高校生くらいのとき、よく、本屋で本を探している夢を見た。舞台はほとんど決まっている。どこかの街の商店街の、個人経営の小さな本屋、本のほかに文房具や駄菓子なども置いているようなところで、肝心の本は種類も量もすごく少ない。ところが、ふらりと入ったその本屋で、いくら探しても見つからなかった欲しい本が、本棚の最上段に見つかる。これは買わねば、と喜んで手を伸ばすが、背が低くて、あと少し、届かない。なんとか、もう一歩、と、そこでいつも、目が覚めるのだった。
こんな夢を見るのは、たぶん私が「本屋に夢を持っている」というべきか、私にとって本屋という場所が特別だったからだと思う。そもそも、本屋というのはおよそ日本中どこでも、かなりの田舎でなければ普遍的に存在する商店であって、それが近くにある場合、幼児でも頻繁に立ち入る機会のある、日常性の高い場所でもある。そんな場所を、遊園地やら海やらといった「憧れの場所」と同列に夢に見るまでになってしまうというのは、相当田舎に住んでいると思われても仕方がないわけだが、その通り、近所にはろくな本屋がなかったのだから仕方がない。
本屋は素晴らしい。何と言っても本が売られている。ひとつ素晴らしいのは、どこで買ってもどうせ同じ値段なので、最初に見つけた店で心置きなく買えるということである。さらに、毎日のように新刊が入荷するので、同じ店に何度行っても、そのつど、新しい発見があるのがまた素晴らしい。八百屋や魚屋や洋服店や「お茶と海苔の店」ではこうはいかない。
長じて、書店環境が充実した(まあ、自分の生まれた町よりは)町の高校に通うようになってから、私は喜び勇んで、毎日のように本屋を覗く生活を始めた。覗くだけならいいのだが、行くとなにか買わないと来たかいがない、買わないで出るとあとで絶対くやむことになる、などと変なことを考えてしまうので、何かしら買っているような気がする。総合的に考えて、これほどお金を使った商店は、ないのではないかと思う。
思えば、高校生の時以来15年間、一週間本屋に行かなかったことはまずなく、行けば一冊は買ってきているわけで、少なく見積もっても千冊は買って読んでいる勘定になる。それでもたぶん、一般に「本好き」「活字中毒」と呼ばれる人たちにはまだまだかなわないだろうし、たとえそれが田舎の小さな本屋にしても、本屋に置いてある本を全て読んだとか、図書館のこのタナは全制覇したとか、そういう偉業にはまだまだ足りない。
いったい、この世の中にはどれくらいの本が出版されているのか。私の読書量は、出版量にくらべてどれくらい少ないものなのだろうか。調べてみた。国会図書館というところがあって、そこには一応、日本で出版されたすべての本があることになっている(実際はそうでもないらしいが)。少し古い統計だが、蔵書の数は七百万冊で、これが一年で二十万冊ほどの割合で増えているそうである。
これがどのくらいか、計算してみることにする。いま、厚い本も薄い本も、大きい本も小さい本もあるとして、それらを均して平均厚さ3センチ、高さ30センチ、幅25センチとする。これはかなり大ざっぱな見積もりであるが、まあ、大判の画集のようなものもあれば、文庫本もあるだろうから、まずはこれで行こう。
はじめに、七百万冊の本の体積の合計は、16,000立方メートル(つまり、16,000キロリットル、十万バレル)で、要するに、本をすきまなくびっしり積み上げたら、それだけの体積になるということである。立方体の形に積み上げると一辺25メートルで、二五メートルのプール約30杯分だ。東京ドーム何杯分、というほどの体積はなくて、グラウンドにびっしり置けば高さ1.2メートルくらいになる。こう書くと、意外に大したことがないような気がする。
もちろん、このようにびっしり置いてしまうと欲しい本が探せないわけで、本棚に置いたところを想定して、背表紙の面積を計算してみる。つまり、背表紙が見えるように並べた本棚を作ったとして、その大きさは、ということである。答えは63,000平方メートル(63アール、二千坪)、タテヨコ250メートルくらいの大きさになる。高さ2メートルの本棚にすると、長さは32キロメートル。やはりたいへんな多さであるような気がしてきた。
ものはためし、この七百万冊をずらっと一列に並べてみよう。一段だけの長いながい本棚を作ってそこに収納するわけである。計算すると、このウナギの寝床のような本棚の長さは、210キロメートルとなる。これは地球を何周とかする距離ではもちろんなく、東海道新幹線のレールにそって並べると、新大阪から名古屋を過ぎて、三河安城に、わずかに届かないくらいの長さである。どうだろうか。短いような気もする。なお、一年で増える長さは約6キロなので、我々が生きているうちに東京に到着するかどうか、というところであろうか(つまり、すごい増加量なのである)。
分かりやすくなったところで、本の増え方をもうちょっと詳しく考えてみよう。一日あたりに直すと16メートル、一時間に70センチという速さになる。このペースはあなたの読むペースと比べてどうだろうか。よくある普通の文庫本一冊を一時間で読めるくらいの読書ペースだとすれば、私もだいたいこれくらいではないかと思うが、それは日本で本が増えてゆく速さのざっと百分の一に過ぎない。眠ることなく、ひたすら読み続けたとしても、人生で読める本は出版される百分の一、わずか1%でしかないのである。
がっかりしただろうか。そうでもないと思う。新刊書の情報を見ていて、自分の読むべき本が全体の1%以上あるとは思えないからだ。そういえば「眠ることなく、ひたすら読み続けたとしても」と書いたが、モノが本だけに「飲まず食わずで」でなくてもいいところがちょっと素晴らしい。トイレにも行ける。ちょっとがんばれば風呂にも入れる。私はモロにそういうことをしているので、昔読んだ本を再読すると、醤油のしみがついていたり湯気でふなふなになっていたり、たいへんである。まあ、どんなにがんばっても、全部を読んでしまって退屈するなんて事はありえない、と考えると、むしろ安らぐような気もする。楽しんで読んでゆけばいいと思うのだ。