さしたる理由もなく、しかしちょっと「タイトルが一文字」というのをやりたくてこんなタイトルにしてしまった。関西弁では「毛」「歯」のような一文字の言葉を伸ばして発音する習慣があるようで、たとえば、木ぃに登ったら手ぇが滑って目ぇから火ぃが出たりする。だから、このタイトルも「蚊」ではなく「かぁ」と読んで欲しい。なお、間寛平は「ちぃすうたろかぁ」というギャグを持っている。

 さて、どうも今年になって、めっきり蚊に弱くなってしまった。さされる回数が増えた、周囲の蚊が多くなったというよりは、蚊にくわれた一回あたりのダメージが大きくなったような気がする。いったんかまれてしまうと、そこがひどく腫れ上がり、一日くらいはかゆみが続く。昔は放っておいても一時間ほどで腫れが引いていたと思うのだが、知らない間に私の体質が変わったのか、蚊自体が悪質化しているのか、いやまてよ。
「悪質蚊」
 駄目だ、これは面白くもなんともない、などとつぶやきながら残暑厳しい晩夏を過ごしている私の体には、あちこちに腫れや、かきむしった傷跡がある。親指の付け根(の、手のひら側)なんてところをやられた時には、次の日くらいまで皮膚が固く突っ張って親指を曲げにくかったほどである。固く、ふむ。
「角質蚊」
 いやこれも面白くないか。

 そもそも、自然と人間のかかわり、自然の中で人間がいかに異質な存在となったかという話をすると、たいてい人間のもつ頭脳とそこから生み出される科学技術が真っ先にその最高の武器として語られる。確かにそうには違いないものの、人間そのものが、たとえば一糸も身にまとっていないとしても、これで結構強い生き物であるということは忘れられがちである。人間を襲う可能性がある生き物で、かつ人間が一対一の徒手空拳で戦って勝てなさそうな敵というと、虎などの大型猫類の他は、熊くらいではないかと思う(狼なら、公平に見て相手が一匹なら勝てるかもしれない)。しかも、彼らにしても厄介な人間を餌食にするよりは、他の生き物を相手にするほうがよほど簡単と思っているに違いないのである。

 その残された人間の敵、貴重な例外として存在しているのが「蚊」ではないだろうか。ウィルス、細菌などのミクロな生き物を考えに入れないとすれば、今地球上で科学技術に守られた人間を、それでも食い物にしているほとんど唯一の生物ではないかと思う。人間を常食としている生き物など、他にいるだろうか。地球上でもっとも強い生き物を、さらに食物として(蚊は血を吸ってそのエネルギーで生きているわけではないが)利用している、ある意味で人類の最後の敵なのである。

 それなのに、どういうわけか、蚊はそれほど嫌がられていないような気がする。虫嫌いでも、蚊なら大丈夫という人が多いように思えるのである。人間に直接的には被害を及ぼすわけではないゴキブリや、蚊と同じように血をすう動物である「ヒル」の嫌われようと比較すると、いかに蚊が優遇されているかがわかろうと思う。優遇されるといっても、殺されないわけではないのだが、どうも根本のところで、彼らは嫌がられているというよりは好かれている気がする。理由を、私なりに考えてみた。

・蚊は、ライト級の昆虫である。
 蚊は、叩いても手にべっとり中身がつくなどということがない。ハエやゴキブリとは、そこが違う。ぱちんと叩いたその死骸は、小さな糸くずのようなものになってしまう。たまに手に吸ったばかりの血がつくことがあるが、まずそれは自分の血であって、べつだん騒ぐほどのことではない。あれが蚊の内容物だったら、ちょっと叩けないと思うのだが。要するに、実にライトなのである。そういえば、モスキート級なんていうのもあったような気がする。

・蚊は、鈍い。
 蚊は、たいへん叩きやすい。俊敏な動きができないようで、子供でも道具無しで簡単に叩かれて退治されてしまう。それどころか、私など、本を読んでいる最中に蚊と戦うために、一方の手で文庫本を持ったまま、片手で蚊を捕まえる技に習熟してしまった。つまりそれくらい蚊は鈍い。

・蚊は、間抜けである。
 蚊は、なんだか頭が悪く見える。人間が寝静まるまでじっと物陰で待機したりせずに、何も考えずにぶんぶん飛び回っている。蚊取り線香などというどこが効くのだかわからないものでばたばたと落ちる。もし、あなたが蚊が腕などにとまって、いましも血を吸わようとしているところを発見したなら、ぜひ、ぐいと腕の筋肉に力を入れてみて欲しい。蚊はそこから飛び立てなくなってしまう。注射針が抜けなくなるらしい。実に間抜けである。

・蚊は、かまれると痒い。
 痛い、ではないところが優しいところである。「蚊も、痒くしなければ思う存分血を吸わせてやるのに」と言ったのは私の弟だが、あれは、刺したときに人間に痛みを感じさせないようにする薬液があとで痒みを引き起こしているので、蚊としても使わざるを得ないのだそうである。しかしまずもって、少し腫れてそこに爪でバッテンをつけたりするくらいで済んでいるので、それは長所かもしれない。それに、もしもかまれても痒くないとしたら、それはそれで怖いような気がする(気がつかないから)。

 人間を喰らう最後の敵、蚊は、そんな感じで人間となあなあとやりつつ、これからも生きてゆくのだろう、と私はぶざまにも額の真ん中などというところをかまれ、ぽりぽりやりながら、考えるのであった。いや待てよ。
「大西蚊が食う」
 今のはちょっとよかったんじゃないか。


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