ふわふわと生きている、というべきか、私はかなり忘れ物の多い人間である。ときどき、こういうふうに考えてみるのだが、全ての人間を「忘れ物をするグループ」「忘れ物をしないグループ」の二種類に分けたとすれば、私は確実に前者に入る。グループ分けを四つにしても「すごく忘れ物をするグループ」というやつに入ると思う。八つかせめて一六に分ければ、もしかしたら「グレートに忘れ物をするがちょっとましなグループ」に入れるかもしれない。まあとにかくそれくらい、私の人生は忘れ物と共にある。
それで困ったことは数知れない。思い返してみれば、授業の直前になって教科書がない、ノートがない、削ってある鉛筆がない、といったことはしょっちゅうだった。私の通った小学校では、厳格な先生によって、忘れ物をするたびにそのことを「連絡帳」に書かれて親に報告されていたのだが、ついに今に至るまで忘れ物が治らなかったのは「忘れ物」という行動が、私という人間の本質に強く結びついて不可分のものであったからであろう。あるとき、どうしてあなたはいつも資料集を忘れるのか、といらだたしげに聞いた中学の国語教師に、私は起立して先生の目をじっと見ながら、こういうことを言った。
「私は家の自分の部屋の机の上に、国語の教科書、資料集、それにノートといったものをひとまとめにした、いわば『国語セット』とでも言うべきものを用意しております。数学セット、英語セットといったものが別にあるわけですが。はい。そして、今日持ってくる荷物を選択するにあたり、国語、数学、体育、美術といった時間割に応じて、それら荷物をセットごとに扱って鞄に入れて参ります。パッケージ化されているわけです。ところが、ここ数ヶ月『国語セット』から資料集が失われているのです。もちろん、どこかにはあるのでしょうが、セットには含まれなくなってしまった。そういうわけで、心理的には、おそらくいつも同じ道を辿るからでしょう、何度も忘れてしまうのです」
私の理論があまりにも整然としており論理的であったから、ということはまさかないだろうが、その国語の先生は以後私の忘れ物についてとやかく言わなくなった。あきれていたのだと思う。
電車に乗っていて、いざ改札を出ようとすると切符がない、という状況によく陥るのも、現象としては一見ちょっと違うのだが、私のこの「忘れ物の才能」のせいだろう。落ち着いてよく探してみて、本当になくなっていたことは今まで一度もないものの、どこのポケットに入れたかを忘れて全てのポケットをひっくり返すはめになるのだ。散々コートとズボンとシャツのポケットを探し回ったあと、読んでいた文庫本に挟まっていたときの徒労感にはいわく言いがたいものがある。私とよく行動するある友人の一人は、かつて、本当に電車を降りるたびに切符を探し回る私に、「どうしてお前はそうなんだ」などと、奇怪な深海生物でも見るかのような目つきで言った。それはそうだ。さっき乗った阪急電車でも同じように探していたのに、なんだってすぐ乗り換えた地下鉄で、またも切符をなくすのか、疑問に思って当然だろう。私も正直言ってこの癖には我ながら愛想を尽かしかけている。
そういえば、以前、ここで「何かを探して」という題名で、ヒゲそりの充電コードをなくしたという話を書いた。えらいものをなくすもので、自分の不注意だと思っていたら、ずいぶん経ってから、弟がラジカセに使っていたので見つからなかったのだ、ということがわかった。弟にしてみれば、犬にかじられてしまった元の電源コードと規格が同じだったので、つい、父の言葉を借りれば「ぽっぽないない」していたものらしい。誓って言うが、あの散々探し回った日々はなんだったのかと思ったからといって、別に報復をたくらんだりはしなかった。しなかったのだがその後、その弟の鞄を山手線の中に、見事に忘れてしまったことがある。私のアパートに彼が置いていった、大きめのボストンバッグを渡しにゆく途中、山手線を東京駅で降りてしばらく歩いてから、ふと違和感を感じたらもう手の中に鞄がなかったのだ。これでは、弟のことをどうこう言うことはできない。
