グーなしジャンケンのジレンマ

 小学生にとって世界は狭いようで広い。自分の通う小学校、自分のクラスだけですっぱり閉じた世界に住んでいるように考えてしまいがちなのだが、もちろんそんなことはなく、テレビ雑誌といったマスコミュニケーションはもとより、地域のクラブであったり、親戚関係であったり、なにかしらの手段でほかの小学校の児童とも交流はあって、ある種の「文化」は確実にお互いを伝播していた。たとえば、定期的に流行する「ベッタン(メンコ)」「ビー玉」などの(一人の小学生の主観として)新しい遊びは、ゼロから生み出されたのではなく、常にどこかからの文化移転であった。隣の小学校から輸入されたものであったり、時にはもっと遠くから遠くへ、日本中の小学校で同時期に同じ遊びがあるというようなことも、ままあったりする。

 そんな遊びに、ジャンケンの無数のバリエーションがあった。以前話題に挙げたこともある数拳や、有名な「あっち向いてホイ」、軍艦が沈没したりする手遊びなど、この手の競技はいつも一つは学級で標準的な「勝敗を決める技術」として流行していたものだが、そんな中に「グーなしジャンケン」というのがあった。
 グーなしジャンケンとは、基本的に勝敗ではなく、十人なら十人の仲間を、二つのチームに分ける必要があるときに使われる方法である。一斉に手のひらを出してその甲を上にするか掌を上にするかで決定する別の方法「ウラオモテ」と共に使われていたもので、各々の表象を出す子供が偶然五対五に分かれるまで、幾度か繰り返して行われることになる。が、ここで言いたいのは、それに似ているが、チームではなく勝敗を決めるゲームである。

 これでどうやって勝敗が決まるのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。解説しよう。よくある状況で、五人くらいで、なにか給食の牛乳の残りとかセミの抜け殻とか、まあそういったようなものを争うことになったとする。ではジャンケンだ、ということになって、モーションに入ったとき、一人の児童が突然言うのである。
「グーなしジャンケンホイ」
 グーは使わないでジャンケンだぞ、ということである。これは宣言した児童の気まぐれによってパーなしであったりチョキなしであったりする。グーは使えない、という情報が与えられてからホイまで三百ミリ秒くらいしかない。プレイヤーは瞬時に出せる手がパーとチョキの二種類であることを判別し、その強い方、チョキを正しく出さねばならないのである。パーはもちろん、誤ってグーを出してしまったら、もう牛乳だかなんだかはもらえない。各自の反射的な知能が試されるわけである。

 もちろん、このルールだと、「グーなし」と宣言する役の児童がたいへん有利になってしまう。だいたいにおいてその場で支配的な地位にある児童のいいなりに近い状態になってしまう腐敗した勝負ではあるのだ。理想的にはレフェリー的な宣言係が、勝敗の外部にいることが望ましいが、小学生の場合、そういう状況は非常にまれではないかと思う。というわけで、これをちょっと改良してみよう。

 プレイヤーは二人で、出せる手は二つで、相手を包み込む優しい「パー」と、全てを切り裂く闇のハサミ「チョキ」だけ。チョキとパーならチョキが勝つ。パー同士なら握手して、にっこり笑って次に進む。チョキ同士の場合は双方が手痛いダメージを受ける。

 二人で一回きり勝負をする場合は、グーのないじゃんけんでは当然のこと、必勝法は「チョキを出すこと」で、そうすれば相手に負けることだけはない。ただ、基本的にチョキが勝つのだが、チョキ同士だと損になる、というのがミソである。ご存知の方はご存知だろう。この形式のゲームは、歴史的な経緯から「囚人のジレンマ」と呼ばれる。実際には各々の手の組み合わせにある適切な得点が与えられていて、何回か勝負した場合はその合計点で勝敗を決めるものだが、まずはざっと上のようなルールである。上のチョキは「裏切り」、パーは「協力」と書き表されることが多くて、そう考えるとこのゲームの本質が少し見えやすい。

 チョキを出していれば負けない、というルールにもかかわらず、どんな状況でもチョキばかり出しているのが必勝法と言えないところが、このゲームの面白いところである。それにはまず、ゲームを拡大してたくさんの小学生を追加する。二人ずつ総当たりで何回か勝負を繰り返して、その合計点で順位をつけることにすると、これがチョキばかり出している人が最高位を取るとは限らないのだ。むしろ、基本的にはパーを出して相手と手を握りあい、必要に応じてチョキで応戦するタイプの方が、多数のさまざまな戦略の中で高得点を挙げる傾向にあるのだ。

 コンピューターを使ったシミュレーションでさまざまな戦略を戦わせた人がいて、長い間繰り返しこのゲームを続けていると「しっぺ返し(tit for tat)」という戦略がもっとも高得点を挙げやすい、ということがわかっている。まず、最初はパーを出す。次からは相手の前回出した手を真似る。つまり、相手がチョキを出してきたら、次はチョキを出す。相手がパーを出してきたら、次はパーを出す。たいへん単純なものである。もう少し人間っぽく書くと、相手が自分だけ勝とうとしてきたら警告し、相手が手を差しだしてきたら次はそれを握り返す、ということになる。一見すると、気まぐれにチョキとパーを出す相手よりも、この公表された戦略をとる相手の裏をかくことは遥かに簡単に思えるのだが、これがどうして「しっぺ返し」よりも高得点を挙げることは容易ではない(※)。どうも不可能であるらしい。

 さて、この「囚人のジレンマ」型ゲームの素晴らしいところは、必勝戦略である「しっぺ返し」をする人間が、たいへんなナイスガイであるように見えるということにある。実生活でもこういう「相手を裏切るか、裏切られるか」というシチュエーションになることがたいへんに多いことは、人生経験を積まれた読者諸賢にとっては自明のことだろうと思うのだが、そういう場合に「まずは協力だが裏切りは許さない」という人が増えれば、もう少し人生は暮らしやすいものになると思うのである。しっぺ返しは、こっちが裏切らないかぎり、決して裏切らないのだ。

 だからして、小学生にはぜひこの改良型グーなしジャンケンを数千回も数万回もやっていただいて「しっぺ返し」戦略を生活の中から学んで欲しいと思うのである。人と人は確かに支え合って生きているが、相手に殴られたら殴り返すのだ。

 もっとも、一本の牛乳を争っている場合に何百回も総当たり戦をやって最高得点を挙げた者が飲める、というルールにすると、五時間目が来る前に勝敗を決めるのはたいへん難しいような気はする。特に夏場は、あぶない。


※ゲーム回数が何回、と決まっていればその最終回だけチョキを出せば高得点を挙げつつ「しっぺ返し」に勝利できるが、一般に何回目でゲームが終了するかはプレイヤーに知らされないことになっている。
トップページへ
▽前を読む][研究内容一覧へ][△次を読む