大学生になって、一人で下宿で寝ていたある平日の朝、突然「もうこれ以上背は伸びない」ということに気が付いて愕然としたことがある。私は小学校や中学校の頃からクラスでは常に背の低い方で、高校でもあまりその環境に変化はなかった。人ごみに埋もれると発見してもらえない、徒競走では人一倍素早く足を動かさなければ同じ速度で走れない、リーチが足りなくてクロスカウンターをしかけると相手にパンチがとどかない(しないけど)そういう種類の人間だったのである。
高校生時代を通じて、私の身長は150センチ台をじりじりと上昇しながら推移した。これについてどういう感想を抱くかはあなた次第だが、私個人の感想によれば、これは自分にもう少し与えられていてもよかったパラメーターの一つだった。たぶん私の父母が、私というキャラクターを作成したときにあまり重視しなかった項目なのだろう。戦士が「知恵」が低く、魔法使いが重い武器を装備できないように、私には身長がなかった。そして、こればっかりはスキルを磨く努力とレベルアップでなんとかなるパラメーターでもないのだった。
孫のことならなんでも肯定的に捉えることを身上にしている祖母は、いつかこの孫にもとんでもない成長期がやってくると信じて疑わなかった。私がまだ小柄な小学生だったころから、小柄な中学生になってもまだ、どこのだれは中学校で何センチ伸びて、こっちのだれさんは高校生になってからぐんと身長がどう、というような話を、私によくしてくれたのである。さすがに、大学生になってからはそういう話も出なくなったのだが、一時期の私は、まだ来ない成長期を日々待ち焦がれていたりしたのだった。
大学の下宿のベッドで私は、結局私の成長期は既に終わっていて、今後大きく状況が改善されることはもはやあるまい、という結論に達せざるを得なかった。実は大学生になってからもまだ一年に一センチくらいの割合で身長は伸びていたのだが、160センチである身長が、163センチになったからといって、これはどうということはないものである。
身長が高いことで、どういういいことがあるだろうか。まず、遠くが見える。人ごみで他の人の体が邪魔にならないだけではなく、地平線が遠くになるので何もない荒野でも遠くまで見通せる。次に高いところにあるものに手が届く。高いところに付いていることが多い電気のブレーカーに手が届くかどうかというのは、日常生活で意外に大きなファクターになりうるものである。さらに、スポーツのなかには、背が高いことで著しく有利になるものがある。すべてのスポーツで、体が大きいことはなんらかのプラスが少しずつはあるものだが、バレーやバスケットなどにおいては、背が低い選手の存在価値がほとんどないほどに背に大きく依存するスポーツである。異性にモテるかどうかは、いろんな好みがあるので一概には言えないが、平均的には背が高い方がプラスとみなされることが多いのではないかと、公平に見てそう思う。
では、身長が低くていいことはなんだろうか。世の中の物事すべてには両面性があって、かならず背が低くていいことだってあるはずである。体が小さいと、洋服が小さく済むので使う生地が狭くて済む、というのはどうか。みみっちい話ではあるし、第一価格にはデザイン料や縫製の手間にかかる料金だって含まれていて大きなウェイトを占めているので、Sサイズの服のほうがLサイズよりも安いという話もあまり聞かない。もちろん、ジャイアント馬場の16文の靴のように、規格外に背が高くて特注になってしまい、高価になるものはあるだろうが、それは普通に背が高い人と普通に背が低い人を比べる上ではあまり意味がないのである。
そういえば、友人たちと行った遊園地で、ジェットコースターなどの乗り物に一人乗れず、寂しい時を過ごしたことを今唐突に思い出した。乗れないと言うことは事故の可能性から免れるということであり、あんなけったいな乗り物に無理して乗らなくてよかったと思うのである。って、ああ、ばかばか。そんな慰めはいらないのである。
背が低いと、的として小さいということであり、銃弾などに当たりにくいという効果はいくらかあるかもしれない。たとえば、身長180センチと身長160センチの人間が仮に相似形の体型をしているとすると、身長が高い方がシルエットが大きいため、矢や銃弾に約27パーセントも当たりやすいことになる。極端な話、身長180センチの人にかこまれた身長160センチの人は機関銃でなぎ払われても撃たれずに済むかもしれないが、反対だと180センチの人は頭を射抜かれる危険があるのである。また、転んだときに頭に受ける衝撃は、身長の二乗に比例するわけなので、やはり身長180センチの人の方が27パーセント、大きな怪我をする。低い梁に頭をぶつけるということだってある。それがなにかの慰めになればだが、身長が高いと、それだけ怪我をしやすいということは一応言えるのである。
ところで、高校生のとき、私は体育の柔道の時間に、非常に背が高い人間と組まされて試合形式の練習をしたことがある。自由に技を掛け合ってよろしい、という練習で、相手はひょろりと長い感じの人だったのだが、こういう時は背が低くて重心を低く構える方がひょっとして有利かもしれない、と思った。正面から組んで、しばらく互いに押したり引いたりしていた私と相手だったのだが、ふと思いついた私は、背を丸めて小さく丸まり、ぐっと相手を引っ張りながら自ら後ろに倒れると、ためた力で相手の腹を蹴り飛ばした。巴投げである。まさかそんな大技を使ってくるとは思わなかったのだろう。相手は教科書の挿し絵のように見事に私の頭上を振り飛ばされ、大の字になって背から落ちていた。文句なく、一本である。見ていた級友たちから快哉が起こるほどの一本だった。
この時ばかりは、私の背の低さがついに役に立った、と思ったものである。どうだろうか。たぶんただの幸運だったとは思うのだが、一度でもこういうことを経験できるというのは素晴らしいことである。こういう数少ない思い出を胸に、これからも生きてゆこうではないか。そうだ。こう言ってしめくくるのはどうだろう。背が低い同志諸君。やつらはどうも巴投げに弱いらしいぞ。