天使のエアーコンディショナー

 私が小学校から高校までに出会った教師を、担当教科で縦割りにして、国語、数学、理科などとある種のパターンはないかと考えてみると、いっぷう変わっているという点で飛び抜けているのは理系教科よりもむしろ国語の先生だったように思う。もちろん、教師という職業は、年ごとに変わる生徒、多数の他人とのかかわり合いを忌避してはそもそもやってゆけない商売だから、特に人間として変わっているというわけではない。学校の先生という大枠の中で、しかしそこからもっとも外れていて、いわば「味のある」人間の割合が高かったのが国語の先生ではなかったかと思うのだ。

 その中学の国語教師も、そういう意味ではかなり変わった人だった。中学生くらいの少年にとって大人の年齢というのははかりがたく、それは小学生にとって高校生以上は全部おじさんおばさん、という話に似ているが、そのころの私にも、せいぜい「若い(お兄さんお姉さん年代)」「中くらい(父親母親年代)」「年を取っている(祖父祖母年代)」の三つくらいしか大人を区別するべき心の棚がなかった。長々と書いているが、要するにその女性の国語教師は「歳をとっている」のカテゴリーに属する先生だ、と私は当時思っていた。

 中学生の印象は印象として、本当のところはどうだったのだろう。その先生、仮に大塚先生としておくが、ヒラの教師として私たちを教えていたことからして、本当に祖父母の年代、定年間際であったはずはない。実は若かったのではないかと疑っているのだが、今や印象もあいまいになってしまって客観的に判断することができない。ただし、大塚先生の言動が年寄りじみていた、ということとは違う。むしろ、活力という点ではかなり活発な人であって、グラウンドで私たちと一緒に走ったり、大声で号令をかけたりしていた。たぶん、その「知識」あるいは「経験」に実際の年齢以上のなにかを感じ取っていたのではないかと思う。そういえば、以前ここで「麦茶を冷やす」という題で気化熱に関して文章を書いたことがあるが、この話をされたのが、同じ大塚先生だった。

 さて、ここで時間をかの夏、中学校一年生の九月に戻す。私たちは、九月になっても収まらない、あまりの残暑にすっかりばてていた。外は九月の日差しが高台のグラウンドをちりちりに炒りあげており、学校が背負った山からはなごりの蝉の声もうるさい。秋の訪れがいつのことになるのか、私たちはただ今日を生き抜くことで必死だった。国語の授業を始めようとした大塚先生は、午後に入って三十度を越えた気温にすっかりへばった私たちを見て、ため息をひとつつくと、こういうことを言われた。
「今、クーラーを入れました」
 なんだって、と私たちは注目する。あたりまえのことのようだが、そもそも家庭用エアコンがめずらしい存在だった当時、この築三〇年を越える中学校に、エアコンのある教室はない。先生は、自信満々、といった口調でこう続けた。
「ただ、効くのにちょと時間がかかるの。二ヶ月もすれば効いてくるはずです」
 なんだ、そういうことか。私たちは、心底脱力した。思うのだが、こういう事を言うことで、士気が高まるとはとうてい考えられない。そうか、あと二ヶ月頑張るぜ、オッケーっ、ガッツでゴー、などと言うわけがないではないか。さらに先生がこう続けることによって、クラスでもっとも鈍い者も、この暑さから逃れる術はない、ということを知るのだった。
「冬になったらまた暖房を入れます」

 しかし、今になって思うと、大塚先生の話はある程度この日本のおかれた状況を的確に表している、といえるかもしれない。日本列島は、宿命的に季節風によって気候を支配される位置にある。夏季には南の太平洋高気圧団から暖かい風が吹き込み、冬期には反対に大陸から冷たい風が流れ込む。夏に暖房を、冬に冷房をつけているようなものなのである。一方、世界にはいわゆる「西岸気候」というのがあって、大陸の西の端、たとえばアメリカのカリフォルニアなんかがそうなのだが、夏に涼しい風が、冬に暖かい風がうまく吹くような気圧配置になりやすい、夢のような土地がある。タダで冷房、暖房が効いているようなもので、たとえば日差し厳しい夏でも、日陰にゆくと風はあくまで涼しかったりするのである。いまさらどうしようもないことだが、日本とはだいぶんに違う。

 ここ数日、この夏一番の暑さを記録したり、かと思うと二十数度まで温度が急落したりと、目の回るような気温の変化にさらされている私たちは、要するに北からの冷たい風と南からの暖かい風、場をどちらが支配するかによって翻弄されている。エアコンのコントローラーを上司に握られた冷え性のヒラ社員に、ちょっと似ていなくもない、と思う。あるいは、はち切れるような若さを暑い教室に閉じこめられた中学生の私たちに。


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