秋の夜長に

 秋の夜は長い。もちろん、よく考えてみればこれは当たり前の話であって、十月も後半となると冬至まであと二ヶ月しかないのである。秋だ秋だと思っていても、二月くらいの日の長さと同じなのだ。長いのも当然と言うべきか。さらに、秋という季節は、なにかと忙しい年末や春に比べればだが、どういうわけかあまりせっぱ詰まった仕事のない、時間のぽっかりと空いた季節になることが多い。ま、だいたいそういったようなわけで、とにかく秋の夜は長い。

 普段、忙しさにかまけて趣味をないがしろにしている人は、こういう季節の夜、何をしているのだろうか。隣はなにをする人なのだろうか。やっぱりナニだろうか。まことに秋というのは人恋しい季節なのだから(つまり「幹事長も感じちゃう季節」というやつである)。
 と、ここでひとこと言っておきたいのだが、ナニという言葉でナニのことを想像させておいてそのナニ、いわゆるナニとは違うナニだったというオチではない。ストレートにピュアに、この場合のナニとはあなたが想像したそのナニのことである。ナニがナンだかわからないが、とにかくナニといったらナニのことだ。要するに今回はナニの話なのだ。

 さて、これだけ「ナニ」と書くと読んでいるあなたのゲシュタルトもすっかり崩壊してしまっているところであろう。私はしている。ナニってナンて読むんだったかな、という状態にまで退行している。えー、まあその、ナニナニとまくし立てたあげく崩壊したゲシュタルトが回復する暇もない、あるいは切れた堪忍袋の緒が蘇生する暇もないほどだとなにかと不便なので、次に進む前に、いったん横道にそれることにしよう。あなたは、なぜ永遠に生きられないのか、人間はどうしていつか死ぬのか、という疑問を持たれたことはおありだろうか。

 たぶん、生物が誕生し進化してきた歴史の中で、同じ体を修繕して使ってゆくよりも、同じ遺伝子を持った新しい個体を多数作るほうが有利である、ということになって、そういう子の誕生と親の死を繰り返すモデルが他のモデルに打ち勝って進化してきたという事情があるのだろう。ただ、事情を理解したとして、しかしこれは生命の必然としてそうなっているわけではないので、なんとかそれを乗り越え、永遠の寿命を得るか、または今あるものよりも伸ばす方法は、見つからないものでもない。また、当たり前の話で医学とはそれを目指して研究が進められる分野である。

 私がこのサイトで何度か紹介したSF作家、ハインラインの作品に、長命の人間を主人公にしたものがある。作中で、ハワード財団という架空の財団が登場するのだが、これは設立者である大富豪の遺志で、人間の寿命を延ばす研究を行う使命が与えられている。財団はさまざまな長命のための研究を行うが、その一つに、作物の品種改良のような手法があった。長命な家系どうしの結婚を仲立ちすることで、遺伝的に長命な人間を人為的に作ろうというもので、先祖が長命だった人々同士の結婚に特別な保護を与え、また首尾よく誕生したカップルにはできるだけ多くの子供を作ることを(やはり人数に応じた補助を与えることで)奨励する、というものだった。

 この手法が現実に実行された場合どの程度の効果を挙げることになるのか、一つには数世代という長期にわたって莫大なお金を使いつつ実験を行わねばならないから、また社会的倫理的にこのような実験が行えないだろうと思うから、難しいところだが、さらにもう一つの難点が、人間の「品種改良」の目的である長命が、実際に高齢まで生きることでしか証明できない、というところにある。当たり前だが、高齢まで生きたからといって、既に繁殖能力を失っているその人を使って子供を作ることはできないのだ(※)。

 条件を緩めて、たとえば、ある人間が長命の遺伝子を持っている条件として、四人の祖父母が揃っていて彼らが九十歳以上、という要件を設けたとしても、そういう人間は、だいたい平均二五歳で子供を産むとした場合、既に四十歳になってしまっているはずなのである。若くて繁殖に適した人間の祖父母は、まだ高齢になっていないので、結局長命な家系なのかどうか、判断できない。曽祖父の段階になると、関係する人間が多すぎて、長命をつかさどる遺伝子が確かに引き継がれているかどうかという点でいかにも怪しくなる(親が持つある遺伝子が、子に引き継がれる可能性は常に二分の一である)。

 ところで、社会的なさまざまな要因から、現在、日本では結婚し、子供を作る年齢が徐々に上昇している。このことは、やや迂遠ではあるものの、寿命を延ばす原因となりうるかもしれない。たとえば、二五歳になると発病する死病があったとする。この病気を引き起こす遺伝子、ないしこの病気に対して抵抗力を持たないようにする遺伝子は、十五歳ぐらいで結婚し子供を作る社会ではなんの支障もなく親から子へ受け継がれる。代々親は二五歳で死ぬのだが、その時子供は生まれてある程度育っているので、別に何てことはなく家系は続いてゆくのだ。だが、もしも社会が、三十歳くらいにならないと結婚できないような構造になっていれば、その遺伝子は一代で絶滅してしまう。結婚する前に親となるべき個体が死んでしまうからだ。非情な話だが、これが淘汰というものである。

 ここ数十年ほどの傾向はたまたまそうなっていると思うのだが、もしも徐々に結婚、出産年齢を高くしてゆくとしたら、だんだんと若くして発病する病気の生きる余地は狭められてゆき、また少なくともその出産年齢まで親が生きていた、ということを証明するので、人間の寿命は次第に延びてゆくことになるだろう。ご存知の通り、高齢での出産にはいろいろと害も多いのだが、考えてみれば「高齢出産に適した遺伝子」というのもあるはずであって、そういうものが出産の高齢化によって淘汰されて、生き残ってゆくとすれば、高齢出産に付き物のさまざまな障害も、遺伝子が自動的に克服してゆくように思う。つまり、晩婚は寿命を延ばすのである。

 そろそろゲシュタルトも元に戻ったろうか。えー、だからして、世の中にはナニをナニするにおいて特に若い子の方が好きであるというなんというかそのナニな人がいるわけだが、そういう人は、人類の寿命をそれと知らず縮めている可能性がある。もっと深く考えると「ナニをナニするときに若い子の方が好き」という好みを規定する遺伝子とペアにしていっさいがっさい子供に引き継がれてしまう可能性があるのであって、子孫に至るまで代々みんな「若い子が好き」になってしまい、若くで子供を作る家系を作ることになる。この血統は、若死にする遺伝子の温床となる可能性があるのだ。たいへん危険なことと言わざるを得ない。若い子趣味はアレしたほうがいいと思う。もっとも、獲得形質は遺伝しないので、遺伝子のプログラムに逆らって我慢したとしてもそれでどうにかなるわけではない。

 とまあ、そういったわけで、秋はナニについて考えてみよう、というお話であった。なんだか大した結論も出ないまま、ナニをナニするべき秋の夜をすっかり無駄にしてしまったような気がするが、ナニ、大丈夫。このためにこそ、秋の夜は長くせつないのだ。そう、夜は、まだ続く。


※ と、一通り書いてみて、あとで読み直してみて、考えてみると、今ならクローンや精子の凍結保存など、手段がいろいろあるような気がする。そうなるとこの文はあまり意味がなくなってしまうのだが、まあ、あまりにも禍々しい行いであるような気はするので、気がついてはいたけれども、それだけはどうしても言えなかったのだということにしておいてください。
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