このとき初めて分かったのだが、電車の中に忘れ物をした場合どうなるかというと、まずホームの上にある事務所を訪問して、善後策を聞くことになる。自分が乗ってきた電車(これがなかなか「東京駅発何時何分の」とは覚えていないものであるが)と、乗っていた車両が前から何両目か(これも、たいてい覚えていない)が分かれば、その電車のゆく先々、この場合だと、渋谷駅だとか、新宿駅だとかの駅員に連絡して、電車の中を探してもらえる。これが、こう言っては何だが、非常に楽しかった。駅員さんがダイヤを調べながら連絡を取る様子が、横で見ていて実に小気味よいのだ。ある種の内線電話を使って「こちら東京ですが、渋谷さんですか」などと呼びかけていたが、これが普遍的な呼びかけなのかその駅員さんの癖なのかはわからない。
結局、渋谷さんも新宿さんも、池袋さんさえも私の鞄の捕捉に失敗し、私は自分が降りたとおぼしきホームで、同じ電車がもう一回東京に巡ってくるのを待たなければならなかった。このときは、ほぼ一時間かけて東京を一周してきた緑の電車の中から、首尾よく網棚の上に残っていた弟の鞄を取り返すことができたのだが、いやはや、これこそは二度とやりたくない経験ではあった。後で弟に鞄の中身を聞いたら、着替え、靴、釣り道具といった、大して高価でもない品物しか入っていなかったらしいが。
最近の話だ。池袋駅でお腹がすいたので、カレーを食べた。この店は「いけふくろう」という、池袋が世界に誇るダジャレ像の隣にある。難点を言うならば池袋の「池」の部分がシャレに何の寄与もしていないのが減点対象であろうか。いや、いけふくろうのことはどうでもいいのだ。要するに立ち食いそば兼カレー屋のような軽食スタンドである。これが、食べたのはよかったのだが、どうしたことか、帰る時に、席の足もとにコートを置いたまま、店を出てしまった。なにしろ暦は四月も下旬になっており、だからしてコートなしでうろうろしても何の違和感もなく、忘れ物に気がついたのは夜になってからであった。そして先日、ようやくその店を再訪して、店員に忘れ物のことを聞くことができた。永久に失われているのではないか、あったとしてもそういうものは警察に届けられたりしまいか、と思っていたのだが、ちゃんと店のほうで取ってあったようで、奥にひっこんだ店員はすぐ、忘れたコートを取ってきてくれた。
それで終われば、めでたしめでたしということになるはずである。ところが、取り返したコートを着込んで、家路を急いでいるとなんだかおかしい。電車の中でも、帰り道でも、妙にカレーがつきまとってくるのである。あれ、今隣に座った人、カレーを食べたのかな。あ、この辺にカレー屋があったっけ。ああ、この家、今晩カレーだな。
そんなはずはない。つまり、一週間もの間、朝も昼も晩もカレー屋にずっと置かれていたために、コートにカレーの匂いがすっかり染みついてしまったのである。袖口に鼻を持っていって嗅いでみると、確かに独特のスパイス臭がする。普段歩いている分には何ともないが、ふと体を曲げたり、立ち止まって風向きが変わったりするたびに、カレーのいい匂いが鼻腔を直撃する。もはやこれはコートではない。カレーコートだ。これでは、これから先、このコートを着るたびに周囲の人々に、今晩カレーにしようという決断をさせる、宣伝の役割を果たしちゃったりするのではないだろうか。あるいは「カレーの国からカレーを広めるためにやって来たカレー王子」扱いをされてしまうかもしれない。カレーマンとして、子供たちに石もて追われるというのもありそうな話である。私は今度という今度は強く決意した。これからもさまざまな忘れ物をすることだろうが、カレー屋でだけはコートを忘れてはいけない。
もっとも、物ごとには常に両面がある。後悔の念にかき暮れる私が発見した「良かったこと」も一つだけ、報告したい。おかずがないとき、このコートの匂いをかぐと、それだけでご飯が食べられるようだ。