百メートル近く海面の高い時代が普通にあった、ということなのだ。

 今、地面の隆起と沈降の可能性と大きさはほぼ同じ程度だとして、たまたま北極にも南極にも大陸がない状態でかつ気候が間氷期にあるとする。そうすると、まず過去の海面の高さの平均は今の海面よりもかなり下にあったはずで、地層があるような部分が地上に現れるというのは、なみなみならぬ大きな変動の結果地層が数百メートルも隆起した結果でなければならない。要するに、地層は、たとえば日本でも一部の地域にしか見られないとか、そのくらい珍しいものになっていたはずなのである。そう考えると、今の、中学校から数キロ離れた場所で誰でも地層が見えるというのはかなり幸運なことではないだろうか。だからやっぱり、地球温暖化には気をつけようではないか。


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